第五十二話「正体」
その瞬間、ナチアは、クリスの頭をひっぱたいた。
黒猫の一件から、明けて翌朝。一同は、三号機のリビングで朝食をとっていた。
昨夜の不可解な出来事を、ナチアが話し終えたあとに、クリスが発言した。
「ごめんなさい、あれ、ぼくが作ったんです…」
申し訳なさそうな声ではあったが、しかしナチアが、許すようなことはなかった。
よく頭を叩かれただけで済んだと、クリスはナチアに、感謝しなければならないかもしれない。
ユーキが夢遊病者になったあと、シンと、そして途中からナチアも加わって行われたユーキへの状況説明は、実に延々、二時間にも及んだのである。
「ごめんなさいで、許されるとでも思っているのですかっ」
叱責の言葉は、平手のあとについてきた。
「ごめんなさい…」
クリスとしては、謝るしか手段がなかった。
「まぁまぁ、ナチアも、そんなに怒らないで、ね?」
二人の間に、ユーキが割り込んできた。その声は、すっかりいつもどおりである。逆に明るさを増しているかもしれない。
ナチアとしては、この黒髪も、ひっぱたいてやりたい頭であった。
立ち直るなら、二時間も粘るのではないですわよ。
納得するのに時間を要したくせに、納得するやいなや、すっかり復活したユーキであった。しかも、それまでに行った説得なり釈明なりは、そのほとんどが、シンではなく、ナチアが行ったものである。
結局のところシンは、仲間として必要な説明はするが、ユーキの恋愛感情を正そうとか戻そうとか受け入れようとか、そういう意識が希薄なのである。
なのになぜ、自分が、ユーキとシンの関係を必死で修復しているのか?
自問自答しながら過ごす二時間は、非常に苦痛であった。
できることならば、ユーキと一緒に、シンの頭もひっぱたいてやりたかった。
結局三人は、その後、朝方近くまで起きていた。ナチアの前に睡眠をとっていたシンやユーキはともかく、ナチアは、完全に睡眠不足であった。
「それで、あれは何なんだ?」
やはり、いつもどおりのシンが尋ねた。ユーキが若干浮かれていることを考えれば、シンが一番平常に近い。
三人の視線を受け、クリスが、申し訳なさそうに説明する。
「あれ、ぼくが作り直した、自動修復システムなんだ」
「あれが、自動修復システムですの?」
ナチアが聞き、クリスが答える会話が始まった。
「うん。もともと自動修復システムは、超小型流体素子の集合体なんだ」
「ナノ・マシン、ですわよね?」
「ちょっと、違うんだけどね」
「何が違いますの?」
「ナノ・マシンは、ただ小さいだけの機械でしょ」
「ええ」
「従来の修復システムは、そのナノ・マシンで作られていたけど、このマーベリックに搭載されているのは、その発展型なんだ」
いつのまにか、クリスの目が輝きだしている。
「ですから、何が違いますの?」
ナチアとしては、立場もわきまえず浮かれはじめたクリスが、少し許せなかった。
「ナノ・マシンが、単体の機械、及びその集合体であるのに対して、このマーベリックの修復システムは、全体として、ひとつのシステムなんだ」
「メモリーを共有している、ということですの?」
「あっ、おしいよ、ナチアさんっ」
クリスに惜しいと言われても、ちっとも嬉しくない。
「システム全体で、ひとつの意志を持っているんだ。メモリーなんてもんじゃない。全体として考え、全体として覚え、全体として活動するんだ」
「…核となるコンピュータが存在しない…?」
「無数の核の連結と補完。そう。だから、つまり、これは…」
「小型のサイバー・スペース」
「そのとーり!」
「驚きですわね」
呆れた声で、両手を軽く広げる。
通常のコンピュータと宇宙船のコンピュータの違いを一点挙げるとするならば、それは、広域サイバー・スペースと常時接続しているかどうかである。主要な太陽系の域外に出ている間、そしてワープをする間、当然ではあるが、宇宙船は外的なサイバー・スペースから切り離される。即座にコンピュータが機能停止をするわけではないが、スペックの低下は避けられない。マーベリックにおいては、そのマイナス点が存在しないということか。
「通信ネットワークの枠を越え、独立した、真の意味でのサイバー・スペースを形成し、かつ、高度な知能とボディ、自己再生能力を有する…」
説明の声が、熱を帯びてきた。
「しかも、当然形は自由自在、色も変更できちゃう。今回、ぼくがシステムを組み直したんだけど、やっと一昨日完成したんだ。チェックを済ませてから、みんなに発表して驚かそうと思ってたんだけど、先に見つかっちゃったね。でも、ほんとうにすごいんだよ。知能も運動能力も、全部ナチアさん以上だよ」
どうしてそこで、わたくしが出てきますの?
ナチアは突っ込みたかったが、シンが発言を邪魔した。
「要するに、ロボットだな?」
ボーイ並みの略し方をされて、クリスは不満であったが、間違いではなかった。
「うん。でも、変形自在で何でもできて…」
「安全なのだろうな?」
やや厳しい声で問われ、クリスは身を固くした。
「もちろんさ。このシステムが完成した以上、マーベリックの作業効率も上がる筈なんだ。もともと、このサイズの宇宙船で、まともなサポート用のサイバー・ビーングがなかったのがおかしいんだ。まあ、たぶん、最低でも二号機の方には、搭載されてたんだと思うんだけどね…」
最後の方は、少し寂しげになるクリスであった。
「分かった。では、きちんと俺達に見せてみろ」
シンの申し出に、クリスは喜んで応えた。
続く




