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第三十七話「睡眠」(2)

 まったくもう、あの二人、何もなかったのでしょうね。

 ナチアは、ベッドを整えながら思った。シーツは折りたたんで袋状にしてから、中に人が寝る形状である。清潔面の考慮と気分的な問題から、ユーキとナチアは、違う面を内側にして眠ることにしていた。これは、シンとクリスも同様である。

「ねえ、ナチアさん」

 下から、クリスの声が聞こえてきた。

「なんですの?」

 聞くまでもない。クリスの言いたいことは分かっていた。

 あの二人、何かあったのかな?

「あの二人、何かあったのかな?」

 予想通りである。

「何もなかったのでは、ありませんこと」

 ナチアの声は、やや不機嫌であった。

 何もないとは思っていたが、多少の不安は残っていた。もうベッドを使ってもいいわよ、と言いにナチアの操縦席にやってきたユーキの顔には、何やら幸せの片鱗がくっついていたように感じられたのである。

「そおかぁ。じゃあ、やっぱり何もなかったんだね…」

 残念そうな声が聞こえた。

「ちょっとクリス」

「なに?」

「今の発言は、なんですの?」

「今の?」

「じゃあ、やっぱり、って言いましたわよね?」

 何が「じゃあ、やっぱり」なのか、ナチアには分からなかった。

「え、だって、そっちのベッドも汚れてなかったんでしょ?」

 少年が答えた、その瞬間。

 バカクリスっ!

 大音量の罵声が、通路に響き渡った。


 まったく、クリスの馬鹿さ加減には、呆れ果ててしまいますわよ。

 ベッドの下段からは、すでに寝息が聞こえる。ナチアは、その音を確認してから、宇宙服を脱ぎはじめた。

 一度、頭の中を見てみたいものですわ。

 ナチアとしては、ボディ・スーツとはいえ自分の体を、クリスごときに見せるつもりはなかった。大丈夫とは思っていたのであるが、先ほどの発言を受け、クリスが眠るまで脱ぐのを待っていたのである。

 天才と馬鹿は紙一重、というのは本当ですわね。

 三重構造の宇宙服のうち、まず、一番外側のプロテクト・スーツを外す。

 プロテクト・スーツは、耐衝撃用のスーツであり、ハーフ・コートの形状をしている。気密性などはないが、真空中でも脱着ができ、戦闘用のスーツとしても使用可能といった長所があった。一同が帝国領に跳び込んでしまったワープ事故においても、このプロテクト・スーツが一同を救った面がある。

 いえ、本当はクリスは天才でもなくて、ただの馬鹿なのかもしれませんわね。

 非常灯の薄明かりを頼りにプロテクト・スーツを脱ぐと、次はカヴァード・スーツの番である。これはいわゆる宇宙服であり、ヘルメットを取り付けるのも、このスーツとなる。圧縮エアや栄養補給飲料用のストローも、このカヴァード・スーツに内臓されている。胸元には小型のコンソールが付いており、宇宙服や、中の人体の状況等の確認も行える。当然、機体のメイン・コンピュータともリンクしている。

 スケベの上に馬鹿。クリスも、かわいそうな少年ですわ。

 苦労の末、ようやくカヴァード・スーツを脱ぐ。ハーフ・コート状のプロテクト・スーツと比べると、脱着が面倒なカヴァード・スーツである。ベッドの上では、なおさら脱ぎづらかった。

 でも、あまり同情はできませんわね。クリスには気をつけておかないと。

 カヴァード・スーツの下にあるのは、宇宙服の最後、ボディ・スーツである。全身を覆うこのスーツは、肌に密着しており、宇宙服というよりは下着か水着に近い形状であった。

 耐熱・耐電等の機能が備わっており、空間把握機能と連動した危機感知システムも搭載している。人工筋肉として身体能力を増強する効果がある一方、無重力や低重力環境においては適度な負荷となり、着ている者の筋力維持に貢献する。快適性も考慮されており、長期にわたる連続着用も可能である。特に、宇宙空間等の過酷な環境では、第二の皮膚として活躍する。これら宇宙服のすべてはチーム・マーベリックの特注品であり、あらゆる面において高性能である。予備の宇宙服も艦内に存在していたが、いずれも非常用の簡易スーツであり、一同は当面の間、同じスーツを着続ける予定である。

 ボディ・スーツ以外を壁面のフックに掛け、軽くストレッチをして、ナチアはシーツに入る。その途中で、動きをとめた。

 ゆっくりと、下のベッドを覗いてみる。

 そこには安らかな寝顔の少年がいる。

 …まぁ、大丈夫ですわね。

 クリスが起きそうもないことを確認して、顔を引っ込める。

 まったく…。クリスにあんなところを見られたのは、失敗でしたわ。

 改めてシーツに潜り込みながら、ナチアは、自分達が助かった時のことを思い出していた。

 最初に目を覚ましたのは、ナチア。

 シンが目を覚まさず、人工呼吸をしようとしたのも、ナチア。

 その後、ベッドの上で横になっていた二人であったが、クリスの欠伸の音を聞いて、シンの体を遠くへ押し離したのも、ナチアであった。

 危なかった。

 クリスは、不自然に近づいていた二人の姿を、不思議そうに眺めていた。

 やましいことなどない筈であったが、ナチアとしては、それ以来、危険人物のレッテルを少年に貼り付けている。クリスにとっては迷惑な話であった。

 あ…ら。

 浮かないように、シーツをベルトで固定すると、ユーキの残り香が、ナチアの鼻腔に届いた。

 人の体臭を好きになるなど、めったにないのであるが、何故かユーキだけは別であった。この時ナチアは、その理由に気付いた。

 わたくしの香りと、ちょっと似ているのですわね。

 少し嬉しくなり、そして複雑な思いになる。

 …わたくしと、似た香り?

 それは、遺伝子改造でナチアの直系血族が手に入れた「完璧」な祖母の香りであった。あろうことかユーキは、それを自然に身につけていたのである。人種や、これまでの食文化さえ違うのに、このようなことがあるのだろうか。それとも、内臓器官も含めて高レベルで健康であれば、同じような体臭になるのだろうか。

 恐ろしい女ですわね。

 ナチアは苦笑した。

 ヘブンにおいて、エア・ポートに迎えにきた少女。その少女の顔には、こう書いてあった。

 わたしはいっぱい子どもを産みます。

 ナチアにとって、それがユーキの第一印象である。健康であることならば、ナチアにも自信がある。健康な子どもも、産むことができるだろう。だが、いくら望んでも、相手の男の遺伝子を残すことはできない。ユーキの明るさが、時にナチアには眩しかった。

 自分は、偽物。

 ユーキは、本物。

 少しだけ寂しくなった。

 …でも、いい匂いですわ。

 ユーキを包み込んでいたシーツ。そのシーツに包まれた、もう一人の少女。その少女はいつしか、安らかな眠りに包まれていった。

<次回予告>


 漂流二日目。

 初めに、四人は、睡眠時間に関する変更を決めた。


次回マーベリック

第六章 第三十八話「洗体」


「いくら、クリスが何と言おうとも、これだけは譲れませんわよ」

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