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ごくごく普通の恋をしています  作者: あさづき ゆう
本編

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不安な噂


 結婚準備は順調に進んでいた。細々(こまごま)としたものを揃えるだけなので、忙しいけれど楽しい気持ちが大きい。爵位を継ぐ跡取りの結婚や貴族家当主の結婚であれば、招待客も多く、準備に半年以上かかるものだが、それ以外の結婚など大したことではない。立会人の元、書類に署名をすればよいだけだ。コルトー子爵家でも長女のアマンダお姉さまは盛大にお披露目をしたが、次女と三女のお姉さまたちはさっさと署名して生まれ育った屋敷を出て行った。


 お姉さま二人の時に両親は署名だけという結婚がとても寂しかったようで、結婚の署名を行った後、ちょっとしたお披露目をするらしい。お披露目といってもエイル伯爵家のホールを使って、親族が集まるのだ。アマンダお姉さま以外の二人のお姉さまは遠方に住んでいるのでよほどのことがない限り会うことができないのだが、今回は夫婦そろってお祝いをするために王都に戻って来てくれる。


 エイル伯爵家の方では、領地で過ごしているヒューバートの両親とセロン侯爵夫妻が出席してくれるそうだ。リックの兄二人も出席となっていた。他にも知らない繋がりの親戚がいるようであるが、そちらはエイル伯爵家に任せている。

 お祝いもソフィーが中心となって取りまとめているので、わたしは新居とドレスのことだけを考えればよかった。


「ヒューバート様とは最近会えている?」


 結婚まであと2か月となったある日、エイル伯爵家本宅の居間でお披露目の招待状を作っていると、ソフィーがそんなことを尋ねた。不思議に思って顔上げた。ソフィーはちょっと困ったような顔をしている。言葉を選んでいるような様子が見て取れた。


「最近ね、お茶会で噂を聞いてしまって」

「噂、ですか?」


 わたしは婚約をした時から、お茶会には参加していない。いつもならコルトー子爵家として参加していたのだが、お姉さまが準備に忙しいからしなくていいと言ったからだ。結婚してエイルの姓になるまでは孤児院への慰問だけとなった。


「ええ。信じられないものなのだけど」


 言いよどんだ感じから、あまりよくない噂だと気がついた。ソフィーは何度か躊躇ったようだが、誤魔化すことなく話し出した。


「ヒューバート様が第二王子殿下の婚約者である隣国の王女様が連れてきた侍女と恋仲になったと」

「え……」


 想像していなかった内容に頭が真っ白になる。


 何を言っているの?

 誰と誰が恋仲?


「親しそうに歩いているところを何度か目撃されているらしいわ」

「親しそうに歩いて、ということは手でも握っているのでしょうか?」


 ぎゅっと手を握りしめ、信じたくない気持ちに胸が痛む。ソフィーは首を左右に振った。


「そこまではわからないわ。ただ、ヒューバート様は第二王子殿下の護衛だから、その流れで付き添うことになった可能性もあるわ」

「……そうですね」


 そうは言っても、最近、会っていないのは本当だった。


 どのくらい会っていないだろう。

 最近は手紙もあまり貰っていないことに気がついた。最後に送った手紙の返事を待っていてそのままになっている。


 忙しいから気がつかないなんて、間抜けな話だ。嫌な感情がぶわっと湧いて出た。


「ヒューバート様は近衛騎士だから、連絡がないことなんてしょっちゅうなの。だからあまり気にしてほしくないのと、先に噂になっている内容を知っておいた方が心づもりができると思って」

「教えてくださって、ありがとうございます」

「早まった決断をしないでね? こちらも真相を調べているところだから」


 ソフィーはそう締めくくると、優しくわたしの手を撫でる。


「ヒューバート様はね、昔から女性運が悪いのよ」

「女性運?」


 思い出すかのようにぽつぽつとソフィーが話し始める。


「そう。最近はウィント子爵令嬢だけど、その前もちょくちょくと。今回もその(たぐい)だと思うわ。周りから固めて追い込もうとしているのよ」

「そうでしょうか?」


 ヒューバートの過去をあまり知らないわたしには何とも言えなかった。ヒューバートもこの手の話は全く教えてくれない。


「ヒューバート様は第二王子殿下の筆頭近衛騎士で見目麗しくて、その上とても手が届きやすく感じるのよね」


 近衛騎士で見目麗しいのは納得だ。独身女性なら誰でも恋人になって結婚したいと思うだろう。でも、手が届きやすい、って何?


「なんというのかしらね。彼は当主の立場だったら、やはり政略結婚が先に来るわ」

「そうですね」


 それでも手が届きやすいというのが理解できずに、首を傾げた。


「でも、ヒューバート様は自由恋愛が許されている立場なのよ。もしかしたら選んでもらえるかも。氷のような冷たい騎士が自分には蕩けるような笑顔を見せてくれるかもしれない。あの頑な態度が女性に何故かそんな気持ちにさせるの」


 そこまで言われて納得した。ヒューバートは興味のない人間にはとても冷たいのだ。わたし自身はその冷たさを向けられたことはないが、シルビアやナタリーに対する態度は息を飲むほど冷ややかだった。


 ヒューバートはわたしのどこを好きになったのだろう。

 ふとよぎる疑問。


 夜会の時に助けてもらっていて、その上、会いたいと思ってもらえて。

 初めから彼はとても優しかった。他の人とどう違うのか、わからない。


 もやもやと不安がこみあげてくる。


「女性運が悪いことはわかりました」

「気にするなと言っても気になると思うけど、信じてあげて」

「わかっています」


 わたしは不安を抱えつつも、会えないのだから信じて待つしかなかった。


******


 信じると思っていても、実際に会えない日が重なると気持ちはどうしても沈みがちになった。新居の寝台のカバーの刺繍をしていても、いつの間にか手が止まってしまっている。

 事情を何も知らないのに、勝手にヒューバートとの別れが頭をよぎっていた。そんな悲しい想像をしては息ができないほど苦しくなる。


 どうして手紙すらもくれないの。


 何もないのなら何もないで、手紙でもいいから何か言葉が欲しかった。何も言ってくれない状況が悲しみをさらに深くする。一人でぐずぐずと考えてしまうのは、自分に自信がないからだ。ヒューバートと一緒にいれば気にすることのない出来事でも、少しでも離れてしまえば彼の気持ちがわからない。


 近衛騎士という職業上、何日も会えないこともある。職務内容だって教えてもらえないのが普通だろう。きっとわたしはヒューバートと結婚して、一人で彼の帰りを待つのだ。今回のような噂を聞きながら、彼を信じようとしながら。

 果たして彼を疑うことなく待つことができるのだろうか。


「エレオノーラ」


 娘の様子を見かねた母親が心配そうに声をかけてきた。


「どうしたの? 何か悩みでもあるの?」

「お母さま」


 なんでもない、と言いたいのに、言葉が咄嗟に出ない。目の奥がジンとしてくる。泣いてはいけないと、ぎゅっと目を閉ざした。そんなわたしの様子を見ていて、何か思うことがあったのだろう。お母さまが優しくわたしの両手を包み込むんだ。お母さまの優しい手が冷たい手を温めてくれる。

 ゆっくりと目を開ければ、お母さまの優しい笑顔があった。


「最近、ヒューバート様とお会いできている?」

「……いいえ」


 弱弱しい声が出た。

 信じると決めたのだから、もっと堂々と笑顔で言えばいいのに。

 不安定な自分にさらに不安定になる。


「わたしも噂は聞いているわ。でも、あなた達の結婚は王命なの。そう簡単に解消できないわ」

「それならいいのだけど……」

「わたしのお友達も色々と心配して教えてくれたのだけど、噂になっている女性は王女付きの侍女だという話だわ」


 それは聞いている。

 黙ってうなずけば、お母さまはふんわりと笑った。


「知っているようね。ではこちらの情報は知っているかしら?」


 そう言って教えてくれたのは、相手の侍女という女性は子爵令嬢だという事。

 王命をわざわざ取り消してまで彼女との政略結婚は利益がないこと。これを許可してしまうと、王命がとても軽くなってしまうから絶対にあり得ないということらしい。


 そして何よりも。


 街中を親し気に歩いていると言っても、二人で出かけているのではないという。ヒューバートの他に女性騎士が一緒にいるのだそうだ。


「女性騎士が?」


 驚きに呟けば、お母さまはいたずらっ子のように笑う。


「ええ。だから、任務だと思うのよ。それに決して案内した店には入らないそうよ。女性騎士が店に入って、ヒューバート様は外にいるみたい」

「そうなの」


 力が抜ける。てっきり二人っきりで出かけているものとばかり思っていた。


「不思議だと思わない? この噂が意図的に流されたと考えた方がよさそうよ」

「意図的に?」

「そう。周囲が婚約破棄して、その侍女との結婚が不思議でもないようにしているように思えるわ」


 そう言われて、貴族社会の噂とは本当に恐ろしいと思った。自分も貴族の娘として社交界に出入りしていたにもかかわらず、自分自身の身に起こってみれば恐ろしい気持ちしかない。噂だけであっという間に追い込まれてしまう。


 お母さまに婚約破棄はありえないと言われてほっとしたが、同時に自分の情けない性格に落ち込む。せめて自分から噂の真相を調べるべきだった。


 うじうじと悩んで、信じるという言葉を盾に現実を見ないようにして。

 自分の弱さに苦い思いが込み上げてきた。


「エレオノーラ」

「お母さま?」

「もっと強くなりなさい。今のあなたではヒューバート様と結婚したとしても、いずれ心が潰れてしまうわ」


 本当にその通りだと、情けないことに否定することができなかった。



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