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湖中島に近付くと湖底が透けて見えた。水中花と言われるものなのだろう。一面緑の絨毯からコスモスのような小さな花が顔を出している。ところ狭しとピンクの花が咲き、細く長い葉は一方向に倒れ、ゆらゆらと揺れていた。おそらくは湧き水が出ているのだろう。
竜王は島に上がって俺たちを待っていた。島は網をかぶせられたように世界樹の根が張り巡らされている。苔むしていて、島全体が緑色をしている。湖に浮かぶ丘のようで標高も低く、最も高いところに世界樹が立っていた。
無数の葉をかいくぐって日の光が湖面や島を照らす。辺りは淡い光に包まれていた。まるで宮殿の謁見の間である。実際、ジンシェンは島に上がらずに湖面の上でひざまずいていた。
この島はドラゴンにとっても聖域。俺たちもジンシェンに合わせ、ひざまずいた。ひょいひょいと島には上がらない。相手がそこで待っていても、呼ばれるまでこうしているのが礼儀のような気がした。
「よいよい、ちこう、ちこう」
竜王は微笑んでいた。礼儀としてはこれでよかったのだ。カールがいない分、少し不安があったが、この世界に来てからいつもこうである。ずっと出たとこ勝負であった。
契約の権利がない二人を連れて来ているのも不安がないわけではなかった。ローラムの竜王は開口一番、“よくぞ来られた。赤毛の乙女に、まれびとよ”と言った。間違いなく、赤毛の乙女とはラキラ・ハウルを指す。思っていた通りローラムの竜王は俺たちを欲している。俺の仲介なぞ必要としなかった。
それにしても、引っ掛かるのは“まれびと”という言葉だ。言うまでもなく俺のことを言っている。“まれびと”とは定められた時に異世界から訪れる霊的なもの、もしくは神。その来臨が稀であることから“まれびと”と呼ばれるようになったという。
まれびと信仰なるものがある。旅人に宿舎や食事を提供し、歓待する風習で過去、俺の生まれた国に存在した。根底に異人を異界からの神とする考えがある。神話の天孫降臨もその一つだと言われた。
竜王は島の緩やかな傾斜を登っていく。世界樹の袂を目指しているのは明らかだった。世界樹の幹は、ずっと昔からそこにある岩のようである。苔むしていて、くぼみには雑草も生えている。ひざまずく俺たちは立ち上がり、島へと上がった。
ローラムの竜王とバージヴァル家の契約なぞ二の次であった。俺たちにはそれぞれ目的がある。俺は元の世界に帰ること。ラキラ・ハウルはローラムに起こった異変の理由を知ること。ジンシェンは俺たちの案内役か。
普通に歩いたとしたら、とても幹には近づけそうにもない。幹の袂は、天から巨人が手を伸ばし大地を引っ張り上げようとしているかのように根が張っていた。大地を握っているような根に登ろうとするなら当然、山登りの装備が必要となる。
俺たちにはそんな心配はない。ジンシェンがいる。さきほどのように外輪山の尾根から湖面に降りたように抱きかかえてもらって連れて行ってもらえばいいのだ。しかし、それも必要としなかった。竜王は世界樹の幹まで行くつもりはなかったようだ。二股に分かれた根の間で立ち止った。そして、振り返える。
「さ、さ、ちこう、ちこう」
エトイナ山見物はもう終わりだ。俺たちは仕事にかからなければならない。とりあえず挨拶だ。竜王に招待されたのだろうが、俺はこちらから押し掛けた体で話すつもりだ。まさかしたり顔で、呼んだでしょ、分かっていましたよ、なんて野暮は言わない。分かっていて分からないフリをするのが大人のたしなみだ。
「お目にかかれて光栄でございます」 俺はひざまずき頭を下げた。「私はキース・バージヴァルと申します。バージヴァル家の次男です。竜王にお会いできるのをずっと心待ちにしておりました。こちらに控えますのはラキラ・ハウル」
ラキラもひざまずいて頭を下げた。俺は続けた。
「シーカーの娘です。竜王に会える立場ではございませんが、訳あってまかりこしました。竜王には許しもなく失礼だとは思います。ですが、どうか、この娘の言葉にお耳を傾けていただけるよう切にお願い申し上げます」
竜王は声を上げて笑った。
「頭を下げるでない。恥ずかしいわい。分かっていよう、そもそもわしがぬしらを呼んだのじゃ。そうそうに要件を済ましたいところじゃが、わざわざ来てくれた報いじゃ。わしの要件は後回しとしよう。まずは乙女じゃ。言ってみいい。わしに何が聞きたい」
「有難きお言葉でございます」
そう前置きしてラキラは二年前のユーア国で起こった騒ぎについて話した。ロード・オブ・ザ・ロードで庭師が動かなくなっているのも、セイトにはぐれドラゴンの侵入を許したのも付け加えた。
「これは竜王のご意志なのでしょうか」
「そうじゃのぉ、意志じゃと言えば意志じゃし、意志でないと言えば意志ではない。おぬしも知っていよう。どのドラゴンも七つの属性に分けられる。火・水・木・金・土・光・闇じゃ。稀に二つ持つものもいるが、わしは近々、空となる」
「空とは聞いたことがありません」
「そりゃぁそうじゃ。あるようでない。ないようである存在になるのじゃからな」
「あるようでない、ないようである存在とは、どういう存在なのです」
「それを答えるにはわしの要件を言わなければならぬ。じゃが、自分の要件は後だと言ったからにはそうしないとな、まれびとよ、次はおぬしの番じゃな」
俺はラキラを見た。ラキラは俺にうなずいて見せた。
「お願いがございます。竜王のそのお力で元の世界に戻しては頂けないでしょうか」
俺のことを何も知らないはずの竜王が、俺をまれびとと呼ぶからには絶対に何か知っている。異世界転移の張本人だとまでは言わない。あくまでも竜王は俺の救い主だという体を通す。機嫌を損ねてもらったら困るのだ。これまでの苦労が水の泡となる。




