黒いドレスの女 part2
「ドイツ?何でルーパスさんとこの家に、ドイツの政党が近づいてるんですか?」
ヘンリーはアーサーの問いかけに応えることなく、鞄から黒い小さな手帳を取り出すと読み上げ出した。それは、手帳に書かれている文章を読むというより、頭の中に入っている情報を再確認するかの様だった。
「彼女の名は通称ニナ。五年前に突如ドイツに現れ、ナチ党党首アドルフ・ヒトラーの側近の座につく。われわれMI6の要注意人物のリストにはヒトラーの愛人として記載されているが、現在に至るまで年齢、家族構成、過去の交友関係など、名前以外の詳しい情報は一切不明。
ニナが接近した頃からナチ党及びヒトラーの快進撃が始まる。それまでは多少過激な言動があっても単なる弱小政党に過ぎなかったのが、気がつけば先の戦争で疲弊した国民を掌握して政権を奪取し、今や完全にドイツを支配下に収めている」
続いてページをめくり、読み続ける。
「約一年前からウォルズリー家の次男ルーパスに接近し、現在ヨーク郊外にある屋敷で生活を共にしている。おそらくルーパスがヨーロッパ各地を遊び歩いている時期に知り合ったと思われるが、彼女と行動を共にするようになってから、彼の行動に異変が見受けられるようになる。
本来、一族の中でも気弱で温厚な人物として知られていたのが、暴君の様な乱暴な振る舞いが目につくようになり、それと共に無頓着だったウォルズリー家当主の座への、極端なまでの執着をあらわにする様になる」
再びページをめくる。
「あくまで仮定の話だが、手段は不明だが彼女が深く関わった人間は強大な力を手に入れることができ、それと共に異常なほど権力を求める様になる。これらの事象から推察する限り、彼女はわれわれの常識では計り知れない、何か特殊な能力を持っている可能性がある」
ヘンリーは手帳をパタリと閉じた。
「ま、最後の仮定はまともに取り上げられはしなかったがね。僕が現在掴んでいる情報はこんなところだ」
「ふん。分かりやすく言うと『何にもわからない』ということね」
ノーラが小馬鹿にした様に話をまとめてしまった。
ヘンリーはアーサーとノーラの向かい合ったソファーにどっかりと腰をかけると、諦めた様な口調で答える。
「まあ、確かにそう言われても仕方ないな。なんせ、公式の場に出てくることがほとんどないと言うのもあるが、写真すら先ほどの二枚以外は存在しないからね」
ハワードがヘンリーに新しい紅茶を注いだカップを手渡し、彼はゆっくりとそれを味わって話を続ける。
「しかし、大蛇の件と合わせて、これでハッキリした。ルーパスと共にいるあの女は、普通じゃあない。強いて言えば帝政ロシア末期に現れ、帝国崩壊の一因を作ったグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン、
怪僧ラスプーチンの様な存在だ。ドイツに現れてヒトラーを変え、今またこのイギリスでルーパスを利用して何かを企んでいる」
ノーラが納得した様な声を出した。
「どうりでね。メアリーからの手紙にあった様に、この城の周辺を調べたら呪いの儀式を行った形跡は発見できたんだけど、どうもあたしたちのやり方と違うと思ったのよ」
「え、どういうことノーラ?」
「説明は難しいんだけど、材料にしても、手順にしてもあたしたちとは微妙に違うわけ。だからイギリスじゃなく、他の国の魔法使いが出張ってきてるとは睨んでたんだけどね。まさかドイツとは…。
中世ならともかく、現在のあの国に大した魔法使いなんていないでしょうに」
アーサーはヘンリーに訴えかけた。
「それって…何とかならないんですか?」
「何とかって?」
「例えば、イギリス政府の力であの女の人を国外追放にしてもらうとか、ドイツ政府に働きかけてもらうとか」
「アーサー君、今まで話したことは全て想像、状況証拠に過ぎない。第一、誰が信じる?魔力で操られた巨大な蛇の話を。目撃者は一スパイである僕と、十歳の男の子である君と白猫のねえさんだけだぜ」
アーサーは黙り込んでしまった。
『だって、現におじいちゃんの兄弟たちや、おばあちゃんはそのせいで亡くなっているのに、何にもできないなんて……』
言いたいことを押し殺しているアーサーの顔を見つめ、慰める様にヘンリーは語りかける。
「とにかく、いま出来ることは少しでも証拠を集めることだけだ。僕もMI6の上層部に掛け合って、人手と予算を割いてもらう様に交渉してみるつもりだから。もう少し時間をもらえないかな」
ヘンリーが手を伸ばし、落ち込むアーサーの肩を二度、三度叩く。
レスターは二人のそんなやりとりをじっと見つめていた。
「ああっ!」
ノーラが突然、何かを思い出したかの様に叫んだ。
「ど、どうしたの、ノーラ?」
「ナチの連中、ひょっとしてあの伝説の『黒い森の魔女』を復活させたんじゃないでしょうね?」
「黒い森の魔女?どう言うこと?」
そこからノーラが語ったのは、中世に起きた魔女狩りの中でも、特に凄惨な事件として歴史に記されている事件で、アーサーはもちろん、ヘンリーやレスターもそのあまりの壮絶さに言葉を失ってしまうほどだった。




