15 予想外の出来事Ⅲ
どうして海斗は、弱点を突かれるとこうも面白くなるのだろう。
ダンスフロアにいる海斗達を見下ろすように、深矢は二階の手すりに手をつき、グラスに入ったワインに口をつけながらフフッと笑った。
海斗の弱点は三つある。
一つは『茜』。これはもう既に散々揶揄ってきた。茜に対する想いは一途過ぎて、偶に周りが見えなくなるらしい。
二つ目は『予想外の出来事』。海斗はその場にあるありとあらゆる情報を使って、未来を予測する。超能力的なものではなく、あくまでも計算に基づく予測だ。海斗の立てる作戦はその予測に則って作られ、その作戦は絶対だ。
しかし現実では、予測し得ないハプニングが起こることがある。大抵のハプニングは、起きるものとして予測の計算に入っているが、それでもカバーしきれないハプニングが起きた時。それが海斗の弱点だ。
例えば、先程まで海斗にまとわりついていた、粘着の強そうな男。あれは確実に、予測外のハプニングだろう。もちろん設楽に近付いた刑事もだ。
そして三つ目が海斗の姉『冴島瑠奈』。もちろん深矢も驚いたが、海斗はそれ以上に愕然としていた。海斗が姉の瑠奈を苦手としていることは昔から変わらないらしい。
とにかく、海斗の弱点が三連続ヒットだ。面白いほどに慌てふためく海斗を見れたのは楽しいが、普段なら心強い司令塔が機能しなくなったのは痛手だ。
ここからは茜と二人でどうにかするしかないのだから。
ダンスミュージックが派手に鳴るボックスの中で、深矢は静かに目を走らせる。
設楽はフロアのVIP席で数人の女と笑い合っている。まだしばらくは動かないだろう。
設楽が裏へ下り一人になる時。そこが暗殺部隊の狙い目だ。そこを切り抜ければ――
その時ふと、背後に視線を感じた。
こういう時、振り向くのは得策ではない。深矢は持っていたグラスをさり気なく掲げ、背後を反射させる――女か?
「こんばんは」
それを認識したと同時に、声がかけられる。振り向くと予想通り、一人の女性が立っていた。
「ごめんなさい、気になったから声かけちゃった。隣いいかしら?」
三十に近い二十代。そんなところだろうか。この会場にいる女性の年齢層でいったら、半分よりは上だろう。
「ええ、どうぞ」
そう微笑んで返すと、女は深矢の右隣に立った。
「こういう所は初めて?」
女が手すりに肘をついた所為で、設楽の居場所がちょうど女の手と重なって見えなくなる。……くそ。
しかし表情に出すわけにもいかず、深矢は肩をすくめた。
「はい……友人に誘われたんですが、どうも騒がしいのは苦手で」
女の方へ体を向け、設楽が視界に入るようにする。そうしてから、深矢は女に向かってはにかんでみせた。
「もしかして、自分と一緒で騒がしいのは苦手ですか?」
真正面から見つめれば、女は気恥ずかしそうに視線を逸らす。
薄暗さの中でもよく見れば分かる、その化粧の厚さは年齢を隠す為のものだろうか。ただ踊りはしゃぎに来たには作り過ぎている、そう見えた。
「昔は好きなだけはしゃげたのに。年のせいかな」
……まぁ、設楽が動き出すまでの暇つぶしだ。年上の女性の気まぐれに付き合うのも、偶にはいいだろう。
「女の人って、すぐ自分のこと老けたって言いますよね。そんなことないのに」
なんてことないように言えば、おだてるのが上手ね、と女は微笑んだ。
「ねぇ、彼女はいるの?」
「いませんよ。意外ですか?」
「うん。落ち着いてるからかな、そんな雰囲気がある」
「雰囲気、ですか。居ないのに言われると悲しいですね」
「ふふっ、ごめんなさい。じゃあ、どんな子がタイプなの?」
そう聞かれ、頭に由奈が浮かんだ。月光に照らされ、神秘的に微笑む記憶の中の由奈。
「……野良猫みたいな子です。中々近寄らせてくれないけど、心を開いたらすごく懐いてくれるような」
由奈には野良猫という形容がぴったりだ。寂しそうな姿で人を惹きつける儚さがある。
「随分と具体的ね。分かった、周りにそういう子いるんでしょ」
予想外の鋭さに、思わず手が止まった。どうやら女の勘を舐めていたようだ。予想外に弱いのは、深矢も同じらしい。
深矢が苦笑すると、女は得意げな顔をした。
「それで?その子とはいつ出会ったの?」
話しても構わないだろう。そう思い、昔の記憶を手繰り寄せる。確か由奈と初めて会ったのは――
「……十歳だったかな」
「あら長いのね!幼馴染ってこと?」
「言い方を変えれば、そうかもしれません」
深矢と由奈の出会いは複雑だ。複雑で特殊で、それでいて自分たちなりに素敵な出会いだ。
初めて由奈と会った時、彼女は暗い部屋で鎖に繋がれていた。
「それだけ長い付き合いで、飽きたりしないの?」
「飽きませんよ。二人といないような性格の子ですから」
「……この先も、ずっと好きでいるって言える?」
「はい。……多分」
なぜだ?
深矢はそう答えた自分を疑った。どうして、多分だなんて付けたんだ?
案の定、隙を見つけたかのように女は身を乗り出した。
「何かあったの?」
……まぁ、時間潰しにはいいかもしれない。
深矢は最近の由奈を思い浮かべながら、引きつった笑いを浮かべた。
「特には何もありませんよ。ただ、何というか……普通になったんです」
「面白いことを言うのね。変わってる方が好きなの?」
「そういうわけじゃありません」
お洒落なお店に喜ぶ由奈。
『真夜中の高速でマフィアとカーチェイス』というデートプランを、恥ずかしいと言った由奈。
由奈は昔と比べて普通になった。どこにでもいそうな女の子に似るようになった。
悪いこととは言わない。だが、物足りない気がするのはなぜだろうか。
「……ダメね」
ふと顔を上げると、女は首を横に振っていた。
「その幼馴染のこと、ちゃんと好きなのね。私の入る隙なんてあったもんじゃないわ」
……当たり前だ。
哀しそうにグラスに視線を落とす女性を見て、愛おしそうに深矢は微笑む。その目に映っているのは由奈だけ。
自分が一番に想う女は今も昔も由奈であり、これからもそれが変わることはない。……恐らく。
一抹の不安が過ぎったが、それも一途なその想いも全て閉じ込め、深矢は女に向かってはにかんで見せる。
本心を込めず、薄っぺらい笑顔で。
「貴女みたいな素敵な女性からしたら、俺なんて餓鬼みたいなものでしょ」
「そうかもね。でもそこが可愛いのよ」
女が視線を落とした隙を狙って、下のフロアに目を走らせる。下のフロアで設楽が動き出していた。海斗は相変わらず身動きが取れないし、茜もフロアから消えている。そろそろ潮時だ。
「あまり年下を揶揄わないでください。本気で惚れたわけでもないのに」
「……冷たいこと言うじゃない。本気かもしれないのに?」
「まさか。だとしたら貴女はただの噂好きのミーハーですよ」
言いながら女性の顔を覗き込む。女性の表情が一瞬固まったのを、深矢は見逃さなかった。
「俺の足止めをしたかっただけですよね、暗殺部隊の構成員さん。俺が秋本深矢だって気付いて近付いたんでしょ?」
トドメを刺すように言い放つ。
一拍置いてから、女性は打って変わって冷たく笑い飛ばした。
「なんだ、気付いてたの。演技に乗っかってくれるなんて優しいのね」
「ちょっとした暇つぶしです」
「それで年上を揶揄うって、いい趣味してるじゃない……いつ気付いたの?」
「最初から。何なら、こうやって鷭の誰かが俺に近付くことも予想済みでした。俺、有名人らしいんで」
もちろん、予想したのは海斗である。あらゆる予測をし尽くした海斗が総合的に判断したのだ、こうして構成員と引き合わせることが最善だと。
「読まれてるなら話は早いわ。お願いがあるの」
女が身体をこちらに向け、毅然とした表情を見せる。
「私達の邪魔をするようなら、即刻出て行ってくれない?」
「嫌だと言ったら?」
「処理の対象が数人増えるだけ」
「じゃあ一つ、取引をしませんか」
海斗がこうさせた理由。その一つはこれだ。
「任務対象が持っている情報が何か、教えて下さい。それさえ教えてもらえれば撤退します」
女の毅然とした表情が強張る。
「……貴方、任務でここに来ているの?違うわよね?」
「質問権があるのはこっちですよ」
「私用で来てる餓鬼に情報を漏らすわけにはいかないわ」
「それじゃあ取引不成立ですね。どうぞ、俺を殺してみて下さい」
言いながら、女の持っているグラスと自分のとを合わせる。可憐な音はダンスミュージックに掻き消されたが、音がした瞬間に会場内の数人がピクリと動いたのを深矢は見過ごさなかった。一人は下のフロアのバーテン。そしてもう一人はVIP席で女に囲まれた男だ。
彼らの注意を引きつける、これも海斗の思惑だった。
そしてその通り、女は下のフロアに見向きもせず深矢を訝しげな表情で睨んだ。
「貴方、自分が何をしようとしてるか理解してるの?正式な任務に就いている私達の障害になるってことは……」
「お心遣いをどうも。でも、俺は元々組織から歓迎されてない存在なんです。俺の経歴を知ってたら分かるでしょう?」
「だからって……」
真っ直ぐに見据えれば、続きを言おうとした女は力が抜けたようにため息を吐いた。やれやれと首を振る姿に、賭けに勝ったのだと確信する。
「……貴方って本当、隙の無い人ね」
「さっきの話ですか?」
「似た話よ。真っ直ぐで融通が利かない。走り出したら止まらない。茨の道で傷だらけになっても走り続ける。危なっかしっくて相手にしてられないわ」
「……まるで飢えた猪みたいな言い方ですね」
「そういう所は似てるわよ。血が繋がってるのかは知らないけど」
それは近くに居るはずの弟のことだろうか。何となくその意味を考えていると、女は少し俯いて何かを呟き始めた。その唇の動きを読んで、深矢は思わず笑ってしまう。
作戦を中止する。女の唇はそう動いていた。ここに送られた構成員に向けて言ったのだ。
「いいんですか?」
「今日じゃなきゃいけない理由はないわ」
呆れた口調の女は、何か言いたげな様子だった。気になって覗き込むように見つめてみる。この女が年下の男に弱いことは、最初に話した感触で掴んでいる。案の定、観念したらしくため息を吐いた。
「……本当のことを言えば、任務対象がどんな情報を持っているのか、知らされてないのよ。普段ならそんなこと気にしないんだけど、問題児が関わっているのなら話は違う。こんな不穏な任務、大真面目にやる方が馬鹿を見そう……っていうのが、大きな理由よ。じゃあね」
言うだけ言って、去ろうとした女の手首を引き止めるように掴む。
「感謝します。あと、最初に言った老けてないってあれ、お世辞じゃないですよ」
「……色仕掛けが露骨よ。そういう殺し文句は彼女に言ってやりなさい」
平然と腕を振り払い、女は人混みに消えて行く。
露骨、か。
勘の鋭い人だ。あと一押しすれば良い情報提供者として協力してもらえると思ったのだが、その勘に打ち消された。
……まぁいい。今は任務に集中するとしよう。
暗殺部隊は引き下がったし、その他の邪魔者もいない。海斗が不能になったのは困ったが、どうせここからは茜と深矢の出番だ。
フロアに目を走らせ、任務対象と茜の所在を確認。
設楽はバックヤードへ消えるところだった。
少し出遅れた。急ごう。
人波を縫うよう、深矢は設楽の元へと急いだ。




