新居の準備
婚約が速やかに結ばれて、婚儀の日にちも決定した。元々は申し出をしてから3カ月後に婚約を結び、その後半年後に婚儀の予定だった。
ところがヒューバートの事情により、1か月後には婚約を、婚儀は3か月後に切り替わった。貴族家同士の結婚であっても、爵位を継がない者同士だからこそ可能になる日程だ。
予定よりも早い動きに、準備が忙しくなってくる。婚儀の準備もあるが、他にも二人で住まう新居に、こまごまとした生活用品、それと使用人など決めることが沢山ある。
幸いなことに、新居にどうかと提供されたのはエイル伯爵家の広い敷地内にある小さめの別宅だった。二人とも実家に身を寄せるつもりはなかったので、この申し出はとてもありがたかった。王都で屋敷を探そうと思うとやはり時間がかかる。それにエイル伯爵家の敷地内のため、警護の問題も考える必要がなくなった。
勧められた別邸は小さいながらも独立した屋敷だ。元々は彼らの曽祖父母が爵位を息子夫婦に譲った後に過ごした屋敷だそうだ。ここしばらく使っていなかったようだが、いつでも使えるようにきちんと管理されていた。
使用人の問題もすぐに片付いた。この屋敷を管理していた初老の夫婦をそのままにして、手の足らないところを本邸から手伝ってもらうことになったのだ。わたし付きの使用人は実家からカレンを連れてくることでまとまった。
「思っていたよりも状態がいいな」
ヒューバートもこの別邸を訪れたのは初めてのようで、管理人から案内されながらそう漏らした。
子爵家の我が家よりも一回り小さいが、二人で暮らすのだからこの程度でちょうどいい。数人家族が増えたところで、さほど狭くは感じない。爵位がないので、この屋敷で大規模な茶会や夜会を開くこともない。せいぜい親しい人を茶会や晩餐に招待するぐらいだろう。
「とても丁寧に手入れされているのね」
「ああ。人が住んでいないとは思えないほどだ」
人の住んでいない家はたとえ手入れしていてもやはり傷んでくるものだ。それを感じさせないところに、管理人の思いを知ることができる。
中にも案内されたが、内装は明るくとても気持ちのいいものだった。あちらこちらに雰囲気を壊さないとても素敵な調度品が置かれている。大きく手を入れなくともいいぐらいに状態の良い屋敷に思わず笑みが浮かんだ。
「素敵ですね」
「そうだな。このまま住んでもいいけど……エレオノーラの好みに変えたいところはない?」
「では、カーテンとカバー類は変えてもよろしいですか?」
「もちろんだ。君の好きにしてほしい」
一通り、部屋を案内されて最後に応接室に入った。応接室にはお茶の準備がされていた。長椅子にすわり、ほっと息をつく。明るい色の壁に、柔らかな光が入る。時折、薄いレースのカーテンが風に揺れた。
「とても居心地がいいです」
「結婚式は3カ月後だ。今すぐに思いつかなくとも、変えたいと思った時にでも手を加えていけばいい」
「ええ、そうするわ」
すべてわたしの意見を取り入れるつもりのヒューバートに思わずお礼を言った。彼は首を左右に振る。
「俺がこの家にいる時間よりもエレオノーラが過ごす時間が長くなる。できる限り、気持ちよく過ごしてもらいたいんだ」
「わたし、他に伯爵家の中で何かすることはありますか?」
エイル伯爵家に嫁ぐといっても、当主に嫁ぐわけではない。ヒューバートも伯爵家の手伝いをしていないのでどんなことをしたらいいのか聞いていなかった。ヒューバートも困った顔になった。
「俺は伯爵家については全く関わっていないんだ。こういう事は兄上に聞いた方が早い。今から聞きに行こう」
わたし達は管理人に礼を言って、本宅に戻った。
******
本宅に戻って家令にスコットへ面会を申し込めば、応接室に通された。間を置かずして、スコットがエイル伯爵夫人を伴ってやってきた。
「別宅はどうだった?」
「今すぐにでも住めそうなほど整っていましたよ」
スコットは新居となる別宅について問題ないかを聞いてきた。
「別宅が問題ないなら、何が問題だ?」
どうやら別宅についての相談だと思ったようだ。対座に座ったスコットにヒューバートが面会の理由を告げる。
「エレオノーラに伯爵家の中で手伝うことはないのかと聞かれて、兄上の所に来た」
「なるほどね。ああ、そうだ。エレオノーラ嬢はソフィーと話すのは初めてだったな」
顔合わせの時に紹介はされているが、言葉は交わしていなかった。ソフィーは落ち着いた笑みを浮かべた。
「よろしくね。ソフィーと呼んでちょうだい。姉と思ってもらえると嬉しいわ」
「はい、ソフィー様。これからよろしくお願いします」
「わたしもエレオノーラと呼んでもいいかしら?」
「もちろんですわ」
ソフィーがにこりとほほ笑む。わたしよりも10歳年上であるが、アマンダお姉さまとの年の差も9歳なので抵抗はなかった。ソフィーはとても落ち着いていて、とても頼もしい。
「エレオノーラ嬢の手の空いている時でいいので、ソフィーの手伝いをしてもらえるとありがたい」
「主に奉仕活動と茶会や夜会の準備などよ。この屋敷で茶会は月に一度、夜会は年に数回ほどあるの」
「わかりました」
手伝う内容はコルトー子爵家にいた内容とあまり差はなかった。ただわたしの家は子爵家なので伯爵家の作法は知らない。その心配を話せば、ソフィーはころころと笑った。
「心配しなくとも、手伝ってもらうときにきちんと教えるわ」
「ありがとうございます」
それを聞いてほっとする。
「本当に急な婚約で困っていることはないかしら?」
ソフィーが気を遣って聞いてきた。わたしはヒューバートをちらりと見た後に首を左右に振る。
「忙しいですけど、楽しいですわ」
「ふふ、そうね。自分たちの好みで一つ一つそろえていくのは楽しいわね」
ソフィーもにこやかに笑う。お姉さまと話すときも楽しいが、義理姉になるソフィーとの会話も楽しいものだった。
和やかに4人で話していると、騒然とした音と共に扉が乱暴に開いた。驚いて顔を上げれば、ヒューバートは警戒して剣に手を伸ばしている。
「シルビア」
無作法にも勝手に入ってきたシルビアを見て、スコットが厳しい声を出した。だが、シルビアはわたしだけを睨みつけている。
「出て行って! 貴女がお兄さまと結婚するなんて認めないわ!」
シルビアが甲高い声で叫んだ。驚きに言い返そうとしたがすぐにそれはスコットに止められる。ヒューバートは険しい顔をしてシルビアを睨んでいた。彼の手が剣から離れ、わたしの手を握りしめる。
「出て行くのはお前の方だ」
「スコットお兄さま!」
「この結婚はすでに王家にも認められたものだ。お前の許可など必要ない」
「わたしはエイル伯爵家の娘よ!」
理由にならない理由に、一瞬場が白けた。スコットが呆れたように大きく息をついた。
「お前は何がしたいんだ」
「ヒューバートお兄さまはナタリーと結婚した方が幸せになるわ! どうしてナタリーが修道院へ行かなければならないの」
どうやらウィント子爵令嬢が騒動を起こした結果、修道院へ行くことになったようだ。精神的にも不安定な感じの彼女にその選択肢しかなかったのは気の毒には思う。思うが、それがどうしてヒューバートの幸せと繋がるのかは理解できない。ウィント子爵令嬢だけでなく、シルビアもどこか精神を病んでいるような気がした。
「自分のことしか考えていないような女と結婚してどこに幸せになる要素があるんだ?」
「でも、彼女ほどヒューバートお兄さまを愛している人はいないはずよ!」
「シルビア、それ以上の発言は許さない」
スコットが静かに告げた。とても冷たい声だった。冷ややかなスコットの声にシルビアがようやく口を噤んだ。スコットはじっと妹を見つめながら続けた。
「もし万が一、ヒューバートも結婚したいと思ったとしても、ウィント子爵家の令嬢との結婚はエイル伯爵家としては認められない」
「え?」
「ウィント子爵家は爵位を売っても返しきれないほどの借金がある」
「借金?」
どうやらシルビアは知らなかったようだ。直接ウィント子爵家との関係がないわたしですら知っているのに、どういうことだろう。
ちらりとヒューバートを見たが、彼の顔からは何も読み取ることができなかった。
「そうだ。ウィント子爵は借金の肩代わりを望んで、ウィント子爵令嬢とヒューバートを結婚させたかったのだろう。ヒューバートと結婚したら幸せになる、そう囁かれたウィント子爵令嬢が妄想を膨らませた。本人たちだけだったら実現性がなくて放置しておいてもよかったが、それを悪化させたのはシルビア、お前だ」
「嘘、そんなこと聞いていない」
「少し聞けば誰もが知っている話だ。知らないのなら、お前は貴族夫人として無能なのだろうな」
冷笑されて、シルビアの顔色が蒼くなった。ぎゅっと握りしめる手がかすかに震えている。
「今回のことは、前回の騒動も含めてかなり色々な方面に無理をした。これ以上お前を放置しておくわけにはいかない。お前はしばらく両親のいるエイル伯爵家の領地に帰れ。ダーレン子爵には里帰りを申し出ておく」
「なんで、なんで……」
「これからをどうするかはお前次第だ」
離縁するのか、心を入れ替えて嫁ぎ先に戻るのか。
そんな厳しい声が聞こえた気がした。




