恋に落ちる -バイオレット-
彼を目にした瞬間、世界に色がついた。
無表情で冷めた目をした彼の微笑みを見たいとその時に思ったのだ。姿勢よくオーランド王子の後ろに立つ彼は硬質で、整った美貌がさらに人間らしさを感じさせない。彼が表情を崩したらどんな感じになるのだろう。
「バイオレット、恋しているでしょう?」
突然、コンスタンス王女に言われて今からお茶を淹れようと手に持っていたカップを乱暴にソーサに置いてしまった。かしゃんという音を立てたカップを気にしながら、座ってにこにことこちらを見ているコンスタンス王女に視線を向けた。突然何を言い出したかと、狼狽えながら否定する。
「そんなことは……」
「本当に? 見ていてわかるわよ」
「え?」
「だってバイオレットったら、わたしとオーランド様とのお茶会の時、ヒューバートのことをずっと見ているじゃない」
確かに、お茶会の時に側に控えている。あまり視線を向けないように気を付けていたつもりだったが、どうやらそれは本人ばかりで視線は彼に固定されていたらしい。驚きの事実に固まってしまった。くすくすとコンスタンス王女がおかしそうに笑った。
「とてもいいと思うわ。わたしがオーランド様、あなたがヒューバートと結ばれたらこんなに幸せなことはないもの」
どこかうっとりとした顔つきで言われて、戸惑う。
「ヒューバート様はすでに婚約者がいらっしゃるとうかがっています」
躊躇いがちに、この国の侍女たちから聞いた情報を伝えれば、コンスタンス王女は不思議そうな顔をする。
「まだ婚約者でしょう? しかも爵位はない者同士だし、婚約して間もないわ。婚約破棄をしたところで問題は何もないと思うの。貴女と結婚した方がヒューバートも出世につながるでしょう。それに相手の女性は子爵家出身。貴女と同じじゃない」
そういうものなのだろうか。
わたしはコンスタンス王女の言葉を胸の中で繰り返した。どこかもやっとした気持ちが湧き上がるが、そのモヤモヤがなんだか正体がつかめない。
「貴女が婚約破棄された時のように、外堀から埋めてしまえば大丈夫よ」
婚約破棄された。
ぎゅっと手を握りしめた。今も彼との破局を思い出せば、苦しくなる。バイオレットの心に気がついたのか、コンスタンス王女は慌てて言葉を付け加える。
「きっとヒューバートと結ばれるためだったのよ。ね、前向きに考えましょう? わたし、あなたの恋を応援したいわ」
にこりと微笑まれて、何とか笑みを返した。
******
祖国で婚約してたのは10歳の時だった。相手は男爵家の嫡男で、実家の方が爵位は高かったが、爵位を継げる相手に嫁げるということが重要だった。この縁を結んだ時のお父さまの嬉しそうな顔は今でも覚えている。
彼との仲は順調だった。二人とも同じ年で、何をするにも一緒。同じ環境で同じものを見て、時には言い合ったり、笑い合ったり。政略結婚であるにも関わらず、お互いに心が許し合える存在だった。
その二人の仲に陰りが出てきたのは、17歳の時だ。丁度、行儀見習いで城に上がってコンスタンス王女の侍女になった時だった。仕事も初めてで、覚えることも多く、失敗ばかりしていた。挽回しようと必死になって学んでいるうちに、彼とのことが疎かになった。
疎かになっても、きっと彼ならわかってくれると考えていた。彼の存在を軽く見ていたわけではないが、わたしも仕事に必死で余裕がなかった。
気がつけば、1年、連絡を取っていない状態だった。仕事に夢中になりすぎて、実家にすら顔を出していなかった。ようやく一息ついたので、今までのことを聞いてもらおうと意気揚々に実家に戻った。
実家に戻れば、すぐに彼がやってきた。久しぶりにあった彼は最後にあった時と違い、少しよそよそしい。
「どうしたの? 何か変よ?」
彼の態度が不思議でそう尋ねれば、彼は大きく息を吐いた。
「婚約破棄したい」
「え? 何を言っているの?」
理解できない。
何故、婚約破棄?
「バイオレットの父上にはすでに了承してもらっている」
「お父さまが? どういうこと?」
驚いて立ち上がれば、丁度お父さまが部屋にやってきた。どうやら彼が婚約破棄を申し出るのを待っていたようだ。
「どうしてだと? お前は仕事の方が大切なんだろう?」
「それは、やりがいのある仕事だとは思っているけど。婚約破棄するつもりなんてないわ」
お父さまはじっとわたしを見つめた。
「婚約を破棄されても仕方がないことをお前はしたんだ」
「何の話?」
話を聞けば、どうやらわたしが必死になっていた1年間、何度も何度も彼は手紙を送ってくれたらしい。お父さまも手紙すら送られてきていないと何度も相談を受けたそうだ。ところがわたしは実家にも帰ってこない、お父さまが手紙を出しても忙しくて帰れないとばかり。
「礼儀を欠いたのはお前の方だ」
「そんな! 会いに来てくれたらよかったのに! それにお父さまの手紙は貰っていたけど、彼からの手紙は受け取っていないわ!」
そう叫べば、お父さまはため息を吐いた。不愉快そうに眉間にしわを寄せていて、わたしから視線を逸らす。
「王女付きの侍女なのに、王族主催の夜会に参加できなかった彼が何を言われているのか、気がつかないのか?」
王族主催の夜会、と聞いて思い出す。年に数回開催される王族主催の夜会は、15歳で社交界にデビューしてからずっと彼のエスコートで参加してきた。あの夜会は特別で、婚約者と同伴することが条件なのだ。わたしは体を震わせた。
「え、彼は参加しなかったの?」
そんな言葉がつい零れた。その言葉に、彼がパッと顔を上げた。彼の表情はとても苦いものだった。
「なんでこんなにも自分勝手なのか。いくら手紙を出しても返事も来ないのに、どう手を打てと? 一言、王女についているからと伝えてもらえば、彼はそれを理由に一人でも参加できたのだ」
さらにお父さまが言いつのろうとしたのを止めたのは彼だった。彼はどこか諦めたような顔をしていた。
「これ以上はいいです。婚約破棄も伝えましたので、僕は帰ります」
彼はわたしと言葉を交わすことなく、屋敷から去っていった。お父さまは彼を見送ってから、お前は好きに生きなさい、と一言だけ言っただけだった。
自分に起きたことが信じられなくて、茫然として城に戻った。そして色々と調べてみれば、彼と新しく縁を結んだ男爵令嬢が色々と手を回していたことが分かった。彼からの手紙もその男爵令嬢が届かないようにしていた。
わたしがいない時に近づき、知らない人がいないほど彼と彼女の噂も広まっていた。夜会などもわたしが参加しないから、彼は夜会のたびにダンスの相手をみつけ、一人で夜会に参加していた。そのすきを突いたのが男爵令嬢だ。彼のことを気遣うように近づき、夜会のたびに一緒にいたようだ。
もちろん、婚約者のいる男性にすり寄る行為ははしたないのだが、わたしがその頃には彼を放置していることが知れ渡っていて仕方がないとまで思われていた。
処理しきれない現実に、頭がどうにかなりそうだった。
「バイオレット?」
そんなわたしを気遣い、慰めてくれたのがコンスタンス王女だ。彼女はわたしの混乱が落ち着くまで、失敗しても特に注意しなかった。侍女長にも話が伝えられていたのか、呆れながらも早く立ち直るようにと侍女長の言葉をもらった。
城に戻り、どんな状態であるか整理して、ようやく落ち着いて考えることができた。悩んだ挙句、わたしは彼と直接話そうと決心した。
彼に連絡を取り、了承を得たので会いに行った。
二人だけで話すつもりだったのだが、思わぬ訪問者が来た。彼と縁を結んだ男爵令嬢だ。
「あの、心配で」
彼女は不安そうにしながらも、彼の隣にぴったりとくっついていた。彼も困ったような顔になったが、仕方がないと同席を許してほしいとわたしに告げた。
聞きたいことは色々あったが、二人の様子を見ていて言葉を飲み込んだ。わたしと彼は兄妹のように仲が良かったが、熱く見つめられたり、彼を思ったりすることはなかったことに気がついた。だから1年も放置していても特に気にしなかった。
きっとわたし達は結婚してもうまくいかなかった。そう思えるほどの差がそこにはあった。
「……お幸せに」
それだけを告げて、逃げるようにして城に戻った。それからはコンスタンス王女の侍女として側にいることを決めた。結婚は考えなかった。一度、婚約破棄されたわたしに良縁があるとは思えなかったのだ。不本意な結婚をするぐらいなら、コンスタンス王女についていた方がいい。
自分が王女付きの侍女となったことを誇りにますます仕事にのめりこんだ。
結婚なんてしないと、祖国を離れコンスタンス王女の嫁ぎ先までついてきた。そこで出会ってしまったのだ。
理屈なんてない。
彼だけが見えた。
コンスタンス王女は応援したいと言った通り、コンスタンス王女の機嫌伺いに来る男爵にそれとなく聞いていた。そればかりではなく、二人で街へ出かけられるようにもしてくれた。困ったと思いながらも、嬉しいと思ってしまう。わたしの中で死んでいたはずの女の気持ちが目を覚ます。
今まで王女付きの侍女として恥ずかしくない程度の身だしなみしか気にしていなかったのに、髪の香油を変えてみたり、リボンを毎日変えてみたり。侍女の制服は決まっているから変えられないけど、少しでも彼に綺麗に見せたくて自然と手入れが増えた。
「とても素敵よ。折角、街に出かけるのだから、ドレスを着ていったらいいわ」
コンスタンス王女もニコニコと助言した。持っているドレスの中で一番質の良いものを選び、ドキドキしながら当日を迎えた。
「コンスタンス王女に菓子を買うと言う事でしたので、同僚を連れていきます」
ヒューバートは一人ではなかった。同僚だと紹介された女騎士が一緒だったのだ。二人で出かけられると浮かれていた気持ちが萎む。
単純にコンスタンス王女の買い物をするだけだと思われていたようで、実際には女騎士が一緒だった。わたしは必死に気を引こうと、色々と話していたが、彼はただただ聞いているばかり。気の毒に思ったのか、女騎士が相手をしてくれた。そのおかげでみじめな気持ちにはならなかったが、ヒューバートの関心を引けなかったことは辛かった。
それでも。
コンスタンス王女は外堀から埋めてしまえば、どうにでもなると男爵に相談していた。わたしもそれを聞いていて、つい、言葉にしてしまった。
「手紙がお互いに届かなければ、二人の熱も冷めるかも」
それはわたしが経験したことだ。距離ができて会えなくなってしまえば、徐々に関心が薄れる。男爵もなるほどと頷いていた。
「それならば、近衛騎士団の事務の方で手紙を握りつぶしましょう」
「あとは夜会でわたしをエスコートをしてもらえたら……」
流石の男爵も驚いた顔をする。
「わが国では難しいかと。婚約者のいる男性にエスコートを求めるのは、よほどのことがない限り不可能です」
「よほどのことが起きればいいのでしょう? 頼りにしているわ」
コンスタンス王女は楽し気に笑う。男爵はこれには答えなかった。今までの愛想のいい反応が見られなかったことに不安がよぎる。
これでよかったのかと思いながらも、この程度でおかしくなるぐらいの関係しか築けていなかったと思うことにした。




