第四十六話「按摩」
「マッサージ?」
クリスが、素っ頓狂な声をだした。
巡回艇接触から、六日後。スクランブル・シャワーから、一日と少々。夕食を終え、夜の仕事に取りかかる前の、休憩時間の出来事である。
「そう。わたし達のこと、覗いた罰。なんでも言うこと聞くって、言ったでしょ?」
ユーキが微笑み、ナチアが軽く両手を広げ、クリスとシンが顔を見合わせた。
ユーキとしては、我ながらいいアイデアだと思っていた。
もともとシンは、気分転換のためにシャワーを承諾してくれたのだし、その後の行為も、善し悪しはともかく、クリスの気分転換のためだと、一応理解はしていた。
で、あるならば。罰は罰としても、やはり全員の気分転換になるものでなければならない。
そういった観点で考えついたのが、このマッサージ案であった。ナチアも、大きく反対はしなかった。
ユーキとナチアは、マッサージで気持ちよくなれるし、シンとクリスも、少女達の体と接触できて、悪い気はしないだろう。
「俺は構わんが」
「ぼくもいいよ」
案の定であった。
「では、いいか?」
二段ベッドの下段、うつ伏せのユーキに対して。またがるような姿勢の、シンが声をかけてきた。
「うん、お願い」
すでにいったん、男達を十字路の向こうに追いやって、プロテクト・スーツとカヴァード・スーツは脱いでいた。シーツで包んでいるとはいえ、ユーキの身体は、ボディ・スーツをただの一枚、着ているのみである。しかも、背中を大きく開いて、素肌をシーツに接している。
そんな自分の上に。シンがまたがっている。
まさに天国。
ここまでのシチュエーションですでに、ユーキの心臓は爆発寸前であった。
二段ベッドの上段では、ナチアがクリスと、同じような会話をしている筈であったが、もはやユーキに、気をまわせる余裕はなかった。
「体重をかけるが、構わんか?」
心臓が、シーツを突き抜けて上段ベッドにぶち当たった。ユーキには、そう感じられた。
「…う、うん」
枕に埋めた顔から、かろうじて返答した。興奮して声が上ずっているのが自分でも分かる。
やだ、どうしよう、シンがわたしの上に、そんな…。
そこまで思った時、腰の上に、大きな荷重が加わった。
「…大丈夫か?」
「うん、へーき…」
引き締まっているとはいえ堂々たる体格のシンであったが、低重力の艦内では、本来、たいした重さにはならない。しかしこの時、ベッドに備わっているベルトに対し、シンは足を絡ませ、自らの体重を、ユーキの腰にかけていた。
少しだけ苦しい。けれど、そんな苦しさも、気持ちよさに変わる。少女は夢心地であった。
「始めるぞ」
「…うん」
いつの間にか、甘えた声になっていた。
シンの指が首筋に当たり、背骨を中心にマッサージが始まった。
シーツ一枚を隔てて、ユーキの身体に、強い力が伝わってくる。シンの力であった。男の力であった。
さすが、シン…、上手…。やだ…、気持ちいい…。
ユーキの身体から、力が抜けていった。首から、肩から、背中から。次々に力が抜けていった。
シンとの交流を深めたい、などといった考えもないではなかったが、それすらも急速に薄れていった。
あ…、ん…、…ん…。
何も考えられなくなっていった。
つよい…、シンの…、ちから…。
ほどなく、深い眠りに引きずり込まれていった。
なかなか、やりますわね。
ナチアは感心していた。
クリスの手つきは、人体を完全に把握していた。正確に、ナチアの身体をリラックスさせるための、ポイントを押さえていった。
知識と実践の融合。
それをほぼ完璧にこなせることが、クリスの才能の一端であった。
ナチアは、ワープ直前の、自分の誕生日を思い出していた。
その日、いくら焦っていたとはいえ、ナチアに悟られることなく、十字路の影で気配を消すことに成功したのは、他でもないクリスである。シンやユーキにやり方を教わったという話であったが、教わったからといって、簡単にできるものではない。実戦で通用するかは別問題であるが、それでも天賦の才あってこそである。
…まるで、女の身体を知っているような手つきですわ。
悔し紛れに、心の中で呟いてみる。別段、悔しがるようなことでもないのであるが、負けず嫌いのナチアスチアとしては、同じく負けず嫌いのクリスティンに負けるのは、何であろうと、やはり悔しかった。
悔しいので、とろけそうになる意識を必死で抑えていた。眠ったら負けだ、という訳の分からない意地が、ナチアを睡魔の攻撃から守っていた。
それとは別に、下のベッドの動向も気になるところであった。
ユーキは、あれは、眠りましたの?
先ほどから、何やら悩ましい小声が聞こえてくる気がする。あまりに小さくて判別しづらいが、どうもユーキの声らしい。
少尉がだしていたら、驚きですわね。
思わず想像してしまい、笑いそうになる。
うんっ…。
クリスの力が、背中から胸に届いた。
豊かな胸が、ベッドに圧しつけられる。決して嫌な圧力ではない。心地よい力であった。
クリスも、がんばりますわね…。
最初、クリスがナチアの身体に触れる時、その指は震えていた。その声は震えていた。
思い出すと、可笑しかった。
今でも、クリスの指が緊張しているのが分かる。
ふふっ。
ナチアは、少し楽しくて、少し嬉しかった。
可愛いですわよ、クリス…。
一瞬の油断が、眠りに直結した。
ユーキに遅れること数分。ナチアも、眠りに吸い込まれていった。
「お疲れだったな、クリス」
小さな声を、シンがかけてきた。
「うん…」
クリスは頷いて答えた。
上段のベッドから床に降りると、シンがユーキの横でベッドに腰をかけていた。
「では、いくか」
シンがそっと立ち上がり、操縦席へとクリスを誘う。シンの片手には、プロテクト・スーツとヘルメットがあるが、クリスは自分の操縦席に置きっぱなしである。
カヴァード・スーツの二人は、静かにその場を離れていく。
「ユーキさん、寝ちゃった?」
「ああ。ナチアもだろう?」
「うん」
二人は十字路まで歩き、そこで別れることになる。
クリスは、真っ直ぐ先にある、三号機の副操縦席へ。
シンは、十字路を右に折れた、一号機の方へ。
「今日の残りは、二人でやるが、いいか?」
「もちろん」
クリスは、シンと顔を見合わせた。
話したいのは、そこではない。ほんの僅かの間、無言の状態が生まれ、堪えきれず、クリスが口を開く。
「で、どうだったの、ユーキさんのカラダ?」
顔を真っ赤にしながら、黒髪の偉丈夫に尋ねる。
「お子様には、ちと話せんな」
「またーっ、そんな顔しちゃって」
クリスの拳が突き出され、シンの硬い腹筋にぶつかる。二度、三度。
「クリスこそ、どうだった?」
表情を緩めてシンが尋ねる。
その時、クリスは理解した。
シンさんは、ボーイさんの代わりをしている。
唐突に理解した。
ボーイに一番なついていたのが、クリスである。そのクリスに対し、ボーイがいなくなったあと、シンは代役を演じてくれていたのである。意識的なことか、無意識かはクリスにも判らない。自分の勘違いかもしれなかった。ただ、無性に嬉しくなったのは確かであった。
「なんのことだか、ぼく、解んないや」
わざとおどけて、答えてみせる。
「とぼけるなよ。ナチアの体は、特級品だったろう?」
シンの笑顔に、ボーイの笑顔が重なって見えた。
「ぼく、シンさんほど女の人のこと、知らないもん」
顔を逸らす。
嬉しくて嬉しくて、しょうがなかった。
「お前も、痛いところを突いてくるな…」
シンが苦笑していた。
嬉しくて、涙が出そうになる。
「シンさんは、ユーキさんだけ見てればいいんだよ」
返答を待たずに、走りだした。逃げだした。
「じゃあ、ぼく行くねっ」
また、あとでな。
シンの言葉が、背中に当たった。
振り向かず、うん、と答える。
通路の突き当たり、三号機の船尾まで来て、軽く床を蹴る。天井に開いた通路へと、体を移動させる。
ここまで来れば、もう年上の友人の姿は見えない。
嬉しくて。楽しくて。そして、寂しかった。
副操縦席のドアの前で、自分の両手を広げてみる。
柔らかかった。
あんな柔らかさは、初めてだった。信じられなかった。とろけるようだった。
かつて、担任であった先生にキスをしてもらった思い出があるが、その時触れ合ったのは唇だけである。しかも、緊張しすぎて、ほとんど覚えていない。
女の人は、みんなあんなに柔らかいのか。それとも、ナチアだけが特別なのか。
しばらく両手を見つめて、やがて、それを閉じる。拳を作ってみる。
硬かった。
あんな硬さは、初めてだった。信じられなかった。鋼のようだった。
たとえ宇宙服の上からでも、シンの腹筋の硬さは伝わってきた。
男の人は、みんなあんなに固いのか。それとも、シンだけが特別なのか。
少なくとも、まだ、自分にはないものであった。
ぼくも、ボーイさんみたいになりたいです。
かつて、そう言ったことがあった。
遠い昔のようであった。
今も、その気持ちは変わっていない。
ただ少し追加があった。
ぼくは、ボーイさんやシンさんみたいになりたいです。
真っ赤な顔で、真っ赤な拳を握り締め、クリスは強く、心で叫んだ。
<次回予告>
二人が起きた時、すでに事態は始まっていた。
だが、とりあえず二人にとっては、そんな舞台裏のことよりも、目先の問題の方が重大であった。
次回マーベリック
第七章 第四十七話「急変」
「なんだか、ちょっぴり、寂しいね…」




