第四十五話「一途」
幕は開け、そして閉じた。
シャワーがとまり、なおも視線を動かせなかった少年の鼻血に気が付いたのは、本人よりも、シンの方が早かった。
ナチアが艦内モニターの記録を調べるまでもなかった。
少女達がスクランブル・シャワーの余韻に浸っているところに、シンが、鼻を押さえたままのクリスを連れて行き、二人をどかして、少年をカプセル・シャワーに放り込んだのである。
年に似合わず様々な経験を積んできたクリスではあったが、これほど動揺し、かつ、恥ずかしい気持ちになったのは、これが初めてのことであった。
「許せませんわね、あの二人は」
ナチアは、怒りの声を通信器に投げかけた。
「ふふっ。そうね、許せないわね」
答えるユーキは、もう一人ほど怒っていなかった。
通信器は音声だけでなく、映像も伝えている。ユーキのにこやかな返答は、表情とともに、ナチアのもとに送り届けられた。
「…ユーキ」
「なぁに?」
怒り、そして呆れるナチアに対し、ユーキは至って和やかである。
「あなた、どうして、笑顔なのですか?」
「え、ううん。怒っているわよ。ちゃんと」
全然、怒っているようには見えなかった。クリスが担ぎ込まれた、その瞬間こそ、ユーキも驚き、男達に非難の声を上げていたが、一日経った現在、怒りが持続しているのはナチアだけのようであった。
「わかっていますの? わたくし達、シャワーを覗かれたのですわよ。体を見られたのですわよ?」
「そうだけど…、ちゃんと隠してたし。見られたっていっても、肩と腕だけだし…、あ、足もか」
何やら顔を赤らめるユーキは、覗かれたことを喜んでいるようにすら見えた。
「シーツをしていなかったら、全裸ですわ」
「ふふ。そこまで脱いだら、さすがにシンがとめたわよ」
「わかりませんわよ」
「わかるわよ」
「…ユーキ、あなた、少尉に覗かれたことがそんなに嬉しいですの?」
冷ややかに尋ねるナチアに対し、ユーキは真っ赤になって反論する。
「そ、そんなんじゃないのよ。そりゃあ、シンがわたしのこと見てくれたのは、少しは嬉しかったけど、でも、ほら、ナチアだって一緒だったんだし、だから、わたし、ちっとも、…あれ?」
反論になっていないことに、ユーキも途中で気が付いた。
「…ユーキ」
「…なに?」
呆れるナチアに対し、俯きながら、小声で答える。
「一度、聞こうと思っていたのですけど…」
「うん?」
「いったい、あの少尉の、どこがいいのです?」
「どこって…」
唐突に聞かれて、ユーキは少し、戸惑った。「ええと。仲間想いで、努力家で…」
「クリスと同程度の好意ですの?」
「そういうんじゃないけど…」
どう言えばいいのか、シンの「いいところ」を考えはじめたユーキであったが、ナチアの方が先に口を開いてしまった。
「確かに、顔もそれほどは悪くはないですし、腕は立ちますし、頭も切れるかもしれませんけれど…」
うんうん、と嬉しそうに頷くユーキに対し、ナチアは声を大きくした。
「あんな根暗な陰険男、どこがいいのですか?」
うん、と、頷きかけたユーキの動きがとまる。
基本的に、シンの悪口は許せないユーキであった。
「ナチア、シンは陰険じゃないわ。そりゃあ、ちょっとは、暗い風に見えてしまうところもあるけど…」
「見えるのではなくて、あれは、ほんとうに暗いのですわ」
「そんなことないわよ」
「いいですか、ユーキ、よーくお聞きなさい」
迫力を増したナチアに、ユーキは少し、たじろんでしまう。
「以前、ユーキの必死の告白をはねつけた男が、今回、覗きという卑劣な手段で、あなたを性の対象として見ていたのですわよ?」
「そう、ね…。そうなのかな…」
「これを陰険と言わずに、何が陰険ですの?」
「でも、今回のことは、シンが、その、ええと…健全、な、証拠だと思うし。ほら、男の人って、多かれ少なかれ、そんなところあるから…」
「あなたのような女がいるから、性犯罪がなくならないのですわ」
「そうかな…」
「そもそも、少尉が健全なら、ユーキの申し出を受け入れましたわ」
ナチアは断言した。
多少の好みなど問題ではない。
健全な男が、ユーキの告白に、ノーをだせる訳がないのである。宇宙中の女を敵にまわしても仕方ないくらいの魅力を、ミナヅキ・ユーキは持っている。少なくとも、ナチアはそう評価している。
「シンが、わたしを受け入れてくれなかったのは…、その、昔のことが、あったからなの。だから…」
「少尉が、過去にどれほどの人間を殺め、どれほどの女に乱暴をはたらいたのかは、わたくしも言いません」
厳しい顔になるユーキからの反論を、ナチアは言葉と視線で押さえ込む。
「むしろ、十全な統治機構とサイバー・スペースを提供できずに子供達を放置した、連邦と財団にこそ責任があるとさえ言えます」
法の不備。児童の保護。大人達の責任。
ナチアとしては正論を述べた。感情を別にすれば、当時のシン達キッズ・マフィアが問われるべき責任は、本来大人達がともに背負うものである。
「ですが、聞いた話からすると、亡くなった…イシス、でしたわね、少尉の恋人は。そのイシスのために貞操を守っている、ということになりますわよね? 死んだ人間に対して、貞操を守る? はんっ。とても健全な男とは思えませんわ」
首を横に振るナチア。
ユーキは、そんなナチアを見つめた。確かに、ナチアには分からないかもしれない。そもそもが、育ってきた文化が違うのである。
「ナチア。わたしには、わかるのよ」
諭すように、ゆっくりと話しかける。「わたしも、もし、シンが死んでしまったら…、きっと一生、操を立てるわ」
怪訝な表情のナチアに、ユーキは微笑んでみせる。
「そのくらい、人を好きになるってこと、あるものなのよ」
ユーキ自身、初めて知った想いであった。
「そのくらい、好きなのよ…」
それでも報われない、ユーキの辛さであった。
「おかしいですわよ」
ナチアは一言で切り捨てる。
「そうね…。おかしいね…」
「相手は死んでいるのですわよ? 意味がありませんわ。…黄色系人種って、みんな、そういうものですの?」
「全員が、そういうんじゃあ、ないわよ」
もちろんね、と言って、ユーキは続ける。
「ある程度、一緒に過ごした夫婦とかで、よっぽど仲がよかった時なんかに…、そういうことが起きるの…かな。最近じゃあ、けっこう稀かもしれないけど」
にわかには信じられなかった。一途な少女であると知ってはいたが、まさか、これほどとは知らなかった。
「…では、少尉のことは…、この先ずっと、見ているだけで満足ですの?」
それはあんまりであった。それでは悲しすぎた。
だが、そんなナチアの気持ちを裏切るように、ユーキは笑顔で答えた。
「そんなわけ、ないじゃない」
「…?」
「わたし、まだ十七の女なのよ。まだ、キスしか知らない体なのよ。しかも…、ちょっとだけだし…。したいことあるわ。いっぱいある。デートだってしたいし、キスだって、もっとしたい。その先も…」
顔を赤く染めながら、ユーキは、想いのすべてを親友に打ち明けた。
「シンだって、まだ十九の男なのよ。そりゃあ、年齢以上に、いろいろあったみたいだし、イシスさんのことだって忘れられないんだろうし、きっとイシスさんのこと、自分のせいみたいに考えてて…。だから罪滅ぼしに、女は抱かないなんて、つっぱって、自分を傷つけて…。でも、ただ、それだけなのよ…」
「ユーキ…」
ナチアの声も、今のユーキには、小さすぎて届かなかった。
「だけど、まだ、十代の男の子よ。女に興味がないなんて、言わせないんだから。一回断られたくらいで、退いてなんかいられない。わたしの心と、体と、すべてをかけて…。必ず、振り向かせてみせるんだから…」
胸元で、きゅっと拳を固めるユーキであった。
ユーキ…。
ナチアは、ユーキに圧倒されていた。ユーキと、その想いに。
一途で、健気で、可愛いユーキ。
思わず、一号機の副操縦席まで飛び込んでいって、抱きしめたい気分になった。
「あ、ごめんね、わたし一人でもりあがっちゃって…」
我に返って頬を染める仕種が、また愛らしかった。
…もう、仕方ないのですわね…。
二人の関係を、応援する気にはなれない。シンに好意など持てない。けれど、少なくとも、邪魔はしないであげようと思った。
「…それで、いったい少尉の、どこがいいのです?」
最初の質問に戻ったのは、ユーキの照れ隠しに手を貸すためであった。
ユーキも、そんなナチアの配慮を受け取った。
だから、笑って答えてみせる。
「決まってるじゃない。顔がいいし、腕も立つし、頭も切れるところよ」
<次回予告>
クリスが、素っ頓狂な声をだした。
巡回艇接触から、六日後。スクランブル・シャワーから、一日と少々。夕食を終え、夜の仕事に取りかかる前の、休憩時間の出来事である。
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第七章 第四十六話「按摩」
「お子様には、ちと話せんな」




