小国の王女 -オーランド-
部屋の中には紙をめくる音だけが聞こえていた。王太子である兄上の執務室はいつ来ても静かだ。執務室の隣に用意されている事務官の部屋とつなぐ扉が開いているというのに、あちらの部屋からも話し合う声すら聞こえない。
「こちらが呼び出したのに、待たせてすまなかったな」
兄上は書類が一区切りついたのか席を立つと、私の対座に腰を下ろした。音もなくお茶が用意された。私にも新しいお茶が用意される。
「いいえ。今日は予定を入れていませんから」
「王女に会ったのだろう? 久しぶりに会う婚約者殿はどうだった?」
好奇心を隠しもせずに兄上が聞いてくる。私は怒りを押し殺してにこりと笑みを浮かべた。
「特に……問題を起こしさえしなければ。容姿も普通ですし、共通する話題も特にありませんのであまり期待しておりません」
「お前にしては辛辣だな。こちらに着いたばかりだと言うのに問題を起こしそうなのか?」
兄上は聞捨てならないと言った顔をする。揶揄うような表情が消えた。肩をすくめ、兄上の問いに答えた。
「コンスタンス王女はヒューバートに興味があるようですね」
「ヒューバート? 何故?」
「王女の侍女がちらちらとヒューバートに秋波を送っていたので、仲を取り持ちたいのでは?」
前回の時には気がつかなかったが、王女の侍女は挨拶の時に私の後ろに護衛として立っていたヒューバートを食い入るように見ていた。その狙いを定めたような視線は覚えのあるものだ。ヒューバートはどういうわけか、ああいうタイプの女性を惹きつけるようだ。過去の経験から、問題を起こしそうなタイプだ。
「本当に同じタイプを引いてくるな」
その場が想像できたのか、くくくと兄上が笑う。ヒューバートのいざこざは酒の席で笑い話になるほど、面白いのだ。当事者にとってはたまったものではないだろうが、人が羨むものをほとんど持ち合わせているヒューバートが苦々しい顔をするのが面白くて、近衛騎士たちはよく揶揄っていた。
もう少し笑みを見せ愛想よくあしらえば、さほど問題に発展することはないと思うのだが、ヒューバートは女性に対しては氷のような冷たさだ。一部の令嬢にその冷淡な様子が余計に惹きつけられていることに本人は気がついていない。そして、食いついてくる令嬢は徐々に粘着質になっていく。
「笑い事じゃないですよ。ヒューバートは二か月後には結婚するのです。本当に無事に結婚してもらいたいのに」
「ヒューバートの相手は誰だ? お前は会ったのか?」
「ええ。とても落ち着いた令嬢ですよ」
孤児院で会った時のエレオノーラを思い出し、笑みが浮かぶ。あの時にはすでにヒューバートは彼女を手に入れようと考えていたにもかかわらず、そ知らぬふりをしていたのだ。婚約の証人を頼まれて、驚いたものだ。
「ほう。一度会ってみたいな」
「やめてあげてください。彼女は子爵令嬢なので、王太子と面会などしたら卒倒してしまいます」
「控えめなのだな。もっと男勝りの強い令嬢を選んだのかと思った」
どんな想像をしていたのか、兄上が驚いた顔をした。
「あのヒューバートが男勝りの令嬢に心を許すと思いますか?」
「あり得ないか。でも、その令嬢、大丈夫か?」
「何がです?」
兄上の心配がわからなくて、首を傾げれば兄上がため息を付いた。
「簡単に排除できそうだと思えば、令嬢に手を出してくるのではないのか?」
「……それはないとは言い切れません」
「ああでも、それなら……」
兄上は何か思いついたのか、間を取るようにお茶を飲む。瞳が伏せられているので何を考えているのかわからない。こうして考え込んでしまう兄上は対象となった人物にとってろくなことはない。ただ今回は私のためを思って考えてくれているのだと思いたい。
「兄上?」
「そうだな。いけるかもしれない」
不穏な言葉に思わず身構えた。
「何がです?」
「彼らを使って、お前の婚約破棄ができないかと思ってな」
婚約破棄と聞いて唖然とした。この婚約は国と国との契約だ。簡単に破棄などできるはずがない。
「まあダメでも被害はお前が結婚することになるだけだ」
「一人で納得しないでください。どういうことですか?」
「ヒューバートとその連れてきた侍女の仲を取り持つのなら、ヒューバートの婚約破棄を狙うのか、既成事実を作るかになる。いずれにしろ、この国の王命に干渉する行為だ」
王命、と聞いてはっとして兄上の顔を真正面から見た。兄上はようやく理解した弟に笑みを見せた。
もし万が一、王女が自国にいた時のようにふるまいエレオノーラに手を出せば、さらに問題が大きくなる。他国の王族が勝手に我が国の貴族を従わせようとするのだ。我が国は堂々と抗議することができる。
「相手も王女だ。ちゃんと理解しているだろう? 理解できていないようならこの国に嫁ぐのは酷というものだ」
「……煽れということですか?」
「煽らなくとも、ただヒューバートを忙しくさせて家に帰さないことと……あとは噂が立つように一緒に街を何度か歩かせれば十分だ」
私は天井を見上げた。ヒューバートが荒れることは間違いない。ようやく長年の懸念が解決したところなのだ。結婚するまで会えないとなると……。恐ろしさに身震いする。
「ヒューバートが荒れると、私が迷惑をこうむるのですが」
「それで結婚が白紙になるかもしれないんだ。明るい未来のために耐えるがいい」
「……はあ」
確かに放っておいてもそのような事態にはなりそうだ。事実、王女の方へも護衛として近衛騎士を割り当てたために、誰もが休みが取れず家に帰れていない。ヒューバートもその一人だ。
「心配せずとも伯爵家と子爵家には注意喚起をしておいても構わぬよ。必要なら騎士団から護衛を付ければいい。いや、第三者の証言を得るために付けていた方がいいかもな」
「……兄上、もしかしたら怒っていました?」
今回の婚約の件では何も言わなかったから、気にしていないのだと思っていた。それに実際に結婚するのは私だ。
兄上は薄く笑った。
「私が裏に何があるのか、知らないとでも思っていたのか?」
「いえ。ただ、こちらが後手に回っているのは事実です」
小国との婚姻は必要かと問われれば、まったく必要ない。
同盟国と言えば聞こえはいいが、脅威も何もない辺境にある小国。
この国にとって小国の輸出物である香辛料は魅力的だ。確かに魅力的だが、一か国だけから輸入しているわけではない。その上、王領では香辛料の栽培の研究もなされている。多少の不安を解消するために輸入する先を確保したかったという程度のものだ。
重要視していないにもかかわらず、婚姻による同盟となってしまったかと言えば我が国の事情の方が大きい。
小国と隣接している領地を持つ男爵が不法に小国の領地を占拠していた。その土地は水源があり、はるか昔から争われていた。武力の強い我が国に抗議できても、実力で押し返すことができずにいる土地だ。
今回の同盟により、その地から軍を引き上げることも盛り込まれた。当然、男爵はその対応に不満を持った。不満を抱える男爵に近づいたのが侯爵だ。この侯爵は自分の娘を兄上の正妃にしたかったのだが、兄上が選んだのは後ろ盾の弱い伯爵家の令嬢だった。
「侯爵は私の側室として王女をあてがい、私の正妃の後ろ盾が弱すぎるという理由で自分の娘も側室にねじ込む気だったようだ」
「……彼女はすでに人妻では?」
侯爵令嬢を思い出し、首を捻った。侯爵令嬢は兄上とは性格が合わずに、野望溢れる父親に内密に選考から落としてくれと頼み込んできていたのだ。候補から外れた後、他に嫁がされないよう、さっさと意中の人と結婚したはずだ。
「ああ違う。彼女ではなくて、三女の方だ」
「……三女?」
三女と言われても全く覚えがなかった。私の反応が面白かったのか、くつくつと兄上が笑う。その笑いに仄暗さが滲んだ。
「まだ社交界デビューしていない」
「え、まさか」
「10歳だからな」
10歳と聞いて沈黙した。兄上は28歳。実に18歳の年の差だ。
「男爵も面倒なものに目を付けられましたね」
「あの男は考えが浅いんだ。単純に小国に恩を売れば、優遇されて今まで以上のものが手に入ると思っている」
男爵の単純すぎる理由と侯爵の己の野望の結果、小国の王女を娶るという事態に頭が痛くなる。外交官に侯爵の血縁者がいたことが恨めしい。白紙に戻せないところまで隠し通していたのだから、ある意味実力はあるのだろう。
「では、コンスタンス王女が兄上でなく私と結婚したいといった我儘はよかったのですか?」
「状況的には最悪だ。弟のお前が小国と言えども王女を娶るのだ。国の平穏のため、妃の後ろ盾が必要だとねじ込める」
「流石にあからさますぎるから婚姻の相手を兄上にしたのに、意図せず私になって侯爵としてはよかったということですか」
侯爵の執念にげんなりした。国の平穏を考えるなら、継承権争いになるような縁組こそ避けるべきだ。侯爵家の令嬢を後宮に迎えたら、死人が出る可能性すらある。それが狙いなのだろうが、王族としては継承権争いは避けたい。
「兄上はどうするのですか?」
「波風を立てないのなら、侯爵の娘を側室にして後宮に捨て置けばいいだけだ。いくら侯爵と言えども自分の娘に子供が生まれなければ何もできまい。だけど、何もないとは言い切れない。コンスタンス王女に帰ってもらうのが一番だ」
「父上は兄上の考えを知っているのですか?」
いくら兄上が画策しても、つまらない理由の王族同士の婚約破棄など醜聞でしかない。だから国王である父上のことが気がかりだった。
「この情報を掴んできたのが叔父上だ。叔父上が私に情報を開示したということは父上も了承しているはずだ」
「叔父上、ですか」
天井を仰ぐ。叔父上が出てくるなら、うやむやにはならないだろう。侯爵を排除する方向ですでに動いているはずだ。
「お前もこの件が片付いたら、彼女を捕まえに行け」
「今回の件は関係ないのでは?」
「いいや。お前がいつまでも態度をはっきりさせず、彼女を自由にさせているのが悪い」
風向きが悪くなったのを感じて、冷めたお茶を飲み干した。
「では、私はこれで」
兄上も話し合いたくない気持ちをわかっているのか、軽く手を振った。




