第三十九話「食事」
漂流三日目。
ナチアが疑問に思った。
「ユーキ、そんなに少尉にあげてしまって、ほんとうにいいのですか?」
四人はリビングで、昼食をとろうとしていた。
「ええ、大丈夫よ。ちゃんと計算してるから」
ユーキは微笑んで答える。
この時ユーキは、シンプルな皿にシンプルな食料を、できるだけ美味しそうに盛りつけて、シンに渡そうとしていたところである。
「そうですの…」
ナチアとしては、少々納得がいかなかった。今ユーキがよそっている食料は、他の三人の分量よりも、若干多いように見えた。不公平感もあったが、食料の残量を気にしての質問である。とはいえ、食料の管理はユーキの担当と決まっていた。ナチアとしても、それ以上の追求はしなかった。
そんなナチアに代わって、尋ねたのはクリスである。
「でも、本当にそれで三ヶ月もつの?」
クリスにまで言われてしまうと、ユーキとしても考えてしまう。そんなユーキから皿を受け取ったシンも、食事に手をつけづらくなった。
「ええ。大丈夫なはずよ」
ユーキの答えを、シンが表面上は冷静に聞いていた。例えばボーイほどの極端な大食らいではない筈だが、シンも他の三人に比べれば、量を必要とする人間であった。
「でも、三ヶ月だよ?」
クリスは、気になったことを、放っておきはしなかった。
「ええ、三ヶ月よね?」
しばらく考えていたユーキであったが、やはり計算違いはない筈であった。三号機の食料庫に二ヶ月分、各操縦席にゲル状栄養補給飲料が一ヶ月分。合わせて三ヶ月分。クリスから聞いていたとおりであり、ユーキ自身が確認した量でもあった。
「予備の分も、ちゃんと考えてるよね?」
クリスの質問に、ユーキの顔の色が変わった。
「ちょっとユーキ、まさか、考えていないなんて、言わないですわよね?」
ナチアの声に、ユーキは体を縮めた。
「予備って、その…なんだっけ?」
小声で二人に尋ねる。
「呆れましたわ、クリスから聞いてますでしょ?」
ナチアが、処置なし、といった顔で答える。だが、名前を出された少年も、自分の名前がでたことに驚きの声を上げた。
「え?」
大きくなく、控えめな声であったが、三人の会話を凍りつかせるのには十分であった。
しばらくの沈黙のあと、ナチアから順に、口を開きはじめる。
「なにが、え、ですの、クリス?」
言い方はゆっくりであったが、微量の怒りと恫喝が含まれていた。
「だって、ナチアさんが伝えるんじゃなかったの?」
クリスが、やや小さめの声で問い返す。
「待ってよ、二人とも」
静かに睨み合う形となった二人の間に、ユーキが入り込む。
「なに?」
「なんですの?」
「まず…、その予備っていうのは、なんなの?」
二人の勢いに負けそうになるが、ユーキとしては、愛しい男の胃袋に関する問題である。圧倒ばかりされている訳にはいかなかった。
「ですから、各操縦席の補給飲料は予備にとっておき、できるだけ三号機にある食料だけで、三ヶ月乗りきろうという話ですわ」
いきなり、ですから、と言われてもユーキには初耳である。
「ナチアさんが、ユーキさんに言う筈だったんだよ」
クリスが口をはさんだ瞬間に、ナチアから声が上がる。
「なにを言いますのっ。あれは、クリスから言うと決まったではありませんかっ」
「そんなの嘘だよっ。ナチアさんに頼んだじゃないかっ」
「二人とも、落ち着いて、ね?」
仲介が入り、ようやく二人は言い合いを中止した。
その後、ユーキが二人から聞いた話をまとめると、どうやら、二人相互の誤解が原因のようであった。
シンとユーキが眠っている時に、ナチアとクリスは、互いの操縦席の中で、あるシミュレーションを行っていた。エネルギー・ラインの修復時に発生する余分な負荷についてのものであった。そしてこれと並行的に、二人は食料の備蓄について話したのである。
「じゃあ、やっぱり、補給飲料の方は、予備として考えた方がいいのかなぁ」
クリスの手は、高速でコンソール上を移動していた。
「まぁ、仕方ないと思いますわよ。楽観視するのも、どうかと思いますし」
ナチアの眼前には、二十を超えるモニターが、刻一刻と変化するエネルギー分布を描いていた。
「ぼくはいいけど、なんか、シンさんがかわいそうだなぁ…」
「クリスもユーキも、少尉には甘いですわよ」
「そうかな?」
「そうですわ」
この時、クリスのモニターに、僅かなエラーが発生した。
「リバース、発生したよ」
「わかりましたわ。座標を送りなさい」
「うん、分かった。じゃあ、さっきのこと、ユーキさんに話しておいてよ」
「受け取りましたわ。そちらはクリスに任せますわ」
「オッケー。二次振動発生。今度のは大きいよ。さっきのとあわせて、よろしくね」
こうして二人は、次第に大きくなるシミュレーション上のエラーに追われていったのである。
「確か、そんな感じの会話だったと思うんだけど…」
クリスが思い出しながら、首を傾ける。
「ほら、ご覧なさい。わたくしが頼んでいるではありませんか」
思い出すのをクリスに任せて、ナチアは強気の態度にでる。
「ええっ、嘘だよ。ぼくがナチアさんに頼んでるじゃないか」
「クリスなんかに嘘つき呼ばわりされるのは、心外ですわ」
「ひどいや、ナチアさん。クリスなんかって、なんだよ」
「問題は、その前の嘘つきですわ」
「だって、ぼく、嘘つきじゃないもの」
「なんですって。では、わたくしが嘘つきだと言うのですわね?」
二人の体が前のめりになるのを、ユーキが押さえた。ナチアは嘘つきという言葉が嫌いなのだろうか。
「まぁまぁ、二人とも。今、わたしも知ったんだし、いいじゃない」
ユーキの言葉も、二人には即効性が薄かった。
「いいえ、よくありませんわ。問題はすでに、わたくしのプライドへと移行しました」
「なんだよ、そのプライドって?」
「わたくしとクリスと、どちらが嘘つきかということですわ」
「そんなのナチアさんに決まってるじゃないか」
「なんですってぇっ」
今にも跳びかからんとするナチアを、今度こそ、ユーキの声が制止した。
「やめなさいっ」
決して大きくない声が、ナチアの怒りとクリスの不満を、見事に封じ込めた。
「食事中です、静かになさい」
穏やかに怒るユーキの迫力に、ナチアもクリスも、声を小さくする。
「はら、あなたのせいで、ユーキが怒ったではないですの」
「なんだよ、ナチアさんが、ぼくを叩こうとしたからでしょ」
言い続けようした二人であったが、ユーキのひと睨みでおとなしくなる。普段は優しいユーキであったが、ひとたび怒れば、その恐ろしさはナチアやクリスの比ではない。少なくとも、怒られた二人はそう思っていた。
「とにかく、二人の言い分はわかりました。まずは、それでいいですね?」
言い方だけは優しく、二人も素直に従うことにした。
「…うん」
「いいですわ」
納得はしていないが、という感じの視線を、互いにぶつける。
そんな二人の前で、ユーキは、顔の向きを戻す。
「それで、シンは、どう思う?」
すでに怒りはなく、優しさだけの声となっていた。
ずるいや、シンさんにだけ。
やきもちですの?
そんなんじゃない。
ほほ。無理しなくていいですわよ。
あくまでも小声で、ナチアとクリスはやり合い続ける。
「食料の備蓄は、確かに必要かもしれん」
「いいの、シン?」
「ああ、仕方ないだろう」
表情を変えないシンを、真意を計りかねたユーキが見つめる。その隣では、まだ小声のいさかいが続いている。
無理なんかしてない。ぼくはただ…。
わかってますわよ。クリスがスケベなことくらい。
なんだよそれ。
隠さなくてもいいですわ。知ってますもの。
ナチアさんが、ぼくの何を知ってるのさ。
ほほ。さてはユーキの体が目当てですのね?
なっ、なんてこと言うんだよっ。
「ナチアっ、クリスっ」
頭の上から声が降ってきた。誰の声かは、見なくても分かる。
「…なに?」
「なんですの?」
恐くて優しい声の主に、二人は顔を向けた。
「シンの了承がでましたので、あなた達の提案どおり、補給飲料を予備の食料とします。今後は、三号機にある分だけで、三ヶ月を乗りきるように分配を行います」
ナチアとクリスに、不満のある筈はなかった。
「ただし、この昼食分は、もう配ってしまいましたので、シンも、遠慮せず食べてくださいね」
この点に関しても、大きな不満はなかった。言葉の最後の方が、不自然なほど優しいものに変わっていたことが気になったが、それは口にできなかった。
「なお、今後は、わたしとナチアとクリスの分を少しずつ減らして、シンに食べてもらいますから、そのつもりで」
「えーっ」
「そんなの、ずるいですわっ」
ナチアとクリスは、大きな不満を感じた。その後、色々と抗議を行なったが、結局、すべて却下されてしまった。
古今東西、恋する乙女は無敵であった。
<次回予告>
漂流四日目。
大なり小なり、トラブルは毎日のようにやってきた。
この日のトラブルは、中でも最低のトラブルであった。
次回マーベリック
第六章 第四十話「排泄」
「ともかく、人力しかないんだな?」




