第五十話「幽霊」(2)
「オバケって、本当にいるのですわね」
唐突に話は飛んだ。
あまりに唐突すぎて、シンは意味が分からなかった。
二回目の敵襲から、九日目。直前まで、シンとナチアは通信上で、補助のバイパス・ラインの修復方法について、検討していた筈であった。
「ナチア」
手をとめて、本人に確認する。シンの記憶の中では、つまらない冗談を言うような、そんな少女ではない筈であった。
「なんですの?」
「オバケとは、お化けの事か? 幽霊とか妖怪の類の?」
「他に何がありますの?」
至って冷静な答えが返ってきた。
「いや、一応、確認しておこうと思ってな…」
反応に困るシンの映像を見ながら、ナチアも態度を軟化させた。
「まぁ、少尉が信じられないという気持ちも、わかりますわ」
小さく手を広げる。
「わたくしも、実際に見るまでは、信じられませんでしたもの」
「…実際に、見た?」
お化けを、恐いとか恐くないとか思う以前に、実在するかどうかを、真剣に考えたことがなかった。少なくとも、シンは見たことがない。けれどナチアは見たというのか。
「ええ。見ましたわ」
「いつ?」
「昨夜、寝る前ですわね」
「どこで?」
「自動修復システムの、メンテナンス・ルームですわ」
「寝る前に、そんな所に入ったのか?」
自動修復システムのメンテナンス・ルームは、三号機の艦内に存在する。中央の十字路から船尾側に移動して、向かって左側の壁に、メンテナンス・ルームへと続くドアが設置されている。
「まさかですわ。メンテナンス・ルームのドアの前に座っているところを、ベッドから見たのですわ」
「…座っていた?」
「ええ」
「何が?」
「猫ですわ」
「猫?」
「ええ。黒い猫ですわ」
「………」
シンは、とっさの返答ができなかった。密閉された宇宙船の中である。まさかそんな事はないだろう、と思うが、言えば、ナチアの不興を買うだけである。
そんなシンの逡巡を察したナチアが、自分の方から話を進めた。
「その黒猫、わたくしと目が合うと、メンテナンス・ルームのドアに消えていきましたわ」
「…消えていった? ドアが開いていたのか?」
「いいえ。閉じてましたわ、閉じたドアに、吸い込まれていったのですわ」
「…見間違い、という事はないのか?」
ベッドからメンテナンス・ルームまでの距離は、かなりある。しかも就寝前となれば、照明もおさえられている。ドアに吸い込まれたことも、猫が存在したことも、ナチアの見間違いである可能性は高い。密閉空間や極限状態における幻覚は、決してめずらしい事例ではない。
「見間違いではありませんわ、少尉」
答えるナチアは、冷静なままであった。
「一応、猫の消えた所まで見にいきましたし、ドアはきちんと、閉まっていましたわ」
ナチアの話に、矛盾点はなかった。
「距離はありましたし、暗かったですけど。間違いありませんわ。…艦内のモニタにも質量データにも、一切の記録は残ってませんでしたけれど」
だからこそ、オバケと判断した。せざるを得なかった。
そんなナチアを、シンは信じることにした。
「そうか…。分かった。今夜、調べてみよう。悪いが、付き合ってくれ」
信じると決めた以上、シンとしては、当然の提案であった。黒猫の存在が、マーベリックにとって未知数のファクターである以上、調査は不可欠である。
けれど、そんなシンの言葉を受けた少女は、何故か返事をしない。
「どうした?」
「…いえ、こんな話を、信じるのですか、少尉は?」
「ああ」
察するに、この手の話に弱そうなユーキに相談する訳にもいかず、データがない中でクリスを頼ることもできず、消去法の結果として、シンに話してきたのだろう。経緯はともかく、話してくれたという、その信頼は裏切れない。
「笑われても仕方ない、と思っていましたけれど…」
ナチアの首が、小さく傾く。「嬉しいですわ」
この少女の素直な笑顔を見るのは、これが二度目である。一度目は、宇宙ステーション・ヘブンにおける対機甲小隊戦において、ユーキと二人で危機に陥ったところを、助けた時であった。
「では今夜、ベッドでお待ちしていますわ」
笑みを浮かべたまま、通信を切る。
「………」
シンは暫くの間、ナチアの消えたスクリーンを眺めていた。
流されんよう、注意しないとな。
真剣に、そんなことを思った。
<次回予告>
ナチアは、ベッドにうつ伏せの状態で、そう思った。
誘ったのは、確かに自分の方である。その時は、あまり深く考えていなかった。
次回マーベリック
第八章 第五十一話「黒猫」
「ごめんね…、わたし、しらなくて…」




