94「マーゴト・ライリートの危機」
「――はぁっ、はっ、はぁっ」
王都の裏路地をマーゴット・ライリート男爵夫人が走っていた。
ドレスの裾は汚れ、破れ。
ヒールはとっくに脱げていて、足は血だらけだ。
何度も転んでいるのだろう。手からも血が流れ、顔にも擦り傷がある。
淡い水色のドレスも泥で汚れてしまっている。
「待てっ! マーゴット! この悪徳の金貸しが!」
マーゴットを追いかけているのは、浮浪者と思える身なりをした男たちだ。
手にはナイフを持ち、目は血走っている。
「大人しく捕まれば、少し楽しんでから苦しまずに殺してやるよ!」
「年増だが我慢してやる!」
そんなことされてたまるものかとマーゴットは今にも倒れそうだが、足に力を入れて走り続けた。
マーゴットは唇を噛んだ。
彼女を追いかけているのは、マーゴットに金を借りて破産した人間たちだ。
だが、マーゴットが破産させたわけではない。
そんなことをすれば、貸した金を回収できないのだから、むしろ破産を避けるよう助言をしているくらいだ。
金貸しとして、マーゴットは善良だ。
お金をきちんと返せるのであれば、何度でも貸す。
無理のない範囲でお金を貸してくれるし、返済に間に合わなかった者にも「最初」は寛大だ。
しかし、彼女を追いかけてくる男たちは、マーゴットが「これ以上お金を借りても返せないからやめておけ」という助言を無視し、根拠のない自信で「返せる!」と豪語した者たちだ。
何度か金貸しを断ったが、鬱陶しいほど付き纏ってくるので、最終的に金を貸した。
回収手段はいくらでもあるからだ。
結果として、男たちはマーゴットの予想通りに金を返せなくなり、泣きついた。
マーゴットは仕事を斡旋し、金を返すよう言ったが、彼らは一攫千金を狙った。
冒険者になる者、一度失敗したのにもう一度商人として店を開く者、有無を言わせず逃げ出す者とそれぞれだ。
それでも、一年猶予をあげた。
彼らは、その猶予を勘違いした。
借金がある身で、「いつまでも待ってくれる」と勘違いをした。
その結果、稼いだ金を使ってしまう。そして、首が回らなくなった。
彼らはマーゴットに土下座して金を無心したが、無視された。
金の回収役によって過酷な地に送られ、開拓業をさせられている。――はずだった。
無駄に根性があったのか、彼らは開拓地から逃げ出し、逆恨みしてマーゴットを殺そうと考え、仲間を集めた。
同じような境遇の人間はいる。
金を借りておきながら、借りた側が貸した側を恨むのは滑稽であるが、一度も金を返さなかった人間などその程度だ。
マーゴットは金貸しであり、金を返せない者には厳しいが、金を返す者には優しい。
愚かな借金をしないように、仕事だって斡旋している。
彼女の行動が巡り巡って金となり、自分に返ってくることも知っているのだ。
だが、借金を踏み倒そうとした愚か者たちが、命を奪わんと襲ってくるとは思いもしなかった。
そういうことができないように、王都から遠く離していたのだから。
何よりも、貴族を殺せば死刑なのだ。
――無論、そんなことを考えるような頭があれば、現在進行形でマーゴットを襲ってなどいない。
(――神様が息子に会うなとおっしゃっているのかしら)
エンジーに会いに行こうと思い、家族に何も言わず、護衛もつけず、ひとりの母として息子の元に向かった結果がこれか、とマーゴットは涙を流した。
「ちょっとぉ、なに昼間っから女性を襲うとか最低ぇ!」
甘い声が上から降ってきた。
上を見上げると、褐色の肌に銀髪を靡かせた少女がいた。




