乗馬とミモザとアーサーと part3
「さて。アーサーは追っ払ったわよ。レスターは構わないんでしょう?」
ノーラはヘンリーに問いただした。
「あんたが手に入れた情報で、アーサーに知られると困る話って、なんなの?」
ヘンリーはレスターの方をちらりと見ると、腹を括った様に話し出した。
MI6からの帰路、尾行された話、そしてそれが身内の保安局だった事。
「今回の件で、圧力をかけて来ているのはドイツとイタリアだけじゃあないんだ。
他ならぬハワード氏自身から、捜査の中止要請がイギリス政府に出ている」
「……なるほど。そりゃあ死ぬ思いでイギリスまで来て、悪戦苦闘しているアーサーには聞かせたくない話ね」
ノーラはさほど驚いたそぶりも見せず、レスターの方を振り向いた。
「レスター、あんた何か聞いていないの?」
「……いいえ、全く」
「ほんと?ちょっとくらいあるでしょう?」
「例え、何か知っていたとしても私の口から話せる事はございません」
レスターは顔色ひとつ変えず答えたが、その気取った様な喋り方がノーラの癇に障ってしまった。
ノーラのオッドアイの瞳がギラリと鋭く光り、体全体から怒りのオーラが静かに立ち昇った。
「へええ、あんたそんな腹芸ができる様になったんだ。これはびっくり、驚いたわあ」
レスターを見つめる眼に、静かな声の響きに鋭利な刃物を首筋に突き立てる様な圧力が感じられる。
「あんた……あたしのこと舐めてる?その気になれば、あんたの意思なんか関係なく、知りたいことぐらいいつでも聞き出せるのを忘れちゃったのかな?」
その迫力はレスターに、自分の目の前にいる相手が言葉を喋る自由気ままな美しい白猫などではなく、およそ七百年以上の時代を生き、かつては“はじまりの魔女”と呼ばれヨーロッパ全土を震え上がらせた恐るべき怪物であることを思い出させるのに十分だった。
「い、いいえ、ノーラ様。決してその様なことは」
いつも冷静なレスターの声が震え、額に大量の汗が浮かんでいる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、姉さん」
「……坊や、あんたもあんまり勘違いしないでね。契約によりあたしが守るのはウォルズリーの継承者たる者だけ。虫の居所が悪ければ、あんたやレスターも含めてこの辺り一面、一瞬で焼け野原にもできるのよ?」
射竦める様な視線のその凄まじい迫力に、さすがのヘンリーも言葉を失ってしまった。
「ノーラ様。お気に障ったのであれば、お詫びいたします。誠に申し訳ございません」
レスターは深々と頭を下げ謝罪した。
「ですが、申し上げました様に、ご当主様からは何も聞かされていただいてはおりません。ただー」
「ただ?」
「二人の弟様が亡くなられる直前、これから何があっても動じない様に、とは申しつけられております」
「ふん。何もかも、承知の上って訳ね」
ノーラは何か考えるそぶりを見せたが、軽くあくびをするとチェアから飛び降りた。
「まあ、いいわ。肝心なことはハワード本人に聞かないと仕方ないわね。
レスター!いい加減アーサーもバテてる頃でしょう。迎えに行ってやってね。あたしは先に城に帰るわ」
そう言い残すと、一瞬で姿を消してしまった。
ふうーっと深いため息をつくと、座り込んでしまったレスターにヘンリーが声をかけた。
「大丈夫かい?父さん。しかし、おっかなかったなあ。あの迫力にはびびらされたよ」
「……あんなもんじゃない。あの方の本当の凄さ、恐ろしさはあんなもんじゃないんだ」
「え?」
レスターはポケットからハンカチを取り出し額の汗をぬぐうと、静かな声で話し出した。
「先の欧州大戦の時だ。多くの貴族や王族の子弟が志願兵となったが、中でもハワード様は誇りあるウォルズリー家の当主として、先陣を切って出兵された。当然、私もお供した」
「いわゆる“ノブレス・オブリージュ”、持つべき者はそれに伴う義務を背負わなければならないって考えだね」
「そうだ。そして我々の部隊はハワード様の強い希望により、最前線の西部戦線に投入された。
だが、ドイツ軍との戦闘は予想以上に熾烈を極めた。長く築かれた塹壕に手を焼いた上に、機関砲や毒ガス、火炎放射器、戦車などの多くの新兵器が投入され、われわれ連合国側に不利な戦況が続いていたんだ。
そんな時だ。ご当主様に同行していたノーラ様が、長く続く膠着状態に『もう飽きた』と言い出したんだ」
「……飽きた?」
「ああ。何せ最前線では、ロクな食事も酒もなかったから、美食家としては我慢できなかったらしい」
「なんだよ、その理由。で、どうなったの?」
「あの方はたった一人でドイツ軍の拠点に乗り込み、一万人とも二万人とも言われる敵一個師団を、あっという間に全滅させてしまったんだ」
「はあ?嘘だろ!?たったひとりで!?」
「嘘じゃない。今でも覚えている。ノーラ様がその姿を白い魔女に変えたと思うと、疾風の様に敵の築いた塹壕を軽々と飛んで超えていく姿を。
そして次の瞬間、凄まじい轟音とともに巨大な火柱が広範囲に渡って立ち上がり、敵兵たちを焼き殺したんだ。
ハワード様は何も言わず、黙って見つめていらっしゃったが、私はその美しさに、思わず見とれてしまった。
プロテスタントのお前には理解できないだろうが、カトリックの私には、それが“煉獄”に思えたんだ」
「煉獄……罪を背負った人間が天国に行くための清めの火ってわけか」
「ああ。そしてノーラ様は戻ってきて一言、『お腹が空いたから先に城へ帰るわ』と仰られ、そのままイギリスに帰ってしまったんだ。
あの方こそ、本物の魔女だ。ウォルズリー家が長い歴史の中で栄華を誇っているのも、あの方が守護者として存在しているからなんだよ」




