第十七話「対ウイルス戦」(4)
真っ白な空間。
真っ白な大地。
真っ白な壁。
その壁の前に、十人の男女。
「…クリス、ですわよね?」
ナチアが尋ねた。
「うん、もちろん」
明るいブラウンの髪を持つ、青年が答えた。細いながらも、筋肉質の体。真紅のローブを纏い、黒ぶちのメガネをかけている。身長はナチアよりも高い。シンと同じくらいか。
…自分の願望をひけらかすのは、子供のすることですわ。
ナチアは思ったが、言わなかった。
自分の趣味なり願望を、サイバー・スペース上の外装に選ぶのは、決してめずらしいことではない。実際、同行したブラボー・チームの面々も、多種多様な格好をしている。中世の騎士風や、魔法使い風、宇宙服のような皮膚をした者や、半獣人の者までいる。二足歩行の人型であることを除けば、管制室のメンバーであることを示す、ベレー帽だけが共通している。
ここはサイバー・スペースの内部であり、一同は感覚のすべてを、この世界に潜り込ませた。現実世界と変わらない姿を維持しているのは、ナチアだけである。
「それじゃあ、はじめます」
青年のクリスが壁の前であぐらをかき、両手を広げると、空中に複数の円柱やパイプ、立方体が出現する。クリスの意思と手の動きに従って、次々と接続され、圧縮されていく。
「周辺はクリーンにしてもらったけど、長くはもちません。空の色に注意してください。全部曇ったらおしまいです。今さらの話ですが、ダイブした以上、ぼく達もサイバー・ビーング扱いです。ましてや今回のウイルス、攻撃を受けたらデータはロスト。リカバリの時間はありません。ぼくがワクチンを作る間、ナチアさん達は防衛線の維持お願いします」
早口で説明し、自らの作業に集中しはじめたクリスに、金髪の少女は背を向ける。
「よろしいですわ」
ナチアは、僅かに微笑んだ。
来るべき所に、来た。いるべき所に、いる。その感覚を得ているのは、クリスだけではなかったのである。
「ブラボー・チームは、クリスとワクチンを護りなさい。背後の壁は、わたくしが護りますわ」
え、という表情になるブラボー・チームの面々。
クリスと、クリスが作成中のワクチンは、せいぜい半径十メートルほどの範囲に収まるだろう。背後に並ぶ白い壁は、視界の消失点の彼方まで続く。それを一人で護るというのか。
通常のダイブであれば、視覚と聴覚以外の感覚には制限がかけられ、それ故に一定の安全が保たれる。しかし今は、より制約の少ない、ディープ・ダイブである。やれることは多くなるが、危険度も増す。今回のように強力な相手が敵になると、下手をすれば一撃で安全装置が作動し、サイバー・スペースから強制排出される。クリスが言ったように、再びダイブするような時間はない。
「きましたわよ」
遠くの空間に灰色の染みができ、歪み、そして骸骨のような物体が産み落とされる。
一体、二体と増え続け、あっというまに十体、百体へと達する。
センスが悪いですわね…。
心の中で、溜め息をつく。
この世界も、ウイルスの姿も、基本的にはクリスが視覚化したものである。単純化した方が分かりやすいとはいえ、ナチアの趣味ではない。
敵の骸骨が数千体に達し、隊列を組む。リーダーの個体識別はできない。
「では、こちらもいきますわ…」
ナチアが片手を前に出し、小さく呟く。
「ウェイク・アップ・マイ・コード」
白い大地が輝き、地表面からケルベロスが現われる。古代の神話そのまま、三つの頭を持つ獣である。ただし、その体毛は金色に輝き、瞳には知性を宿す。
この世界で最も数が多く、すべてのサイバー・ビーングの基本ともいえるもの。汎用対ウイルス・プログラム。それがケルベロス。
ナチアからの祝福を受け、スペックは急上昇。その数は、千を超え、万を超え、長大な壁の前面を埋め尽くす。
「ケルベロスよ、蹂躙なさい」
にやり、と笑った。
はたして、シン達三人に護られた三チームは、室外での任務をまっとうし、管制室へと戻ってきた。
「モニター、入りますっ」
管制官の声と同時に、いくつかの大型モニターに明かりが灯る。
「おおおっ」
歓声が沸き、やがて驚嘆の声に変わる。
メインのモニターには、クリスが作りだした、クリスタルのようなワクチンが表示されていた。
「まあ、わたくし達も、このくらいはやりますわよ」
「へへっ」
サイバー・スペースから帰ってきたナチアとクリスが、カプセルを開けながら笑顔を見せた。
「それではこれより、管制システムの運行を再開し、同時にワクチンを注入します」
ヘレンの声が管制室に響き、一同は緊張の面持ちで、その瞬間を待った。
「いきます」
クリスがコンソールを操作し、部屋に平時の明かりが戻る。巨大なスクリーンに、いっせいに各部の状態が表示される。
ウイルスに侵された部分が赤く示されており、それが、爆発的に増加を開始する。
「ひっ!」
声をあげたのは管制官の一部であり、チーム・マーベリックの六人は、概ね冷静に状況を見守っていた。
システム再開直後のウイルス増殖は、予想範囲内の出来事であった。問題は、いまだスクリーンの一部にしか示されていない、青い光点の動きである。ワクチンを示す、希望の光である。
やがて、赤い光がスクリーンの半分も占める頃、変化が起こった。
それまでゆっくりと広がっていた青い光が、赤い光の群れに接触したのである。
「!」
多くの者が驚愕した。
それまでの動きが信じられないくらいの速いスピードで、次々と、青い光が赤い光を飲み込んでいったのである。
一分。
僅か一分のあとには、赤い光は、青い光に食い尽くされていた。
「終わり、ね…」
ユーキが呟き、一同が頷いた。
だが。
変化は、再度発生した。
いや、正確には、変化という表現はおかしかった。
消えないのである。ただ一点。赤い光が。
「…変ですわね」
「そうだな…」
ナチアとボーイが声にした。
「どうして…? 一個所だけ消えない」
ユーキの声にも緊張が混ざる。
「あの光は…中央管制室の…裏側?」
ヘレンの言葉に、一同がはっとした表情になる。
消えない唯一の赤い光は、Dブロック中央管制室を示していた。
「ナチアっ」
シンの声にも、緊張が混ざっていた。
「各機関…異常、ありませんわ」
ナチアの声が、緊張から戸惑へと、その色を変える。
「無い?」
「ありませんわ」
「けどよ、ウイルスは入ってるんだぜ?」
不思議そうな問いを発したのはボーイである。
「確かに、通信機関はいまだ復旧していませんけれど…。少なくとも、ヘブン運行上の機関に支障はなくなりましたわ」
だが、やはり異常は存在した。
最初に発見したのは、ヘレンであった。
「クリスっ。メモリーを確認しなさいっ」
「はいっ…あっ!」
クリスが、小さな叫び声をあげる。
「どうした、クリス?」
シンが尋ねると、慌てぎみの言葉が返ってくる。
「ウイルスがヘブン機構図面に接触、いえ、グリューン惑星機密に移動っ」
「何?」
「あ、いえ、また移りました。…これはっ!」
音階が上がる。
「連邦機密事項に接触! ファースト・ゲートを突破っ!」
管制室がざわめいた。
「残されたケルベロスが食われましたっ。サード・ゲートまですべて崩壊っ! …レベル・ワンの機密がハッキングされていますっ!」
ざわめきが大きいものとなる。
「ハッキングっ? 独立型なのにっ?」
「ヘブンの破壊が目的ではなかったんですのっ?」
ユーキとナチアが、声を重ねた。
「分かりません。いえ…、グリューン本土、約四千五百個所に情報が送信されていますっ!」
「やつの狙いは、初めからこれかっ」
ボーイが叫ぶ。
「レベル・ツーの機密に接触っ! メモリーが侵されていきますっ!」
「落ち着け、クリスっ」
シンの一喝は、パニックに陥りかけたクリスと、管制官達を救った。
「すでにウイルスの素性は知れている。作戦続行だ。これより、第二次ウイルス迎撃戦に移行する!」
「は、はいっ!」
管制室は、再びその活動を開始した。
続く




