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第十三話「親睦」(2)

 クリスが潰れて約二時間。残りの五人は、落ち着いてそれぞれの飲み物を口に含んでいた。

 少年がテーブルに突っ伏す瞬間、ヘレンが体を支えたため、テーブル上の被害は最小限に抑えられていた。

 倒れたクリスは席に戻され、今はヘレンの膝枕で、穏やかな寝息を立てている。

 店のウェイターが簡単な片付けをして、クリスのグラスを下げようとしたが、その時、

「あれ、これ、ブロスさんが飲むんじゃなかったんですか?」

 と、ボーイに囁いていた。

 いつしか店の喧騒も収まり、シン達に喧嘩を売ってくるような輩も今夜は現われなかった。

 最初の内こそ、ボーイの大声や、それを諌めるナチアの声が響いていたが。ヘレンが亜光速戦闘の体験談を始めると、場の雰囲気は静かなものへと移行し、四人は耳を傾けた。

「えっ、じゃあ、お一人で亜光速戦闘に突入したんですか?」

 ユーキが驚いた声をだす。話はちょうど、帝国軍のスパイ艇を追ってヘレンが亜光速空間に突入したところまで進んでいた。

「そういう事に、なりますね…」

 ヘレンは自嘲めいた笑みを浮かべる。口調が、若干ではあるが柔らかいものになっていた。

「亜光速戦闘ってのは、どんなもんです?」

 ボーイが聞いてくる。百戦錬磨のボーイとはいえ、亜光速戦闘の経験はなかった。

「何も変わりませんよ」

「何も?」

「そう。何も。通常戦闘とね」

 ヘレンは、少し可笑しそうに答える。これまで、何人もの人間に聞かれた質問であり、その度に似たような答えをしていた。その答えに対する反応も、みな似たようなものであった。この四人でも変わらない。ヘレンには、それが少し可笑しかった。

「もちろん、多少の違いはあります。あなた達も知っている通り…。通信は困難で、レーダーの観測範囲も狭くなります。船体の動きは制限され、加速や減速も自由にはできなくなります。ミサイルのリミッターも外れますから、体感速度も異ったものになります…。そのまま擬似光速まで達すると、船として出来ることが減り、時間が静止した感覚を得ることができます」

「…それは、けっこう、違うんじゃありませんか?」

 ボーイの質問に、ヘレンはゆっくりと首を振る。

「いいえ。敵がいて、自分がいる。先に攻撃を当てる。ただそれだけです。大きな違いはありません」

「そんなもの…ですか?」

「そんなものです」

 ヘレンはグラスを揺らしつつ、逆にボーイに質問を投げかける。

「亜光速戦闘に二種類あるのは、知っていますね?」

 質問というよりは、確認であった。

「はい。敵と同方向に進む同方向型と、互いに近づいて行く相対型です」

 ボーイは神妙に返答する。

 同方向型は、その立場から二つのタイプがあり、敵を追撃する同方向・追撃型と、敵から逃亡する同方向・逃亡型とに分類される。

 相対型はさらに多く、三つのタイプが存在する。ひとつ目が、敵が亜光速で攻撃してくる相対・迎撃型であり、二つ目が、亜光速で敵に攻撃を加える相対・突撃型である。三つ目の相対・接近型は、互いに亜光速で接近し合う分類ではあるが、歴史上実現したことはなく、講学上の概念にとどまっている。

「その通りです」

 ボーイの答えに、ヘレンが頷く。この時の二人は、教師と生徒の関係に近い雰囲気である。ヘレンの前では、比較的おとなしくなるボーイであった。

 ヘレンは、グラスの中で小さくなる氷を眺めていた。

 その姿はまるで、氷を通して過去を覗くかのようにボーイには見えた。

「ですから、私が行ったのは同方向型と…、相対型のひとつ、という事になりますね…」

 ヘレンは、ゆっくりとした口調で説明を続ける。

「敵を追って不可空域に突入した時は、同方向・追撃戦。そのまま帝国領に突入してしまって、出迎えの敵軍相手に、相対・突撃戦。…何とか減速して、連邦領へ戻る時には、同方向・逃亡戦、ね…」

 一同は、静かに続きを待つ。

「…その中で、最も危なかったのは、相対・突撃戦。こちらは亜光速ですから、まともに動く事ができません。標的にしてくれと言っているようなものでした。…敵の偵察艦を落として、何とか帰ってきましたが…、今にして思うと、奇跡のようなものですね…」

 相対・接近型にとどまらず、一般的に、相対型の亜光速戦闘が発生する確率は低い。それはつまり、通常戦闘が、亜光速戦闘になりえないことを示している。

 理由は種々あるが、最大のものとして、機体運動性能の大幅な低下が挙げられる。亜光速空間中では見かけ上、極めて大きな重力場を前方に発生させるため、上下左右方向への旋回、並びに平行移動の性能が極端に低下するのである。また、大きな重力場は、それ自体も制御が難しく、ヘレンが言う通り、加速や減速も自由にできなくなる。より正確に表現するならば、加速や減速以上に、等速度を保つことが困難になる。

 つまり。極論すれば、動けないのが亜光速空間である。よって、宇宙戦闘における「最大戦速」とは、実際に出せる最大速度ではなく、あくまで実戦に有効な最大速度ということになる。優秀な戦闘機とは、より速い速度で、より高い運動性能を実現させた機体であり、優秀なパイロットとは、それを扱うだけの反射神経を持った者達を指すのである。

 最大戦速の限界を越えて、単純に、推進機関の全力を出しきって亜光速へ突入するなど。それこそ敵から逃げる時と、それを追う時くらいしか有効ではないのである。

「それでも、二回とも未来へと飛んだんですよね? 何十年も?」

 質問したのはユーキであった。

 ヘレンは、小さく笑いながら首を振る。

「感覚的には、少し違いますね。通常空間の時間よりも、私だけが、ゆっくりとした時間を過ごしていたのです」

 ヘレンの返答に、ユーキなどは感心してしまう。

 亜光速戦闘。

 それも、三種類の亜光速戦闘を経験した者の答えとは、とても思えなかった。

 通常空間、などと一言で言い切れるものではない。そこには、家族や友人、同僚や仲間達が存在した筈である。聞いてはいないが、恋人もいたかもしれない。

 過ごしていた、などと達観できるヘレンが信じられなかった。

 確かに、恒星間のワープ移動等においても、宇宙船は亜光速空間に突入する。だがそれは、あくまで僅かの時間であり、どんなに長くても数分から数十分のことである。通常空間の時間に換算しても、数日程度である。移動時間と割り切って考えてしまえば大きな問題はなかった。ヘレンのそれとは、あまりにも違う。

 サイバー・スペースに長くダイブしていると時間の感覚が希釈されるらしいが、似たようなものだろうか。個人の特性か環境の影響か、判別は難しい。

 ユーキの思考を余所に、なおも一同の会話は続いていった。


 話題の中心は、やがてヘレンからボーイに移り、明るい声が店内に響きはじめる。

 そんな部下達を眺めながら、ヘレンは昔のことを思い出していた。

 何故、自分は戻ってきたのだろう?

 心の中で、幾度も浮かんだ疑問であった。

 その疑問に対する答えも、決まっている。

 帰ってこいよ。

 そう、隊長に言われたからであった。

 了解。

 そう、自分で答えたからであった。

 答えたから、実行した。約束したから、守った。ヘレンにとっては、ただそれだけのことであった。

 そして今。新しい疑問が生まれている。

 自分は、何をしているのだろう?

 これから、何をすればいいのだろう?

 チーム・マーベリックの目的とは、何なのか?

 それは自分にとって、大切なことなのか?

 ヘレンの前では、四人の男女が笑い合っている。

 ヘレンの膝の上では、一人の少年が寝息を立ている。

 明るいブラウンの髪を軽く撫でてみる。

 ねえ、クリス。

 私はここにいていいの?

 少年は、何も答えてはくれなかった。

<次回予告>


 クリスの歓迎会兼ヘレンの親睦会が終わり、一同は再び、通常の生活に戻っていった。


次回マーベリック

第三章 第十四話「試作」


「あんな手を使うなんて、反則もいいところですわ」

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