第三十話「嫉妬」
残り、約四十六時間。
一号機の通路では、ナチアとクリスが座っていた。
壁に背をあずけ、肩を寄せ合って座っていた。
二人とも目を覚ましていた。目を覚まし、前方だけを見て、別の二人のことを話していた。
「シンさんもユーキさんも、帰ってこないねぇ」
「そうですわね…」
「これだけ長いんだもん。あの二人、きっとうまくいってるよ」
「そうだといいですわね…」
同じような会話が繰り返されていた。時々目を閉じながら。時々目を開けながら。言葉を交わす。そんな状態が、この十時間続いていた。
「ナチアさんとしては、複雑?」
「そうですわね…」
会話のスピードは、かなり遅くなっている。
酸素と体力の消耗を防ぐためである。
「じゃあやっぱり、ナチアさんも、シンさんのことが好きなの?」
「違いますわよ」
「じゃあ、なんで複雑?」
「ユーキが、あんな男にひっかかるのが、許せませんわね」
「…ナチアさんは、シンさん嫌いなの?」
「そうではありませんけど…、好きではありませんわね」
「なんで?」
「なんで、と言われても…」
「だってシンさん、馬鹿でも不細工でもないよ」
クリスがナチアの方へ視線を動かす。ナチアの「馬鹿と不細工嫌い」は、チーム・マーベリック内では有名であった。
ナチアは、前方を向いたまま答える。
「なんでもできて、なんでも分かった風で、一人でいい男づらしていることが、許せませんわ」
それは、ナチアさんも同じじゃないのかな?
クリスはそう思ったが、言うのは控えた。
「そんな生意気な男が、ユーキまで手に入れるのが、気に入りませんわね」
「じゃあ、シンさんに嫉妬してるんだ」
つい、口を滑らせた。
言い終える前から、ナチアの直接的な反撃に備え、身体を緊張させた。
しかし、ナチアの平手がクリスの頭に落ちることはなく、代わって驚いたような視線が、クリスの顔に注がれた。
「な…、なに?」
「それは案外…当たっているかもしれませんわね」
ナチアの声は、クリスを通過して、空中に話しかけているようであった。
わたくしは、ですけど、あれほど陰険ではありませんわよ。
ナチアは思い、口にはしなかった。
話題の二人が帰ってきたのである。
「…ただいま」
ユーキが照れくさそうに、ナチアとクリスに声をかけた。
その後ろには、いつも通りのシンが立っている。
「おかえりなさい」
クリスが嬉しそうに返事をする。
「ようやくの、お帰りですわね」
やれやれ、といった感じで、ナチアは腰を上げる。
「ユーキ、いらっしゃい」
大きく手を広げたその胸に、ユーキは近づいて、抱き合った。少しだけ恥ずかしかった。
「よく、やりましたわね。いい子ですわよ」
「うん…」
ナチアに褒めてもらえるなど、そうはない。
そうはないけれど、褒めてもらえるようなことを、今回自分はしたのだろうか。
「ごめんね。待たせちゃって…」
「かまいませんわよ。ユーキが、こんな男の毒牙にかかったかと思うと複雑ですけれど、一応、おめでとうを言わせていただきますわ」
本人としては、最大限譲歩したつもりの、祝福の言葉であった。
しかし、受け取った方は、そうは感じなかった。
「もうっ、毒牙だなんて…、言わないでよ」
「似たようなものですわ」
「でも…」
「とにかく、ユーキが女になった記念日ですわ」
「………」
「…どうしたのです?」
ユーキの反応に、少しの違和感を覚えた。
下を向き、口を閉ざすユーキを見て、ナチアは思い至った。
「まさか…、ユーキ、まだ、とか、言わないですわよね?」
一言ずつ、区切るように問いかける。
ユーキは無言。だが、その顔はさらに下に向けられた。
ナチアの顔が、凍る。
「ナチアっ」
僅かに移動したクリスと並んで、床に座ったシンの方へと向き合ったナチアを、ユーキは慌てて押しとどめた。
「放しなさい、ユーキ」
「待って。なに? どうするの?」
「どうするもこうするもありませんわ」
ナチアはユーキに抱きとめられたまま、シンを見下ろし、睨みつける。
「待って、シンは悪くないの」
「この男が悪くないなら、世の中に悪人はいませんわ」
「そんなっ…」
「ユーキの純情を踏みにじった、この馬鹿にっ、目にもの見せてやりますわ…」
ナチアの目は本気であった。この状況で、シンに挑むつもりなのか。
「待ってナチア。シンは悪くないの。それにわたし、ちゃんと満足してるし。だから…」
ここまで聞いたナチアが、ゆっくりとユーキに向きなおった。
「…満足?」
「………う…ん…」
「なんでですの?」
ナチアに覗き込まれ、ユーキは再び、下を向いた。その唇が、ほんの小さな声を出す。
「ええと…、一緒に、いてもらったから…かな…。ずっと、ぎゅっと、その…近くで…」
ナチアは自らの怒りの、ぶつけ先を失った。
なんですの、この女は。
なんですの、この男は。
いい年をした男と女が、どうして、その程度で。
「…ユーキ」
ようやく、声を出した。
「なに?」
ユーキは恐る恐る答える。
「…少尉」
「何だ?」
シンはいつもどおり、平静である。
「わたくし、あなた方が…」
この時ばかりは、クリスも少しだけ、ナチアに同感した。
「大っ嫌いですわっ!」
「ぼく、二人のことが信じられないや」
「わたくしもですわ」
クリスとナチアは、元通りに並んで腰掛けていた。
「もう、二人ともよしてよ、その話題は。せっかく、わたし達も帰ってきたんだし、ね?」
ユーキは、不本意顔の二人の前に座っていた。その隣には、シンが並んでいる。
憎ったらしいですわね。
ナチアは、目の前のシンを睨みつけていた。
ユーキよりも誰よりも。ナチアは、この男が許せなかった。ヘブンにいた頃から、いい感情など持っていなかったが、確定的になった。
何故、この陰険な馬鹿男の隣に、にこにことユーキが座っているのか。ナチアには到底、理解ができなかった。
ナチアは怒り続けていた。しかし一方、横にいる少年は、それほど長くは感情を持続させなかった。
「まあいいや。確かに、せっかく二人が帰ってきたんだし。あれやろうよ、ナチアさん」
クリスの言葉を受け、ナチアも渋々、気持ちを切り替えた。
「ふう…。そうですわね。いいですわよ」
ナチアは了解したが、シンとユーキには、意味が分からない。
「ねぇ、二人とも、なんの話?」
ユーキが小首を傾げる。
不思議そうな顔に対して、クリスが、にっこりと笑う。
「ナチアさんと話してたんだ。四人揃ったら、やろうって」
「なにを?」
「第二回、恒例マーベリック大暴露大会を!」
<次回予告>
テーマは「最も秘密にしていたこと」であった。
クリスの提案に、初めは嫌がっていたユーキであったが、長時間待たせた弱みもあり、最後には了承した。
次回マーベリック
第五章 第三十一話「暴露2(前編)」
「笑えるの、それ? 笑っていい話なの?」




