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営業所前日

「……さあ、ここからは仕上げよ。建物ができたら、次は中身を極限まで磨き上げるわ」



私はエクス号を振りかざし、新しく生まれ変わった浴場へと足を踏み入れた。




しかも、おじいさんが震える手で持ってきた分析ログを読み解くと、地下に驚くべきものが眠っていた。

炭酸水素塩泉、硫酸塩泉、そして硫黄泉。


これら三つの希少な泉質が混ざり合うなんて、帝国史上初とも言える。



「これほどの泉質、帝国の記録を検索しても他に例がない。なら、演出もそれに相応しい最高級のものにするわよ!」


私はさらに魔力を注ぎ込み、宿の一部を再構成した。



まずは、視界の最適化。

断崖の一部を魔法で削り取り、露天風呂から黄金の夕日が遮るものなく飛び込んでくるように増築した。(絶対、法に触れるけど)


お湯に浸かれば、水平線に溶けていく太陽と一体化できる、究極の没入感を演出する。



内湯の天井は、高く聳えるような三角錐の形状のものを追加で発注した。

立ち上る湯気が一点に集まり、そこから光の粒子となって降り注ぐ様は、まるで神殿のような神秘的な空間を作り出す。



さらに、掘削の過程で偶然検出された、深淵のような「黒湯」のデータも見逃さなかった。

「黒湯」は独立した浴槽として統合し、白銀の建築物との鮮やかなコントラストを際立たせる。






「……どう、じいさん。これなら文句ないでしょう?」


湯煙の中に浮かび上がるその光景は、もはや単なる宿ではなく、一つの聖域と化した。

おじいさんはそのあまりの美しさに、言葉を失ってただ涙を流していた。



「……ああ。わしの代からずっと夢見ていた光景が、今ここにある。マリアさん、あんたは本当に……」


「うん!お礼はなくていいからね。さあ、港の連中! ぼさっと見惚れてないで、一番風呂の準備をしなさい。温度設定はコンマ一度単位で管理すること。いいわね?」


「ハッ! 了解しました、姐さん!!」



男たちが一斉に持ち場へ散っていく。

夕日に照らされた新しい温泉宿が、この街に新しい伝説の始まりを告げていた。





* * *




作業は夜まで続いた。

私が一番風呂には入るころには、すっかり夜が更けていた。




「……ふぅ。まずは、このシステムの最終動作確認が必要ね」




私はそう言い放つと、掘り出されたばかりの「黒湯」へと静かに身を沈めた。


肌に触れた瞬間、とろりとした濃厚な魔力水が全身を包み込み、酷使した私の回路に溜まっていた熱を優しく吸い上げていく。



沈殿していた疲労が、一気に洗い流されていくような最高の感覚。

私は三角錐の天井を見上げ、深く、深く息を吐き出した。




その時。



水平線の彼方、深い藍色に染まっていた空の端が、鋭い一筋の朱色に切り裂かれる。

それは静寂を破る合図のように、一気に鮮やかなオレンジ、そして燃えるような黄金色の帳が揺れた。



「……始まったわね」



三角錐のクリスタルドームを透過した光が、プリズムとなって浴場内に降り注ぐ。

黒湯の湯面は、鏡のように朝焼けを映し出し、周囲を燃えるような赤と金色の波紋で満たしていった。




「……いい目覚めね。じいさん、最高よ」


私は光り輝く湯面を見つめたまま、ぽつんと呟いた。







* * *






湯から上がった私の前で、男たちがまるで王族を迎える騎士のように、一糸乱れぬ動きで膝をついた。



「お待たせしました、姐さん!」



差し出されたのは、昨日まで私が滞在していた高級宿から、支配人が震える手で差し出してきたであろう最高級の純白タオル。

私はそれを無造作に受け取ると、まだ火照っている肌を軽く押さえた。




そこに、男たちの列を割るようにしておじいさんが歩み寄ってくる。

その手には、湯気とともに鼻腔をくすぐる、あの懐かしくて甘い、香ばしい匂いがのった小皿。



「高級宿の豪華な茶菓子もいいだろうが……。わしの、この枯れた指で作った茶菓子も食べておくれ。あんたが直してくれた、この温泉の守り神への供え物だ」



おじいさんの声は少し震えていたけれど、その瞳には職人としての誇りが、かつてないほど鮮やかに光っている。私は思わず、微笑んでしまう。





私は何も言わず、差し出された茶菓子を一つ、指先で摘み上げた。





一口、口に含む。




「…………ッ」






高級宿の計算され尽くした甘さとは違う。

茶菓子の有名なこの地域でも、頭一つ二つ、いや三つほど抜けている。



「……んんっ。やっぱり、仕様書通りにはいかないわね」




私は空になった皿を見つめ、少しだけ目を細めた。



「甘みのバランス、食感のテクスチャ、そして隠し味……。どれをとっても、どれもいい出来栄えね。……驚いたわ。これなら、帝国中の令嬢たちをここに引き摺り込んでも、文句は言わせないわ」


「ははっ……! ありがてえ。最高の褒め言葉だ」




おじいさんの顔に、今日一番の笑顔が咲いた。

それを見た港の男たちが、またしても「姐さあああん!」「お師匠おおお!」と泣きながら万歳三唱を始める。




「……ちょっと待ちなさい。あんたたち、なんでいつの間にか私をそんなに慕ってるのよ? 昨日まで『ドチビ!』とか『得体の知れない女』とか、散々暴言を吐いてたじゃない!」



私が腰に手を当てて問い詰めると、作務衣を着た若造が頭を掻きながら、意外なことを口にした。



「あー……姐さん。それ、輸出入営業とかフォワーディングの連中っすね。あいつらデスクワークの癖に、現場の俺たちよりプライドが高くて自信家で、マジでめんどくさいんっすよ。自分らが一番偉いと思ってっから、姐さんみたいな強キャラ見ると、とりあえずマウント取らねえと気が済まないんっすね」



若造は、自分の胸元をポンと叩いて誇らしげに続けた。



「あ、俺たちは作業課(現場)です! 姐さんがクレーンを一瞬で凍らせて、あのクソ重い塩の塊をバット一本で粉砕したのを見て……システムを撃ち抜かれちまったんっすよ。理屈じゃねえ、圧倒的な『パワー』と『美学』……! あれこそが俺たちの目指すべき完成形だ、って!」





シーーーーーーーーン。






ロビーに、冷徹な静寂が流れた。


……え、何それ。つまり、あのアホみたいに絡んできた連中と、今こうして忠誠を誓ってる連中は、同じ「港の男」でも全く別部署の人間だったってこと?




私はバットを担いだまま、あんぐりと口を開けて固まってしまった。




「……じゃあ、何。私は、あのお門違いな営業職のせいで、あんたたち現場職まで敵だと思って……あんな扱いを……」


「いや、むしろ感謝してるっす! 姐さんがあの鼻持ちならない連中を文字通り『凍結』してくれたおかげで、現場の俺たちの評価が爆上がりなんすから! 今や姐さんは、俺たち作業課の絶対的な神、建築と破壊の女神様っす!」



「「「姐さあああああん!!!」」」



再び巻き起こる、むさ苦しいほどの熱い声援。



……やだ、私の計算式に大きな誤差が出てた。

まさか港の組織図まで把握して動かなきゃいけなかったなんて。



「……はぁ。もういいわ、私は間違って、違う連中を連れて来たのね。でも、あんたたちが『作業課』なら話は早いわ。この温泉のメンテナンス、一点の失敗も許さないわよ?」


「ハッ! 命に代えましてもッ!!」




あんぐりした顔を無理やり引き締めて、私はおじいさんの茶菓子をもう一つ口に放り込んだ。

……全く、想定外のことばっかり増えていくんだから!




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