第四十七話「急変」
二人が起きた時、すでに事態は始まっていた。
だが、とりあえず二人にとっては、そんな舞台裏のことよりも、目先の問題の方が重大であった。
最初に、ナチアが目を覚ました。
しばらく状況が分からずにいたが、五秒も経つと、自分の置かれた状況に気が付いた。
…あのまま、眠ってしまいましたのね。
苦笑して、身体を引き起こす。照明は暗くなっており、ナチアは、シンとクリスの配慮を感じた。
ふぅ…。この分では、ユーキも寝ていますわね。
ナチアは確信した。四人の中で、ユーキはクリスに次いで朝が弱い。ほぼ同時刻に眠った以上、ナチアよりも早く起きる筈はなかった。まさか前回の誕生日の繰り返しはないだろう。
あら、身体が軽いですわ。
気持ちの問題かもしれないが、よい体調であった。
これは、ぜひ一度、ボディ・スーツを脱いだ状態でやってもらいたいですわね。
また鼻血を出してしまうかしら、などと考えながら時計を見る。
………。
「ユーキっ!」
いつもの手つきで、いつもより速く、ベッドから顔を出して下段ベッドの人物の名を呼んだ。
「ユーキっ、ユーキっ!」
案の定そこには、うつ伏せで眠りこける友の姿があった。
「ユーキっ、起きなさいっ、朝ですわよっ!」
大音量で叫ぶ。
「ん…、だめ…、ナチア、ゆるして…」
ユーキが悩ましげに身をよじったが、見とれるナチアではない。
「寝言は時計を見てから言いなさいっ!」
友の叫びに、ようやく反応を示したユーキが、のろのろとカヴァード・スーツを引き寄せて、胸元のディスプレイを覗く。
………。
しばらくは、無言。
そして。
「うそ…」
ユーキの呆然とした呟きが、ナチアには気持ちいい。
どうです、理解しましたでしょ。
ボディ・スーツの背中を閉じながら、意味のない優越感に浸った。
「もう、これ、朝じゃないじゃないっ」
悲鳴のような声が下から聞こえた。
「ナチアのばかっ、どうして起こしてくれなかったのよっ」
ナチアとしては、実に不本意な言われようであった。
ナチアが何か言うよりも早く、その事態が飛び込んできた。
「ユーキ、そこをどけっ」
めずらしく急いだ声のシンが、十字路の方からやってきたのである。
「え、あ、あの…」
唐突に名を呼ばれユーキは狼狽した。寝坊したことを怒られたと思った。
ごめんなさい。
言おうとして、顔が固まる。シンは、その胸にクリスの体を抱えていた。
「ちょっと、どうしたのです?」
上のベッドからは、同じく異常を察したナチアが、ベッドから顔を出していた。
既視感があるのは、先日のスクランブル・シャワーの一件があるから。しかし緊迫度が違う。
「クリスが倒れた。とにかくユーキ、ベッドをあけろ」
シンの迫力と、事の重大さに押されて、ユーキはベッドを飛び降りた。
「また鼻血…ではありませんわね。どうしたのです?」
同じようにベッドから出たナチアが尋ねる。
クリスをベッドに寝かせながら、シンが答える。
「分からん。昨日はお互い操縦席で眠ったのだが…、なかなか起きてこなくてな。通信も開けず…、ドアを強制排除しようとしたら、この姿で出てきた」
手際よく宇宙服を脱がせていく。
「どうやら、状態を知られるのを恐れて、通信を閉じていたらしい」
プロテクト・スーツを脱がし終え、カヴァード・スーツに取りかかる。少なくともボディ・スーツ以外の宇宙服は、病人が着ていて休めるものではない。
「疲労かしら、それとも…」
ユーキの心配そうな声を、ナチアが遮る。
「病気の訳がないですわよ、ユーキ。船に乗る前に、散々チェックされましたでしょ?」
ナチアの言葉を聞き、正気を取り戻す。「そうよね、ごめん」
クリスも、完全に意識を失っている訳ではない。根拠のない憶測で余計な心配をさせるなど、普段のユーキがすることではなかった。
カヴァード・スーツの半分を脱がされた時、クリスが口を開いた。
「シン…さん…」
衰弱した声であった。ユーキとナチアの顔が曇った。
「何だ?」
落ち着いたシンの声が返る。
「ぼくを…隔離して、シンさん…」
カヴァード・スーツを脱がすシンの腕が、一瞬とまる。
すぐに、その動きを再開させるが、言葉の意味を、たださない訳にはいかなかった。
「何故だ、クリス?」
「ぼく…、病気かも…しれないんだ。そしたらみんなに…、うつっちゃうから…」
クリスの言葉に、シンは首を振る。
「感染症の可能性はない。ナチアの言う通りだ。クリスも、チェックを受けただろう?」
諭すような言葉であったが、クリスは静かに、首を振った。
「ぼく…、そういうの嫌いで、ごまかし…ちゃったんだ…」
「ごまかしたって、何をしたんだ、クリス?」
「データをいじって…、検査を受けたよう、見せかけた…」
シンの、ユーキの、ナチアの表情が強張る。
クリスにならできる。そして今、クリスが嘘をつく理由は存在しなかった。
「ごめんね…。いちおう、その分、自分でもチェックしたけど…、やっぱり完璧じゃあ、ないだろうから、だから…」
「本当なんだな、クリス?」
「うん…」
「だが、疲労や、精神的なものかもしれん。その確率の方が高い」
「うん。でも、可能性は…否定できない…」
シンはひとつ、息をついた。
「分かった」
「ありがと…」
ボディ・スーツを除いて、脱がせ終わったシンが、心配そうな二人の少女を振り返る。
「そういう訳だ」
いきなり言われても、ユーキとナチアは即座に返答できなかった。
「クリスの看病は俺がする。お前達は食料を持って操縦席に戻り、ドアを閉ざせ。いいな?」
意味は分かるが、了承はできなかった。
「こういうことは、女の方がむいてるわよ」
「三号機ごと一号機から分けるべきですわ」
ユーキ達の言葉に、シンは首を振る。
「感染の可能性がある以上、看病は最低限の人員で行い、他の者は隔離する。そこまでは、分かるな?」
「よろしいですわ」
「だから、その一人はわたしが…」
ナチアには、同じ三号機クルーとしての責任があった。
ユーキには、一同の健康管理をしているのは自分であるという意識があった。
そしてシンにも、主張する理由があった。
「俺は、全方位発展型抗体を持っている。感染の可能性は少ない。お前達は接種していないな?」
全方位発展型抗体とは、連邦の各国民に接種が推奨されている、免疫抗体のことである。接種によって、既知の感染症のほぼすべてから抗体保有者を守るのと同時に、新たに発生した病原菌やウイルス、遺伝子毀損要因等にも対応する、まさに万能な抗体であった。
接種には、ある程度の制約があり、一般的に十八歳で対象となる。
シンは、マーベリック乗船前にすでに十九歳。接種は終えていた。
「持っている訳ありませんわ。わたくし、まだ十六でしたのよ」
「………」
ナチアは唇を噛み、ユーキも口を閉ざした。
クリスを除いた三人の中で、一番感染してはいけないのはシンの筈。だが、そのシンが、最も感染する可能性が低い。ユーキもナチアも、引き下がらざるをえなかった。
それでも、すぐにはその場を離れようとしない二人であったが、シンに急かされ、渋々ながら宇宙服を抱えて各自の操縦席へと移動していった。
「なんだか、ちょっぴり、寂しいね…」
「熱が下がれば、また会える」
ボディ・スーツの上半身を脱がして、シンが触診による簡単な診察を行った。
「少し、無理が続いていたからな。休暇だと思って、ゆっくり休め」
「うん、ありがと…」
クリスの細い身体は、熱を発し赤くなっているものの、汗をかいてはいなかった。
疲労によるものと思いたかったが、他の病気を否定できるだけの確信もない。
浅い眠りに落ちたクリスにシーツをかけながら、シンは、前方に暗雲が立ち込めてきたことを感じていた。
続く




