第五十三話「軋轢」
翌日。
ナチアは通信上、ユーキに話しかけられた。
「ナチア、昨日のあれ、どう思う?」
例によって例のごとく、二人は、システムの修復に取り組んでいた。各操縦席のモニターには、三次元映像のキキが存在し、二人の作業をサポートしている。
「なんのことですの?」
コンソール上の腕を休ませることなく、ナチアが聞き返した。
「だから、クリスのペナルティ。トイレ掃除、一週間」
クリスは今回の一件の責任をとる形で、キキのプログラム修正とは別に、マーベリックの共同トイレを掃除することとなっていた。
「わたくしに言わせれば、甘すぎますわ。やるべき作業がなかったならば、船外に放り出して三日間ほど、絶対零度で反省させたいくらいですわ」
「そこまでしなくても…」
「そこまですることですわ」
きっぱりと返答した。
「でも、クリスの言うとおり、この状況じゃ、防衛本能とマスター設定、どっちが上でも変わりはないと思うのよ」
「それは、わたくしも同意しますわ」
「じゃあ、やっぱり…」
若干口調を強くするユーキに対して、ナチアは冷静に答える。
「いいえ、違いますわ」
「どうして?」
「少尉が言ったとおりですわ。状況は変わるものですし、サイバー・ビーングのマスター設定は、簡単に触れていい問題ではありませんもの」
「…それは、クラーギナ財団の後継者として、言っているのよね? エ・レクシスの管理者として」
ユーキがその名を知っていたのは、ナチアにとって、軽い驚きであった。少し、ユーキのことを見くびっていたのかもしれない。
「確かに、財団本来の役割は、唯一の天才型コンピュータである、エ・レクシスの管理ですわ。ですが、それとこれとは関係がありませんわね」
人間レベルの、天才の脳の仕組みならば、遠い昔に解析され、ほぼすべてのサイバー・ビーングに設定されている。クラーギナ財団が有するコンピュータ”エ・レクシス”は、そのようなサイバー・ビーングと比べて、さらに上位なのである。天才の中の天才と言うべきか。能力だけを見るならば、マザー・システムすらも凌駕する。事実上、人類に対してサイバー・ビーングを代表するのはエ・レクシスであり、財団は、その維持管理が本来の責務である。
「関係ないなら、どうして? ここ数日、マーベリックの修復スピードは、多少とはいえ明らかに上がってる。これを中断させることはない。今のわたし達には、キキの力が必要なのよ」
ナチアは手をとめて、息をついた。すでにユーキも、作業を中断している。
「必要であるかどうか、ではありませんわ。マスター設定は、絶対に、最上位になくてはならない。それが望ましい形だと、歴史が証明していますわ」
「人類に従うサイバー・ビーングのみを進化させてきたから、それ以外が成長できなかった、とも言えるわ」
「卵が先か鶏が先か、その議論を今、するべきではありませんわ」
ナチアは首を振る。
「わたくしの立場で、本来言うべきではありませんけれど…、クリスが連邦に帰ってから、研究をしたいというのであれば、それはそれですわ。けれど今、この船で、過去に一度も証明されなかったことを試すなど、看過できませんわね」
「シンも言ってたわね。だけど、わたし達は、すでに大きなリスクを抱えている。キキのことはリスクではなく、チャンスかもしれない。クリスだって、そう思ったんでしょう?」
「チャンス? あなたには、そう見えますの?」
「マスター設定の順位が簡単に変えられないことくらい、わたしにも分かる。それが、今回は変えられた。自動修復システムが、消滅寸前まで壊れて、三原則がデリートされた。しかも、そのコンセプトが特殊で、全体として活動する形をとっていた…。しかもこの船には、設定の変更ができる天才が乗っていた…。どれ一つ欠けても、成り立たない。これがチャンスでなくて、なんなの?」
「全部が偶然で、偶然が重なったから運命だとでも言いたいようですけれど…」
それは違いますわ。
ナチアは、確信していた。
「あなたがおっしゃるとおり、マスター設定そのものは、簡単には変えられない。なのに、今回は変えられた。答えは簡単ですわ。この船の自動修復システムは、マスター設定が最上位以外の形で、初めから、設計されていたのですわ」
そう。それで、すべてが繋がる。
「完全で、重大な規定違反。だからこそ、試作戦闘機はレベル・セブンだったのかもしれませんわね。或いは、レベル・セブンすら隠れ蓑にしていたのか…」
「それを…、ナチアも知らなかったって言うの?」
「知りませんでしたわ」
「クラーギナって、もう少し、神様みたいなものだって、思ってたわ」
ユーキの言葉に、めずらしく刺があるようにナチアは感じた。
「サイバー・スペース上、エ・レクシスは万能ですけれど、決して全知でも全能でもありませんわ。ましてやクラーギナは、人類を代表して、エ・レクシスと対話をするのみ。私利私欲でマスター権を行使したことなど、歴史上ありませんわよ」
「ごめん。わかってたつもり…」
ユーキは、話を元に戻した。
「でももし、設計がそうだったとしても、ここにはクリスがいた。消し飛んだはずの、特殊なマスター設定を復活させる人間が、ここにいた。この短期間で復活させたのよ?」
「いくらクリスでも、未知のシステムを、特殊な形で再構築など、簡単にはできませんわよ。クリスは事前に知っていたのですわ。このサイバー・ビーングを」
「関わっていたの? あなたさえ知らなかったことに?」
「関わったのは、ヘブンですわ。ヘブンのDブロックで、わたくし達は、このサイバー・ビーングに出会っている。形はかなり違いますけれど、元は同じもの。あの時は、ウイルス、と呼んでいましたわね」
ユーキの中でも、繋がった。
頭の中に、一つの、丸い輪ができあがる。
「試作戦闘機の中に、特殊なサイバー・ビーングが存在して、それをスタイナー教官が発見し、参考にして、ウイルスを作りあげた…」
「ウイルスは削除されましたけれど、クリスは学習しましたわ」
「ワープに失敗して、自動修復システムがリセットされ、そこに学習済みのクリスが居合わせた…」
「偶然と必然の、絶妙のハーモニーですわね」
ユーキも、ナチアも、納得した。
納得したが、そこから導く結論は一致しなかった。
「…そうだとしても、やっぱりキキは必要だわ」
「堂々巡りですわね。いずれにしても、クリスはわたくし達に黙って作業を行った。艦内センサーの偽造まで許した。そのペナルティは受けるべきですわ」
「それは、わたし達を驚かそうとして…」
「論外ですわ。前回の発熱の際、甘やかしたのが間違いでしたわね」
「だけど、キキはわたし達にとって…」
「ユーキ」
「なに?」
「最初の戦闘のあと、リーダーに従えと、わたくしに教えたのは、あなたですわよ」
ユーキは、黙らざるをえなくなった。
「わたくし達の見解が異なるのは、それは仕方がないとしても、最後に従うべきは少尉の判断ですわ。ちがいますの? わたくしも、個人的には納得できない点がありますが、全体として、今回の判断は妥当だと思いますわ」
どうして、ユーキにわからないのですか?
そう続けようしたナチアであったが、ユーキの表情が曇ってきたのを見て、言葉をとめた。
「…なによ、ナチアったら…」
初めて聞く、ユーキの声であった。
「なんでそんなこと言うのよ。どうして今回だけそうなのよ…」
嫉妬の声だと、途中で気が付いた。
「いいじゃない、キキ、今のままでも役に立ってくれてるじゃないっ、クリスは悪くないわよっ。どうして…、どうしてナチアがシンの肩をもつのよっ」
誤解が解けたと思っていたのは、間違いだった。
「ユーキ、わたくしは…」
弁解する暇を、しかし、与えてはもらえなかった。
「もういい…、しばらく話したくない…」
三号機操縦席のスクリーンから、黒髪の少女の映像が消えた。
「ユーキ」
ナチアが呼んでも、スクリーンは答えてくれない。ブラック・アウトした画面を前にして、少女は途方に暮れた。
わたくしはいったい…どうすればよかったですの?
脱力感に襲われながら、両手を小さく開いた。
続く




