彼の事情と婚約
ヒューバートの兄であるスコット・エイル伯爵はため息を吐いた。彼と顔を合わせるのは二度目だが、一度目は直接会話をする機会はなかった。気持ちも舞い上がっていたので、ヒューバートのお兄さまという印象しかない。
こうして冷静に二人を見比べれば、似ていないようで小さなところが似ていた。ヒューバートの方が近衛騎士として鍛えているせいか、体格がいい。それがスコットよりも大きく見せていた。
「ウィント子爵は娘を嫁がせるか療養させると言っていたんだが」
「シルビアが一緒にいた。あいつが元凶だろう」
「一体、何をしてくれているんだ」
低くぼそぼそとした声で会話する兄弟にわたしは黙っているしかなった。まったく事情が分からない状態で、非常に居心地が悪い。
二人の会話から、先ほど突っかかってきたナタリーと呼ばれた女性がウィント子爵令嬢だと知る。同じ子爵家であるので、名前だけは知っていた。
流石に親しい間柄ではないので、どのような家族であるかはわからないが、ウィント子爵と言えば社交界、いや経済界で悪い意味で有名だった。
コルトー子爵家はお父さまが堅実であること、お姉さまが優秀であるので数ある子爵家の中でも豊かな家だ。領地経営が下手な伯爵家よりも裕福かもしれない。
一方、ウィント子爵家は主軸にしていた事業に失敗し、かなりの借金があると聞いていた。経営に携わらないわたしですら知っている情報だ。その上、ウィント子爵夫人は見栄っ張りでとても浪費家だとも噂されていた。
「コルトー嬢、本当に申し訳なかった」
ヒューバートの説明で今日の出来事を理解すると、スコットは謝罪をしてきた。わたしは突然の謝罪に戸惑った。
「謝ってもらう理由がわからないのですが」
「今日の出来事はさぞかし不快だったろう。あの原因を作り出したのが妹のシルビアだ」
妹と聞いて、先ほどの女性を思い出した。とても華やかな美しさを持つ女性だった。
「わたし、まだ紹介されていませんが……」
もちろんヒューバートには妹がいて、子爵家に嫁いでいることは知っている。だが、顔合わせはしていない。
「そうだろうな。ヒューバートはシルビアを嫌っているから紹介されていなくても不思議はない」
どうやら紹介されていないことは、納得できる状況のようだ。やはりよくわからず首を傾げれば、スコットが苦笑交じりに説明を始めた。
ナタリー・ウィント子爵令嬢はシルビアのとても親しい友人で、この屋敷で行われた茶会の時にたまたま家にいたヒューバートと挨拶をした。その時にナタリーはヒューバートに恋をしたそうだ。
恋をしたナタリーはシルビアに相談し、恋を成就しようとあれこれアプローチした。ところが、ヒューバートには彼女と恋人になる気もなく、紹介しようとしていたシルビアを無視していた。さらに仕事が忙しく、シルビアのことをすっかり忘れて放置していたそうだ。
焦れたシルビアとナタリーは周囲にヒューバートとは結婚を約束した仲だと社交会であちらこちらで話して回った。シルビアも一枚かんでいて、さも婚約間近だと思わせた。
その話を聞いて、わたしは開いた口が塞がらなかった。貴族の婚約は爵位を継がない者であっても、国に届け出をするのが普通だ。証人を付けて届け出ることで、簡単に破棄しにくいものにするのだ。もしも破棄するような場合は、破棄を申し出た家が国と証人、婚約していた相手に相当の賠償を払うことになる。一般的な貴族では状況によって届け出をしない場合もあるが、騎士団所属の騎士は相手の身元を明確にするため、結婚する時には国に届け出が必要なはずだ。
だから、口約束で婚約が成立することはまずないのだ。
「これを知ったヒューバートがウィント子爵令嬢を拒絶し、ウィント子爵には二度と近づけさせないと約束させたはずだった」
「もう終わった話だと思って話さなかったんだ。まさかまだ婚約者だと思い込んでいたとは」
ヒューバートが疲れたように付け加える。
「未だに婚約者だと思い込んでいたことと、シルビアが関わっていることを考えると婚約は早めにした方がいいと思うのだが、コルトー嬢はどうだろうか?」
「俺からも頼みたい。婚約してくれないだろうか」
スコットはすぱんといい音を出してヒューバートの頭を叩いた。ヒューバートが痛そうに頭を抱える。
「違うだろう? 少し二人で話し合え。今、庭のバラが満開だ」
追い払われるように部屋から出された。どうやらスコットは気を遣ってくれたようだ。くすりと笑うとヒューバートがため息を吐いた。
「すまない。庭を案内するよ」
彼はそっとわたしの手を取ると庭の方へと歩き始めた。
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庭は薔薇が満開だと言っていた通りに見事なまでに咲き誇っていた。誘われるまま庭を歩けば、仄かに香るバラの香りに包まれる。好きな人に手を引かれ、美しいバラと香りに気持ちが次第に落ち着いてきた。先ほどまで胸の中に会った漠然とした不安が霧散した。
「決してウィント子爵令嬢が理由とかではないんだ」
どれくらい歩いただろう。四阿が見えてきたところでヒューバートが口を開いた。わたしはじっと彼の顔を見つめる。彼はこちらを見ずに話し出した。
「ただ、あの女と妹のせいでエレオノーラとの結婚がダメになってしまうのではないかと……」
「ヒューバート様」
わたしはつながった手を強く引っ張って立ち止まった。立ち止まったことで自然と彼がわたしの方を向く。その目を真っすぐに見つめた。
約束の時間は3か月、まだ1か月しか経っていない。だけど彼と一緒にいる居心地の良さを十分知っている。彼は忙しい中、時間を作っていた。忙しいのなら、結婚後でもいいのだがそれでも気持ちを向けてくれた。
そのことがとても嬉しくて。できることなら、ずっと一緒にいたい。
「ヒューバート様、好きです」
「エレオノーラ」
「ですから」
結婚してほしいと言おうとしたところ、彼の指で唇が封じられた。ヒューバートはひどく真面目な顔をしてわたしを見下ろしていた。
「その先は俺が言いたい」
そっと指が外されて、ヒューバートが膝をついた。彼はわたしの両手を自分の手で包み込んだ。
少しだけ冷たい手のひら。
緊張しているのかもしれない。
それはわたしも同じだった。
「エレオノーラ、君が好きだ。俺と結婚してくれないだろうか。近衛騎士という職業柄、あまり側にいてやれず苦労をするかもしれないが、俺は君と一緒になりたい」
あまりにも真剣に見つめられ、喉が渇いた。握られた手が徐々に熱を持つ。
「返事は?」
「お受けします。末永くお願いいたします」
まっすぐに見つめられる視線が恥ずかしくて、頬が熱くなる。ヒューバートは立ち上がるとそっと抱き寄せた。少しだけ屈むと彼は優しいキスをした。いつものようにただ合わせるだけのキスだと思っていたら、突然唇が割られた。
深いキスに体から力が抜ける。彼に寄りかかるようにして支えられた。
「ごめん、立てるか?」
「……」
恥ずかしくて彼の胸元に顔を隠した。頬が異常なほど熱く、絶対に真っ赤になっている。
耳元でくすくすと笑う声を聞いて、ますます頬の熱が増した。
キスに慣れたと思っていたのに。
今までのキスが本当に軽いものだと身をもって知った。




