第四十二話「疎外」
漂流六日目。
ナチアは、目を覚ました。
シーツから、もぞもぞと手を出し、大きく伸びをする。
いい朝であった。
睡眠も十分とれたし、何より身体が快調であった。
手を伸ばして、壁に掛かった宇宙服を引き寄せる。その胸元の時計を見ると、ちょうど、アラームの鳴る十秒前であった。
ふふっ。上出来ですわね。
アラームの設定を切り、もうひとつ伸びをする。
シーツを抑えていたベルトを外し、体を低重力の空間に開放する。
慣れた手つきでベッドの脇を掴み、頭だけを突き出す。
「クリスっ、朝ですわよっ」
大声で叫ぶ。
ナチアと比べて、クリスは極端に寝起きが悪い。朝の第一声は、ナチアの習慣となっていた。
けれど。
「?」
クリスはいなかった。
「…クリス?」
さらに身を乗り出そうとして、自分がボディ・スーツ姿であると思い直す。
通路の奥にも目を向けるが、開かれたカーテンの向こうに、カプセル・シャワーとトイレがあるのみ。少年の姿はない。
ざっとまわりを見渡すが、ブラウンの頭は、どこにもなかった。
クリス?
ナチアよりも早くクリスが起きたことなど、今までに一度もない。そもそも、誰かに起こされないと、いつまででも眠り続けるのが、クリスなのである。ヘブンにいた頃は、大音量の目覚しを一人部屋で使っていたらしいが、今は違う。不本意ながらナチアがその代役を務めている。
どうしたのです?
ナチアは急いで、壁の宇宙服を引き寄せる。
なにか、あったというのですか?
カヴァード・スーツに足を通そうとして、手がとまる。
何かが、あったのだ。
眠っているクリスを叩き起こさなければならないような、何かが。
宇宙服を両手に抱え、ナチアはベッドから飛び降りた。床に着くまでの時間が、やけに遅く感じられる。床までの距離が縮まらない。
クリスは必要だが、ナチアは必要ない。
そんな出来事が発生している。
床に接した。足の指で掴むように、全力で地を蹴る。
向かう先は、三号機操縦席。自分の居場所。
わたくしの…居場所?
滲み出る不安を封じ込め、通路を走る。十字路をすぎる、その瞬間。
「!」
なに?
今のは、なんですの?
体に急停止を命じる。
拍手?
どうして?なぜ?
え?
ユーキ、クリス、少尉、なにを言ってますの?
ハッピー?
バースデー?
三人とも、なにを言ってますの?
「もう、どうしたのよ、そんな格好で?」
軽やかな足取りで、ユーキが近づいてきた。
ナチアは、ボディ・スーツだけの格好で、両手に残りの宇宙服を握って、立ちすくんでいた。
「あ、ほらほら、シンもクリスも、むこうに行って」
いったん振り向いて、十字路の角へと、男どもを追い払う。
「ユーキ…」
溜め息とともに、ナチアの声が漏れる。
「ほらもう、ナチアスチアともあろう者が、どうしたの?」
ユーキが、ゆっくりとナチアを抱きしめた。
両手から二つのスーツが離れ、ゆるやかに宙に浮かぶ。
「…わたくしだけ起こされなくて…、ですから…」
まさか自分が、これほどに幼かったとは。
「あなたを起こしちゃったら、驚かせないでしょう?」
子供だったとは、予想外であった。
「ごめんなさい。不安にさせちゃったね」
ナチアの背中を、ユーキは優しく撫でる。
「ナチアさん、誕生日おめでとーっ」
十字路の角から、クリスの元気な声が聞こえた。
「誕生日?」
ナチアは、ゆっくりと顔を上げ、ユーキに尋ねた。
「そうよ。宇宙暦八百年二月九日。昨日ようやく、艦内時計の調整が終わったの。間に合ってよかった。標準暦になっちゃうけど…、あなたの誕生日でしょ?」
にっこりと微笑んで、ユーキは答えた。
「ええ、ええ…」
本人ですら忘れていたそれを、覚えていてくれた友人がいた。仲間達がいた。
「十八歳おめでとー」
またもや、通路の向こうから声が聞こえた。
ナチアは、少し調子を取り戻した。
「失礼ですわねっ、わたくしはまだ十六ですわよっ」
十字路に向かって叫ぶ。
「えーっ、だってナチアさん、七百八十二年生まれでしょ。やっぱり十八だよーっ」
生意気な答えが返ってくる。
「宇宙暦など関係ありませんわっ。体内時間ですわよっ」
叫ぶ自分の声が、普段よりも音階が高いことを、ナチア自身気付かずにはいられなかった。
そんなナチアに、ユーキが微笑んでいた。
「ふふっ、じゃあ、間をとって、十七歳というのはどう?」
ナチアの目と、ユーキの目が合う。
「仕方ありませんわね」
「よかった。せっかく作った誕生日のごちそう、むだにしたくなかったのよ」
ユーキは、一度ナチアと笑ってから、後ろに顔を向ける。
「十七歳の誕生日でいいわよねっ?」
「いいよー」
元気な少年の声が返ってくる。
「シンも、いいわよねっ?」
「構わん」
面白味のない声が返ってくる。
そんな二人の返答を受け、ユーキはナチアと、もう一度笑みを交わす。
「さぁ、ちゃんと服を着てから、お祝いしましょ」
ユーキは片目を、つぶってみせる。
「あなたがそこまで、サービスすることはないわよ」
ナチアは、ユーキの優しさが好きだった。
「ユーキ」
「なに?」
「…わたくしの呼び方」
「呼び方?」
「………」
少しだけ、顔を横に向ける。
そんなナチアを下から覗き込んで、ユーキが屈託のない笑顔をみせる。
「ハッピー・バースデー、ナチア」
ユーキの優しさが、また少し、好きになった。
この女は人に取り入るのが上手だと思った。
続く




