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異世界湯けむり勇者 ~魔王討伐後に王国から領地も爵位ももらったけど全部妻子に継がせて前世で大好きだった源泉かけ流しの宿を異世界で本気再現したら七つの泉質を目当てに貴族も冒険者も押しかけてきます~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 七泉の湯宿《朝霧亭》、開業までの十二日譚

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第27話 料理目当ての冒険者、湯より先に飯を褒める

 朝霧亭の評判は、最近どうも妙な育ち方をしていた。


 もちろん最初に広まったのは湯だ。

 七つの泉質。

 赤湯、白湯、青湯、硫黄泉、塩泉、清湯、そして露天のぬる湯。

 それぞれに顔があり、客に合わせて勧め方まで変わる。そんな宿は、このあたりでは確かに珍しい。


 だが、人の口というものは不思議なもので、いつの間にか別の話も同じくらい広がり始める。


 たとえば――飯だ。


「主様」

 と、帳場で宿帳を開いていたベルノルトが言った。

「何だ」

 と、アレクシス。

「今朝の来客、嫌な予感がします」

「また足音か」

 と、リューシェが椅子の背にもたれながら笑う。

「最近おぬしら、足音だけでだいぶ語るのう」

「だって分かるんですよ」

 と、ベルノルト。

「今日は湯治客の歩き方じゃない」

「そうです」

 と、ユノも頷く。

「重たい荷も持ってないし、でも妙に元気で……」

「ほう」

 と、アレクシスは玄関の方へ目を向けた。

「腹を空かせた客かもしれんな」

「主様」

 と、リューシェ。

「今の、ちょっと楽しそうじゃぞ」

「そうか?」

「そうです」

 と、ベルノルト。

「最近、旦那様は湯か飯の話になると分かりやすすぎます」

「嫌ではない」

「出た」

 と、ベルノルト。

「今日一回目ですね」

「数えるな」


 その時、玄関の戸が勢いよく開いた。


「すみませーん!」

「ここが朝霧亭で合ってるか!?」

「名湯宿って聞いてきたんだけど!」

「飯もうまいって本当か!?」


 最後の一言だけ、妙に勢いがあった。


 入ってきたのは、冒険者が四人。


 革鎧に剣、槍、短弓、杖。

 年の頃は二十前後。

 旅慣れてはいるが、疲れより元気の方が勝っている顔だ。

 そして何より、目がきらきらしている。


 アレクシスは一目見て言った。


「腹が減っているな」

「減ってる!」

 と、斧持ちの青年が即答した。

「すごく減ってる!」

「湯に入ってから食え」

「ええー!?」

 四人が揃って顔をしかめる。

 リューシェが吹き出した。

「主様、速いのう」

「何がだ」

「冒険者が入ってきて最初の一言が“湯に入ってから食え”じゃ」

「当然だ」

「便利なやつが出た」

 と、ベルノルト。

「でも、それが主様なんですよね……」


 四人組の中で、杖を持った青年が一歩前へ出た。


「いや、その、もちろん湯も目当てなんだけどさ」

「だが?」

 と、アレクシス。

「先に飯が気になって」

「主様」

 と、ユノが小さく言う。

「本当に湯より先に飯ですね」

「そうだな」

「見れば分かる」

 と、リューシェ。

「どう見ても腹の空き方が勝っておる」

「だから最近それなんですって」

 と、ベルノルト。


 冒険者の槍使いが、ちょっと申し訳なさそうに頭をかいた。


「前にここ泊まった仲間がいてさ」

「ほう」

「“湯もすごかったけど、湯上がりの煮込みと汁がやばかった”ってずっと言ってて」

「うん」

 と、短弓の女冒険者も真顔で頷く。

「三日くらい飯の話しかしなかった」

「それはうるさかったろう」

 と、リューシェ。

「うるさかった」

 と、女冒険者。

「でも、言われると気になるじゃん?」

「だから来たのか」

 と、アレクシス。

「来た」

「主様」

 と、ベルノルト。

「今の顔、ちょっと嬉しいですね」

「そうか?」

「そうです」

「かなりです」


 アレクシスは四人を順に見た。


 歩き方。

 肩の落ち具合。

 目の下の疲れ。

 腹の空き方。

 汗の乾き方。


 それを見て、短く言う。


「おまえたち、昨日まともに食っていないな」

「うっ」

 と、斧持ちが固まる。

「なんで分かるんだよ!?」

「顔色」

 と、アレクシス。

「あと、歩幅が少し荒い」

「主様、また始まったぞ」

 と、リューシェ。

「最近ほんに“疲れの見抜き”が板についておる」

「宿主だからな」

「出ましたね」

 と、ベルノルト。


「で、でも」

 と、杖使いが食い下がる。

「今すぐ何か食べたら駄目?」

「駄目ではない」

 アレクシスは少し考えた。

「だが、がつがつ食うな」

「え?」

「湯の前に腹へ重く入れすぎるな。軽く温いものを入れて、湯で緩めて、それから食え」

「……なんか、すごい理にかなってる」

 と、短弓の女が呟く。

「主様、それで落ちる客、多いのう」

 と、リューシェ。

「何がだ」

「“この宿主、ただ飯を出すのではなく、食う順番まで見ておる”でやられるのじゃ」

「必要だからだ」

「便利なやつじゃ」


 結局、冒険者たちはまず広間の隅へ座らされ、軽い汁と薄く切ったパンを出されることになった。


「これだけ?」

 と、斧持ち。

「軽く、だ」

 と、アレクシス。

「あとで本番を出す」

「本番」

 と、四人の目が一斉に光る。

「その言い方、ずるくない!?」

 と、ユノが思わず笑う。

「主様、今のちょっとわざとでした?」

「違う」

「いや、ちょっとありましたよ」

 と、ベルノルト。

「ほんの少しだけ楽しんでた顔でした」


 汁を飲んだ冒険者たちは、それだけで少し静かになった。


「……あ」

 と、槍使い。

「うまい」

「汁で分かる?」

 と、短弓の女。

「いや、分かる」

「主様」

 と、リューシェ。

「もう半分落ちたぞ」

「まだ何もしていない」

「汁を出した」

「宿だ」

「便利なやつじゃ」


 その後、四人はアレクシスの指示通り、先に湯へ向かった。


 赤湯は二人。

 清湯と白湯が一人ずつ。

 斧持ちは当然のように一番熱い湯へ突っ込もうとして、アレクシスに止められた。


「おまえは赤湯のあとに塩泉だ」

「なんでだよ!」

「いきなり熱い湯へ入る顔をしている」

「顔で全部決めるなよ!」

「かなり決める」

「主様、その返し、最近好きになってきました」

 と、リューシェ。

「好きでよいのか?」

「よい。主様らしい」

「嫌ではない」

「今日二回目です」

 と、ベルノルト。

「数えるな」


 湯から上がってきた頃には、冒険者たちの顔は見違えるように変わっていた。


 腹はまだ空いている。

 だが、さっきまでの荒れた空腹ではない。

 身体の力が抜け、湯気と熱がほどよく回って、ちゃんと“飯がうまく入る顔”になっている。


 アレクシスはその顔を見て、ようやく厨房へ声をかけた。


「グスタフ」

「おう」

「出せ」

「待ってました」

 と、グスタフは鼻を鳴らし、大鍋の蓋を開けた。


 立ち上る香りに、四人が揃って息を呑む。


 柔らかく煮えた肉。

 根菜の甘み。

 湯上がりの身体へ落ちるように調えた塩加減。

 それに、熱すぎず、だが冷えていない汁。

 焼き直した黒パン。

 香りを立てるだけの香草。


 派手な料理ではない。

 だが、湯上がりの腹にはこれ以上ないほど危険な匂いだった。


「うわ」

 と、斧持ち。

「やばい」

「主様」

 と、ユノ。

「今のは語彙がなくなる方のやつですね」

「そうだな」

 と、アレクシス。

「見れば分かる」

「またそれですか」

 と、ベルノルト。

「便利だからな」

「開き直った!」


 料理が出されると、冒険者たちは最初の一口でもう完全に沈んだ。


「……っ」

 と、槍使い。

「これだ」

「だろ?」

 と、杖使い。

「いや、“だろ”じゃない。ほんとにこれだ」

「うま……」

 と、短弓の女。

「湯のあとで、すごい真っすぐ入ってくる」

「それ」

 と、アレクシス。

「そこだ」

「主様」

 と、リューシェ。

「今のはだいぶ気持ちよく刺さった顔じゃ」

「そうです」

 と、ベルノルト。

「完全に“分かる客が来た”顔です」

「そうか?」

「そうです」


 斧持ちはもう、半分泣きそうな勢いで食べていた。


「なんだこれ……」

「煮込みだ」

 と、アレクシス。

「そういうことじゃねえよ!」

「主様、その返しはいくら何でも雑すぎる」

 と、リューシェ。

「でも分かるよ」

 と、槍使いが真面目な顔で言う。

「これ、ただうまいんじゃなくて、湯のあとにちょうどいい」

「そうだ」

 と、アレクシス。

「重すぎない。だが軽すぎもしない」

「え、何それ、そこまで考えてんの」

 と、短弓の女。

「考える」

「主様、そこだけ本当に即答ですよね」

 と、ベルノルト。

「湯のあとだからな」

「便利なやつじゃ」

 と、リューシェ。


 四人が夢中で食べる様子を見て、広間の別の客たちまで少し笑っていた。


 白湯を目当てに来ていた地元のおばさんが、くすくすと笑いながら言う。


「若い子は正直でいいねえ」

「え?」

 と、斧持ちが顔を上げる。

「いや、ほんとにうまくて……」

「分かるよ。ここの飯は、湯のあとにちゃんと沁みるからねえ」

「おばちゃんも常連なんですか」

「最近ね」

「ほら」

 と、リューシェ。

「飯でも常連が育つ」

「主様、もうだいぶ嬉しそうです」

 と、ユノ。

「そうか?」

 と、アレクシス。

「そうです」

 三人が揃って言った。


 食事が終わる頃には、四人は完全に朝霧亭へ落ちていた。


「主様」

 と、ユノが小声で言う。

「何だ」

「今の“落ちる”って、宿に対して使う言葉なんですか」

「使う」

 と、リューシェ。

「便利じゃぞ」

「便利な言葉が増えましたね……」


 杖使いが椀を置いて、心底しみじみと言った。


「これは広める」

「やめろ」

 と、アレクシス。

「即答!?」

「予約が詰まる」

「でも、広めたくなるだろ!」

「なる」

 と、短弓の女。

「これ、黙ってる方が無理」

「そうだな」

 と、槍使い。

「湯もよかったけど、飯が追い打ちすぎる」

「だから昨日の仲間、三日飯の話してたのか……」

 と、斧持ちが呟く。

「むしろ足りないくらいだ」


 ベルノルトは、帳場の宿帳を見ながら深いため息をついた。


「主様」

「何だ」

「広まりますね」

「広まるな」

「嫌そうですね」

「嫌ではない」

「出た」

 と、ベルノルト。

「でも、ちょっと嫌ですよね?」

「少しだけだ」

「そこは正直なんですね」

「飯が認められるのは悪くない」

 と、アレクシス。

「ただし、詰め込みはしない」

「そこへ戻るんですねえ」

「宿だからな」

「はい、今日何回目でしょうか」

「数えるな」


 リューシェはおかしそうに肩を揺らした。


「のう主様」

「何だ」

「おぬし、湯で客を掴んで、飯で落とすのう」

「変な言い方をするな」

「事実じゃ」

「便利なやつですね」

 と、ユノが笑う。

「坊やまで言うようになったか」

「最近ちょっと楽しいです」

「嫌ではない」

「また重いやつが出ました!」

 と、ベルノルト。


 食後、四人の冒険者は本当に満足した顔で立ち上がった。


「また来る」

 と、槍使い。

「今度は仲間も連れてくる」

「やめろ」

 と、アレクシス。

「だから即答なんだって!」

「でも連れてきたくなるんですよね」

 と、短弓の女。

「うちの前衛、絶対こういう宿好きだし」

「うちの術師も青湯で死ぬほど喜びそう」

「それ、喜び方の語彙が不穏ですね……」

 と、ユノ。

「でも、また来るなら嬉しいです」

「坊や」

 と、リューシェ。

「今のはだいぶ宿の者の顔じゃぞ」

「そうでしょうか」

「そうじゃ。客が増えることを、“仕事が増える”より先に“また来てくれる”で見るようになっておる」

「嫌ではない」

 と、アレクシス。

「今日何回目でしたっけ」

 と、ベルノルト。

「もう分からなくなってきました」

「主様、だいぶ多いぞ」

 と、リューシェ。


 四人が帰っていくのを見送りながら、アレクシスは少しだけ空を見上げた。


 秋の空気は高い。

 湯気は白い。

 そして、飯の匂いは今日もよく立っていた。


 朝霧亭は、湯だけの宿ではなくなりつつある。

 いや、最初からそうするつもりだった。

 それがようやく、客の口を通じて形になり始めただけだ。

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