黒い服の女ニナ part3
カツン、カツン、カツン。
乱痴気騒ぎの最中なのに、なぜかその足音は階下にいた人間たちの注意を引いた。
階下のすべてのものが注目する中、その女は二階からゆっくりと降りてきた。
背中まである黒髪は緩やかなウェーブがかかり、鴉の様と表現するのが陳腐なくらいに、艶やかである。
身体にピッタリと沿った黒いドレスは肩から背中までの美しいシルエットを露わにし、大きく開いた胸元からは、今にも豊かな乳房がこぼれ落ちそうだ。
そしてそこからのぞく肌は、東洋の最高級の磁器を思わせるほど真っ白で、シミひとつない。
だが階下から見上げていると、天井のシャンデリアが逆光となって、未だ顔立ちがはっきりと見えない。
やがて踊り場で女がこちらを向いた瞬間、ルーパスを始め、その場にいた全員が思わず息を呑んだ。
輪郭は一般的なアングロサクソンの女性に比べると、滑らかな卵型。聡明さを象徴する様なすっきりとした額の下には、整えられた眉が柔らかなカーブを描いている。
細く、なおかつナチュラルで高すぎない鼻筋が知的な印象を与えているが、対照的に、肉厚で微笑みかける様に口角が上がった唇は、挑発的に鮮やかな真紅で彩られている。
そして何より印象的なのは、離れていてもわかるほどの神秘的で美しい、大きな瞳だった。
一見、南太平洋の希少な黒真珠の様に艶のある黒い瞳だが、光の当たる角度により群青色や深い翠色へときらきらと変化し、かつて流刑地であった大陸の砂漠で取れる希少な宝石を思わせる。
気づくと音楽隊も演奏を止め、あれだけ馬鹿騒ぎをしていた大道芸人の連中ですら、見惚れてしまってまったく動かなくなっていた。
その場の全員が注視する中、女はルーパスの前までゆっくりと歩いてくると、ドレスの裾を両手でつまんで片足を下げ、もう片足を曲げて完璧なお辞儀を披露した。
「こ、この女だっ!」
ルーパスは興奮のあまり、裏返った声で叫んでいた。
こんな場所にこれほど美しく、気品のある女がいたとは!天にも昇る心持ちになり、ルーパスは女の手を取った。
「わしはこの女が気に入ったぞ!そなたもよいか?」
「はい、閣下(イエス、ユア・ハイネス)」
女はルーパスの魂をとろけさすのに十分なほど甘い声でささやくと、微笑んで頭を下げた。
「そうかそうか、よし!よし!」
ルーパスは喜色満面で女の肩を抱くと階段を上がっていった。
「ルーパス様、心ゆくまで、ゆっくりとおくつろぎくださいっ!」
リーダーの男が腰を九十度に曲げて声をかけるが、ルーパスの耳には入らない様であった。
男は用心深く、そのままの姿勢で二階の様子をじっと伺っていたが、ドアの閉まる音がすると姿勢を戻した。
「ふん、やっとその気になったか」
ルーパスが部屋に入ったのを確認すると、男は店の主人を怒鳴りつけた。
「おい、酒だ、酒!酒を持ってこい!」
「は、はい、ただいま!」
なにやら考え事をしていた主人は、慌てて奥へ消えていった。
「おい、音楽だ!景気のいいやつを頼むぞ!もっと騒げ騒げ!女どももこっちへ来い、金ならいくらでもあるんだからな!」
男たちはソファーにふんぞり返り、両手に娼婦を抱き寄せると、高級な葉巻をふかしながら悪態を突き出した。
「あのおっさんにも呆れたもんだ。なにがエクスカリバーだよ。阿呆らしい」
「まったくだ。まあ、こうやって俺たちがバカ騒ぎできるのもそのお陰だがな。ほら、チップだ!取っておきな!」
娼婦たちの胸元や、あらわになったガーターベルトに札をはさみ込んでいく。
女たちから黄色い歓声が上がる。
「おまえら、この店の一晩の貸切代、いくらかわかるか?」
肩越しにラテン系の女の乳房を鷲掴みにしながら、唐突にリーダー格の男が他の連中に尋ねた。
「へえ?いや、とんと見当もつかないですよ」
「目玉が飛び出るくらいなのは、想像がつきますがね」
男はふんっと鼻を鳴らして吐き捨てる様に言った。
「そこらの腕のいい工員の、およそ給金二十年分だよ」
「ひえー!信じらんねえ、おっそろしい話だな!」
「まあ、あの主人に言い含めていつもの様に倍付けで請求させてるから、実際には十年分なんだがな」
「ひでえなあ兄貴は!ぼったくりじゃねえかよ!」
手下の男たちがドッと笑う。
「いいんだよこれぐらい!あんな阿呆の金持ちからいくら分捕ろうとバチは当たらねえよ!」
口調は冗談めかしているが、リーダーの男のその目には怒りがみなぎっていた。
「しかし、さっきは肝が冷えたぜ。あいつの前で兄弟の話は禁句だって言っただろうが、馬鹿野郎!」
「すまねえ兄貴、つい口が滑っちまった」
「しかし、あいつもいいご身分だな」
別の男がグラスを傾けながらぼやく。
「家の面倒なことは兄弟が全部やってくれて、本人は遊び歩いているんだからなあ」
「まったくだ!世の中、不公平なもんだぜ!」
だがリーダーの男だけは違った
「おまえら、本当にそう思うか?」
「へっ?」
「考えてもみろよ。優秀な兄弟に挟まれ無能扱いされて、責任ある仕事は何にもさせてもらえないんだぞ?俺ならそんな惨めな人生、真っ平御免だよっ!」
「まあ、言われてみたら確かにそうかもしれねえけど、本人はわかってんのかね?」
「そんなこと、これっぽっちも思わずに楽しんでいるんじゃねえの?」
男はニヤリと笑った。
「それがな、哀れなことに本人も薄々わかってんだよ」
「ええ、本当なのかよ、兄貴?」
「ああ」
それから男は、別荘でのルーパスの落ち込んだ様子を語り出した。
「本人も自分がていのいい道具に使われてるのを重々承知してて、黄昏ていやがんの!」
男はグラスを重ねながら、こらえきれずに笑い出した。
「あんまり哀れだから、『ご苦労様ですう、流石ですう、凄いですよう旦那さまあ!』っておだてたら、あの野郎すっかり気を良くして、なんて言ったと思う?」
「い、一体なんて言ったんで?」
「聞かせてくれよ、兄貴!」
「焦らすなよう!」
男はニヤリと笑うと立ち上がり、眉を八の字に寄せて大げさな身振り手振りでルーパスの声真似をし出した。
「『お〜なんてきれいな夕焼けだあ〜感動するうう〜』だとよ!!」
男たちがいっせいに、火がついた様に笑い出した。
「なんでえそりゃあ!バカか!」
「あいつ、ちょっと足らねえんじゃねえの?」
笑いすぎて涙を流す者もいる。
「兄貴よく我慢できたな!た、たまらねえ!」
男は満面の笑みを浮かべグラスを目の高さに掲げながら言った。
「おマヌケな貴族様に乾杯だ!」
勢いよく札をバラまくと、女たちが嬌声を上げながら、あらわな姿で拾い集める。
男たちが笑い転げている中、店の主人はひとり首を傾げていた。
「あの女……一体誰だ?うちの娼館であんな女、雇った覚えはないんだが」




