客は閣下
「さあ、伝説の始まりよ!」
私の掛け声とともに、おじいさんと並んで真新しい暖簾を掲げた。
その瞬間、待ちわびていた群衆から地鳴りのような歓声が上がる。
昨日までの瓦礫の山が、今や帝国全土を探しても見つからないような「奇跡の湯」に豹変した。
* * *
おじいさんは、脱衣所の前で常連客たちと「いやぁ、昨日は死ぬかと思ったよ」なんて笑いながら、いつものように茶菓子を配り歩いている。
その隣で、私はキリッとした顔で番台に座り、宿全体のセキュリティとリソース管理を統括していた。
「はい、お釣り。……計算が合わない? 私の暗算にバグがあるって言うの? はあ!?」
「あ、そこのアンタ! タオルは返却ボックスに入れなさいって言ってるでしょ! 事務的に、迅速に!」
出てくる客たちはみな、私の「圧」に押されつつも、お風呂上がりのあまりの軽やかさに「……最高だ」と呟いて帰っていく。
肩こりも、ストレスも、この温泉宿にかかれば、すべて一瞬で消去されるはずだ。
* * *
いつものように、私は番台でエクス号を磨きながら、客たちのログを監視していた。
おじいさんは相変わらず常連客と「この前の茶菓子の隠し味、実はな……」なんて楽しそうに談笑している。
すると、そんな穏やかな空気を切り裂くように、宿の入り口からひどく重々しい足音が響いてきた。
現れたのは、磨き上げられた漆黒の軍靴に、勲章が並んだ重厚な軍服。
見るからに「軍のお偉いさん」とわかる、威圧感の塊のような将軍閣下だった。
背後には、いかにも神経質そうな副官たちが、むすっとした顔で控えている。
「ここが、巷で噂の『奇跡の湯』か。……ほう、番台に座っているのは、ただの娘ではないようだな」
将軍の鋭い視線が私を貫く。
「……閣下。そんなに肩をいからせてちゃ、せっかくの最高級軍服が台無しですよ。あなたの背中、今にも過負荷で火を吹きそうなほどガチガチじゃない」
「なっ……! 貴様、閣下に向かって何という無礼を!」
副官が血相を変えてバットに手をかけようとしたけれど、将軍はそれを手で制する。
彼は少しだけ口角を上げると、重い溜息とともに軍帽を脱いだ。
「構わん。……図星だ。連日の作戦立案で、私の身体はもはや鋼鉄の甲冑を着ているかのように動かん。この娘の言う通り、私の軍団は反乱寸前なのだよ」
「なら、四の五の言わずにさっさと入浴してきてください。」
私は事務的に、けれど少しだけ温度を込めて、一番高い「特選・黒湯」の鍵を投げ渡した。
「じいさん、閣下に最高の茶菓子の準備を! 糖分不足で判断力が鈍ってるみたいだから、最高濃度のやつをお願いね」
「合点承知だ、マリアさん! 閣下、今日のは特別にキレがいい素材を使ってますぞ」
将軍は驚いたように目を見開いたけれど、すぐにおじいさんの人懐っこい笑顔に毒気を抜かれたみたい。
数十分後。
湯船から上がってきた将軍は、もはや別人のような顔をしていた。
鋭かった目元は柔らかく弛緩し、岩のようだった肩は驚くほど滑らかに動いている。
「……信じられん。帝都の最高級療養所でも、これほど劇的に変わったことはなかった。マリアと言ったか。……貴殿はこの国の宝、いや、最高の技術者だな」
将軍はおじいさんから手渡された茶菓子を一口食べると、まるで少年のように破顔した。
軍の規律を一時停止して、ただ一人の人間として、顔をほころばせている。
「お世辞はいいから、帰ったら軍の連中に『肩こりを治したければバットの娘のところへ行け』って触れ回っておきなさい。……宣伝費、高くつくわよ?」
私は番台で不敵に笑いながら、新たな「VIP客」のデータをシステムに登録した。




