第二十八話「恋慕」
残り、約六十二時間。
シンは座って、待っていた。
二人の少女と、一人の少年を、待っていた。
三人と離れてから一時間が経ち、ようやく一人が帰ってきた。
「ただいま」
照れくさそうに笑って、シンの横に座る。
「どうした、遅かったな?」
シンはクリスに言葉をかける。その声に、一切の動揺はない。
どうした、と聞きはしたが、おおよその理由は分かっている。
二人の少女はまだ帰ってきておらず、それこそが、クリスの遅れた理由であった。
「聞こえてなかった?」
「多少はな」
「さすがだなぁ」
「三号機には、シャワーがあるのか?」
シンが尋ねた。
少し前から、微かではあるが、水の音が届いていた。通路の繋がった、三号機の方からである。
「うん」
クリスが、嬉しそうに返事をする。
「簡易型のカプセル・シャワーがついてるんだ。でも、それだけじゃないよ。外からまる見えだけど…簡易じゃないトイレだってあったし、二段式の収納ベッドもあるんだ」
「ほう」
「ちょっと起動するのに時間がかかっちゃったけど、シャワーもトイレも、独立型の水圧とエネルギー源だから、シンさんもあとで使いなよ」
「ああ、そうしよう」
「うん。あ、でも、当分はだめだと思うよ」
「どうしてだ?」
「今、ユーキさんとナチアさんが使ってるもの。二人とも、ぜったい長いよ」
「なるほど、そうだな」
「うん。使ってるのは、シャワーの方ね」
「分かっている」
「トイレとかベッドじゃないよ。一応」
「ああ」
和やかに話し、そして、会話が途切れた。
二人の間に静寂が訪れると、代わって、別の音が聞こえてきた。流れ落ちる水の音である。少女達の声までは聞こえない。
しばらくの間、二人は黙って、その音を聞いていた。
「クリス」
先に口を開いたのは、シンであった。
「一応、聞いておく」
「なに?」
「シャワーやトイレのエネルギーは、他にまわせないのか?」
「…ううん。だめなんだ。操縦席のもだけど、あれは、ほとんど既製品を取り付けただけの、純粋な独立設備だから…」
「そうか」
「ごめんね」
「気にするな。できるものなら、すでにお前がやっているだろう」
「温度調整も狭い範囲しかできないし、水から酸素を取り出すのも難しいと思う。道具もないしね」
「ああ」
「温水出したことによる、微々たる影響とか、説明した方がいい?」
「いや、それはいい。他に言ってない設備はあるか?」
「他にはないよ。ごめんね。さっき、ちゃんと言えばよかったね」
「気にするな。自分で確かめなかった、俺も悪かった」
艦内を見てまわれば、当然、かつて二号機と繋がっていた場所にも行くことになる。
その場合、理性的な判断ができなくなる恐れがある。他はともかく、黒髪の少女は。
そんなシンの考えが、クリスも分かっていた。だから、追求することなく話題を戻した。
「シャワーのエネルギー、かぁ…」
「何か思いつくか?」
「ううん、全然。ただ…」
「何だ?」
「たいしたことじゃないんだ。バイパスが生きていたら、逆ならできたかな、って」
「逆?」
「うん。船本体のエネルギーを、シャワーやトイレに送り込むの」
「…すると、どうなるんだ?」
「うーん…。よく分からないけど、シャワーなんかは、洗濯機みたいに使えると思うよ。水流式の」
「………」
「………」
シンは黙った。クリスも黙った。
遠くからは、水の音。
この時二人は、同じことを考えていた。
洗濯機となったカプセル・シャワーの中で、水にもまれながら回転するユーキとナチアの姿。
「………」
「………ぷっ」
吹き出したのはクリスであった。
「どうした、クリス?」
尋ねるシンの声にも、笑いの成分が含まれていた。
「ずるいやシンさん、同じこと考えてたくせにっ」
「いや、分からんぞ」
「えーっ。ぜったい、考えてたよっ」
「クリス。物事を断定するのはよくない」
「じゃあ、ぼくが考えた内容を言うから、シンさんも言ってよっ」
「よし、言ってみろ」
「洗濯機になったシャワーの中で、裸のユーキさんとナチアさんが、ぐるぐるって、まわってるの」
「ほう。何だクリス、そんないやらしい事を考えていたのか?」
「えーっ、シンさんだって、同じでしょっ」
「いや、俺の頭の中では、二人は服を着ていた」
「そんなの嘘だよっ」
「本当だ」
「シンさんずるいなーっ」
その後、二人はひとしきり笑い合った。
微かな水の音は絶えず、シンとクリスにも笑顔が戻り。
そして、穏やかな時間が流れた。
「シンさん」
再びクリスが話しかけたのは、そんな数分間を過ごした、そのあとであった。
「何だ?」
「可愛いよね」
「そうだな」
二人は、水の音を聞きながら、同じ壁を見ていた。
「どうだったの?」
「何がだ?」
「ほら、さっき、キスされたでしょ?」
あやうく殺すところだった。
言葉には出さなかった。クリスに伝えるようなことではなかった。
「そうだな、少し、動揺したか」
「へえ。さすがシンさん。ユーキさんほどの美人にキスされて、少しですむんだぁ」
楽しそうに話すクリスに対して、シンは多少の後ろめたさを感じた。
「ねえ、シンさん」
「何だ?」
「やっちゃいなよ」
実に率直な提案であった。
「…クリス」
「なに?」
「悪いが、そのつもりはないんだ」
以前、ボーイにも似たようなことを聞かれ、似たような答えをしていた。今さらクリスに隠す必要もない。
「なんで?」
「色々あってな」
前回は「女は、断つ事にしている」と続いた言葉であったが、今回は省略した。
「ふーん」
納得いかない顔の、クリスである。
「ユーキさんとシンさん、お似合いだと思うんだけどなあ。二人とも優しいしさ」
「ユーキはともかく、俺は…」
「シンさん優しいよ。最初の実機演習の時なんか、ぼく、たくさん助けてもらった」
その時は、シンとクリスの二人だけでチームを組んだ。
「役割分担だ。助けるのは当然だろう」
クリスはサイバー・アタックを行い、それ以外は、かなりの部分をシンがサポートした。
「あれを当然と言えるシンさんは優しいって話。ぼくはシンさんに励ましてもらってばかりだ」
打算で動いた結果が、なぜこうも評価されているのか。シンは少しだけ首を傾げた。
「それでも…だめなのかな? ユーキさんには手を出せない?」
「期待にそえなくて、すまんな」
「うーん…」
よほど納得がいかなかったのか、クリスは再び質問を開始した。質問、というよりは、詰問に近い口調であった。
「でも、シンさん」
「何だ?」
「ユーキさんのどこが気に入らないの?」
クリスは、怒っていたのかもしれない。
「そういう訳では、ないんだ」
「だって、納得いかないよ」
「クリス…」
説明に困りだしたシンに対し、言葉の嵐が襲いかかった。
「だって、ユーキさん、あんなに可愛いじゃない。あんな素敵な人、世の中にいないよ。キラキラしてて、真っ直ぐで。内面から光ってるってゆーか。燃えてるとゆーか。言葉の例えじゃなくって、本当に。ユーキさんみたいに輝いてる人、ぼく、見たの初めてだよ」
「…ああ、俺も初めてだ」
クリスの言葉に、シンは押されぎみである。
「ほーら、シンさんだってそう思うんでしょ。性格だって抜群にいいし、健気だし、美人だし。もちろん、ただ美形ってだけなら、ナチアさんがいるけど。でもほら、あの人は特殊だから。色々と。胸だって、比べるとユーキさんの方が小さく見えるけど、骨格そのものの厚みが違うでしょ。純粋なオッパイの大きさなら、実はユーキさん負けてないと思うんだ。もちろんぼくは、オッパイの大きさで女性を差別するようなことはないけど、だけどオッパイが好きな男性が多いのも、自然なことだし。それにもちろん、胸から下のプロポーションだって大切だよね。その点もユーキさんは、大変にオススメで。プリっとしたお尻から伸びる脚のラインとか、なんかもう、見所たくさんで何時間でも見ていられるくらい最高に素晴らしくて…」
「おい、クリス…」
シンの声を、もはやクリスは聞いていなかった。
「さっきだって、女の子からキスするなんて、普通ないよ。だってあれ、ユーキさんのファースト・キスだったんだよ。大切なキスだったんだよ。それを女の子の方からさせちゃってさっ。そんなんで、男から何もしないって、ぼく、おかしいと思うんだ。ユーキさんの顔見た? すっごい、可愛い表情してたよ。まさに女の子って感じで。ほっぺだって肌だって、ほんともう、ツルツルでピカピカで、スベスベでピチピチで…。あんないい人、他にいないよ。明るし、元気だし、健康だし、近くにいったら、もう、いーい匂いするんだよ。大胆なところもあるけど、恥じらいもあって、さっぱりしてるけど奥ゆかしくもあって、聞いてるっ、シンさんっ?」
「ああ、聞いている」
クリスはユーキが好きなのだろうな、とシンは思った。
「キスしてきたし、シンさんのこと好きだし、人生残り僅かだし、シャワー浴びてるし、三号機にはベッドだってあるんだよっ」
クリスは身を乗り出し、
「やっちゃいなよ、シンさん」
と、シンの宇宙服の胸倉を掴んできた。
「いいか、落ち着け、クリス」
ゆっくりと諭すように話しかけられ、クリスもようやく、平静を取り戻した。
「うん…」
「人には、それぞれ、事情や考えがあるんだ。分かるな?」
「うん」
「お前の気持ちも分かるが、俺にも俺の、気持ちや考えがある」
「うん」
「では、分かってくれるな?」
「…シンさん、もしかして、リアルの人だめなの?」
ボーイに続き、クリスにまで言われるとは。シンは小さく肩を落とす。
「いや、そういうわけではない」
「じゃあ、やっぱり、わからないや」
腕を組み、考えはじめるクリス。
そんな姿のクリスを見て、シンは少し可笑しくなる。天才少年も、やはり少年は少年であった。
「クリスは、どうなんだ?」
シンは、クリスに話題を振った。
「え?」
「ナチアと、いい雰囲気だったじゃないか」
「え、あ…、うん…」
歯切れの悪いクリスであったが、シンには理由が分からない。
「まあ、お互いの気持ちはあるだろうが、状況が状況だし、クリスがそう思っているのなら、お願いするのもいいと思うがな」
シンとしては、半分冗談、半分本気の発言であったのだが、受け取った方の反応は、至って真面目なものであった。
「ぼく、だめ、なんだ」
「だめ?」
だめ、と言われても、意味が分からない。
「ぼく、まだ、その…、大人の男、じゃあ、ないから…」
言いにくそうに、クリスが言葉を絞り出す。
「大人じゃない、と言っても、クリスは十四歳だろう?」
「…うん」
「十四で、…まだ?」
「うん…」
本当に?
シンは、その言葉を言わなかった。これ以上言えば、侮辱になるかもしれない。
悔しそうに俯くクリスを、シンは横から眺めた。
確かに、十四歳とは思えない体つきである。初めてクリスに会った時にも感じたことではある。以前、ヘブンのシャワー・ルームなどで見たこともあるが、シン達と比べるまでもなく、実に華奢な身体であった。
体が小さいだけだと、思っていたんだがな。
シンは、自分が少年の心を傷つけたと、認識した。
体が小さいというよりは、クリスの場合、成長自体が遅れているのであろう。生来のものかもしれないし、そうでないのかもしれない。クリスほどの天才ともなれば、対等に話せる友人や環境がなかったのかもしれない。精神的なものが成長を阻害するということも、ない訳ではない。
シンは、クリスの肩を、自分の方へと抱き寄せた。
「すまなかったな、クリス」
それ以上、かけるべき言葉がなかった。
「ぼく…、まだ、子供だから…、まだ…、もう…、十四なのに…」
クリスは悔しそうに、唇を結んだ。
「ぼくこそ、ごめんなさい。シンさんにだって、いろいろあるんだって、分かってた。分かってたけど…」
シンは理解した。
何故クリスが、自分をけしかけたのか。
クリス自身が望んでもできないことを、できるのに自ら放棄している、そんなシンが許せなかったのである。
そして同時に、自分自身に対する、憤りだったのである。
「ぼく…、悔しくて…、なんか、とっても悔しくて…」
すまない、クリス。
シンは、クリスの肩を強く抱き寄せた。
<次回予告>
残り、約五十七時間。
ナチアが帰ってきた。
次回マーベリック
第五章 第二十九話「誘惑」
「ユーキを泣かせたら、わたくしが許しませんわよ」




