5-3
クレバー・モンキーの集団を倒すために駐在所に保管されている武器を勝手に拝借したのは、始末書ものだろう。
だが、その時確認した武器の在庫は、辺境の町――たった二人しか騎士がいない場所にふさわしく、まともな武器の在庫がない。
「農具を持って来たのはいいが、こんな道具で戦うなんてな……」
自嘲気味に笑いながら背中に背負うスコップを地面に突き刺し、その場で魔の森の監視の準備をする。
焚火を用意し、保存食として置かれた干し肉を口に含む。干し肉で奪われる水分を補うためにバルドルが騎士団の駐在所に隠し持っていた酒瓶を煽る。
「……酒は、俺の意識によって毒にも薬にもなる、か。今は酔えないし、うまくも感じない」
他人から見れば町に迫るBランクの魔物を前に絶望して、自棄酒でもしているように見えるだろう。
だが、酒は、栄養の塊だ。液体だから体内への吸収率も高く、俺が毒物として意識すれば、【加護】によって酒精は無毒化され、栄養になり体内に貯蔵される。
戦う前に少しでも【頑健】の加護の自己治癒能力を使うため――血と肉を作るためには栄養が必要だった。
「相手は、森林での戦闘を得意とするクレバー・モンキーから進化した突然変異の魔物。迎え撃つには、平原しかないな」
下手に立体的な行動を取らせたら相手に翻弄されて負ける。少しでも戦闘可能な時間を引き延ばすために、少しでも勝率を上げるために、考えを巡らせる。
最良は、この事態にまだ見たことのない町長や町の重役たちが近隣に救援を呼ぶと同時に避難することだ。
そして、ハグレ個体が町を襲う前に到着すれば、被害を抑えることができる。
それまで監視を続けるのが唯一残った駐在する騎士の務めだ。
もし、援軍到着までの時間があれば、俺の【頑健】の加護で傷も塞がり、一兵卒として戦列に加わることもできるだろう。
そんな淡い期待を抱きながら魔の森を見つめていると、背後から足音が聞こえる。
「コータスさん……」
「……レスカ。どうしてここに来る?」
「その……ご飯持って来ました」
鍋を両手に持って掲げるように見せ、それを焚火の不安定な火で再び温め直す。
その中身は、クレバー・モンキーと戦った時に食べたいと思ったレスカのシチューだ。
中身は、リスティーブルのミルクを使い、あっさりとした脂肪分の少ないコルジアトカゲの尻尾肉とボア種のバラ肉の二種類の肉、他にもしっかりとした食感のキノコの魔物のコマタンゴ、他にも大きめに切られた野菜が乳白色のシチューの中に浮かんでいる。
「そんな塩辛い干し肉と酒だけだと健康に悪いですよ。シチューなら柔らかく煮込んでありますし、スープなので身体への栄養の吸収がいいですよね」
「今は、そんなこと気にしている場合じゃないだろ。なんでここに来た。近隣の町に避難しないでいいのか」
俺が言葉を口にするが、レスカはこの異常事態に怯えた様子も見せず、逆に反発するようにむっと頬を膨らませる。
「なんですかその言い方は、私が心配してきたんですよ。それに大丈夫ですよ。女子どもは、風車塔の穀物倉庫の更に地下にある避難所に向かっています。あそこは、堅牢な作りですし、数日分の食料や物資が詰めてあります。近隣の町に避難するよりも安全なはずです」
そう言って、力強く答えるレスカ。
そんな施設があることなど知らなかった俺にとっては、事態の大きさに視野狭窄に陥っていたことに気付き、深い溜息を吐き出す。
「なんというか、そんな物があったとは、まるで一人でこんな場所にいて空回りして、俺が馬鹿みたいじゃないか」
「コータスさんは、この町に来たばかりだから知らないのは仕方ないですよ。それにここで監視を続けてくれているお陰で自警団の人が避難誘導したり、近隣の町に救援を呼んだりすることができるんです」
レスカの慰めと共に差し出されたシチューの皿を受け取り、黙って食べる。
「それにしても逞しいなぁ。この町は」
「そうですね。毎日、畜産魔物を相手にしていますから」
俺は、駐在する騎士の殆ど居ないこの町の底力を感じている気がする。多分、俺が居なくてもハグレ個体を退治することはできるのかもしれない。
だが、レスカはあえて明るく振る舞い口にしないが、この牧場町の歴史の中で災害クラスの魔物が襲来したことがあり、その時の記録を知っているのだろう。
その時、どのくらいの人間が町を守るために死んだのか、知っているはずだ。
その事例を当てはめてこれから起こる可能性のある死者の数も――
だから俺は、騎士という身分に就いているのだから、戦いの先頭に立って人々を守らなきゃいけない。
一人でも多くの死者を出さないために前に戦わなきゃいけない。
「ありがとう、レスカ。腹が膨れたよ」
俺は、レスカの隠していることに気付かないふりをしつつ、自然と振る舞う。
鍋に満たされたシチューが腹の中に納まり、俺は腹を撫でながら少しずつ蓄えられ、血肉の再生に消費されるのを感じながら、レスカとの一時を過ごす。
そして、陽が沈み夜になり始めた頃――
「……出て来たか」
人生最後の穏やかな時間だと思いながら過ごしていた俺は、森の監視を怠らず、奴が出てきたのを確認して立ち上がる。
背中には、スコップを背負い、手には三本爪の鍬を握り締め、ベルトにはマチェットと訓練用の木刀だ。
統一性のない装備に身を固める一方、森から姿を現したハグレ個体は、前見た時と大きく姿を変えていた。
足の細さはクレバー・モンキーらしさを残しているが、上半身から上の筋肉が発達し、背中の肩甲骨付近からもう一対の腕を生やしている。上体の筋肉の重さをカバーするために元々ある腕が地面に引き摺りそうになるほど伸び、その二本の腕には、武器が握られている。
それは、バルドルたちから奪った長剣が二本だ。ここに来る途中で魔の森で見つけた魔物を斬り殺したのか、二本の長剣には赤黒い血がべっとりと付いており、それを気にした様子はない。
以前の面影は殆ど感じないが、奴の左肩には、俺が着けた刀傷が残っているのを見て、同一個体だと確信を得た。
「コータスさん、他の人たちの準備がまだ……」
「レスカは避難しろ! ここにいたら巻き込まれる!」
俺の言葉を聞いて、弾かれるように町の方に駆け出すレスカ。だが、そんなレスカを見逃すハグレではない様だ。地面に転がる石を背面から伸びる腕で掴み、走りながら魔物の剛腕で振り抜けば、凄まじい勢いでレスカを狙う。
「っ!? ――《オーラ》!」
俺は、身体強化の《オーラ》を発動させ投石の射線上に入り、構えた鍬の刃床面を使って防ぎ、激しい衝撃に耐える。
「コータスさん!」
「いいから行け!」
レスカがそのまま町中の方へと走り去り、ハグレ個体の視界からいなくなったことでやっと安堵の吐息を漏らす。
「はぁ、こんな武器で相手をしなきゃいけないとはなぁ」
そう言って、ハグレ個体をレスカの方から改めて復讐相手の俺に視線を戻すために三本爪の鍬で挑発するように素振りをする。
振り方は、大鎌の素振りに近いだろう。鍬の重心バランスを確かめながら軽やかに振り回す。
まぁ大鎌は斬ることができるが、この鍬の場合には殆ど突き刺すことしかできない。
『――GUGAAAAAAAA!』
それを挑発と受け取ったハグレ個体も二本の腕を振るい、牙を剥いて威嚇の咆哮が待機を震わせる。
先手は、ハグレ個体だ、長剣の剛腕で俺を叩き斬ろうとするが、真っ直ぐな読み易い一撃に鍬の刃床面で受け止め、横に振って弾く。
続く一撃も三本爪の隙間で受け止め、防御に徹する。
俺ができる役割は、ただこいつを足止めして時間を稼ぐ。
突然変異で圧倒的な力を手に入れた影響か、以前のような狡猾さよりも獰猛さが全面に押し出された攻撃を俺は防ぎつつ、背面から伸びる二本の腕の組みつきは避ける。
だが、魔物の圧倒的な膂力を前に、身体強化を施しただけの人間が何時までも耐えられるわけがない。
「ぐっ!? 鍬の爪が」
何度も攻撃を受け止めた所為だろう。金属同士が激しくぶつかり、火花を散らし刃が欠ける中、三本爪の右爪が根元から折れてしまう。
武器を壊した時の俺の反応を見て楽しんでいるのか、ニタリ、と加虐的な笑みを浮かべるハグレ個体。
明らかに俺を嬲って楽しんでいるが、時間稼ぎができるのだから文句はない。だが、これ以上武器が消耗させられると予定が狂う。
『――GAAAAAA!』
「ふっ!」
相手は力の限り振り下ろす長剣の一撃に対して、鍬の残った二本の爪の間で受け止める。
今までは弾き、受け止めるだけだった鍬の柄を勢いよく半回転させる。
それに伴い、二本の爪の間に挟まれた長剣は、円運動と共に挟まれた爪を起点とした梃の力によって半ばから折れる。
長剣の一撃を鍬で受け止める時は、最も力の乗らない根元付近に何度もぶつけたために、その武器の刃毀れが酷くなっている。
また、三本爪の鍬がショベル・モールの爪のような武器破壊に適した形状をしているために時間稼ぎと同時に、奪われた武器の無効化も考えた。
だが、その代償は大きく今の武器破壊で三本爪の左の爪も折れ、何度も攻撃を受け止めたために、段々と両腕の感覚が無くなってきている。
小刀よりも短くなった折れた長剣を一瞬呆然と見つめたハグレ個体は、すぐさま折れた長剣を捨てて、残った刃毀れだらけの長剣を振り回し始める。
「まだやるか!」
俺も爪が折れ、これ以上は武器として耐久度に不安の残る三本爪の鍬を遠くに投げ捨て背中に背負ったスコップを構える。
その直後に一気に距離を詰めて振るわれる長剣を避け、相手はこちらの動きに合わせて拳を突き出して来る。
それをスコップのヘッドの部分で盾のように防ぐがまるで弾き飛ばされるような衝撃に後ろに転がる。
「ぐっ! まるで騎兵の突撃槍だな!」
戦場で様々な攻撃を一身に受け止める人間要塞として期待される元・重装騎士団に所属していた身としては、いくら魔力で全身を覆い身体能力と体の強度を上げていたとしても無事ではいられない。
俺は、拳の攻撃を可能な限り回避を務める一方、剣の攻撃に対しては、スコップのヘッドで防ぎ続ける。
「学習能力がないのか、それとも想像力がないのか――」
そして、何度目かの拳による攻撃を回避し、長剣の攻撃に対して一歩前に出る。
今まではスコップのヘッドの方で受け止めていたが、今度は、柄を回転させて四角くなっている把手の部分に剣の先端を潜り込ませ、自身でスコップの柄で蹴り上げる。
再び起る武器破壊に呆然とする隙に、スコップを構え直し、相手が慌てて片方の剛腕を振るうが、それを避けて相手の脇を潜り込む。
「――くら、え!」
相手の足元に潜り込んだ直後、突然変異前にやられたことをそのままやり返すような反撃の一撃を振るう。
スコップの側面を立てて振るった斧のような一撃は、剛毛によって守られ足に刃が僅かに食い込む程度だ。
食いこんだスコップを引き抜こうとして手間取って反撃を受けるために、スコップを手離し、そのまま背後に駆け抜けようとするが、距離を取る前に何かに頭を鷲掴みにされる。
「あ、がぁぁっ!」
ハグレ個体の背中から生える腕が脇を抜けようとした俺の頭を捉えて持ちあがる。
ギリギリと万力のように締め上げる頭蓋骨が割れて潰れそうになるのを、歯を食いしばり、【頑健】の加護と《オーラ》の部分的に集中させて耐える。
痛みを耐えるために食いしばる口内に血が滲み、鷲掴みされる指の間からこちらを嬲り殺す方法を考えているハグレ個体のニヤついた顔が見える。
そして、もう片方の背中の方に生えている腕に渡した長剣を再び、前の方の腕に渡して振りかぶるが――
「舐めるな、まだ武器が残ってるぞ! ――《練魔》!」
宙に吊るされたような状態で俺は、片方の掌に魔力を集中させ、俺の頭を握り締める手に魔力の塊を叩き込む。
一瞬、相手の体が硬直した瞬間、腰のマチェットを引き抜き、投擲する。
それは、クレバー・モンキーの時に付けた刀傷が突然変異後も残っており、そこには身を守る剛毛は覆われておらず、薄い皮膚だけが残っていた。
『GYAAAAAAAAAAAA――』
そこに突き刺さったマチェットの痛みに思わず咆哮を上げる。。
進化の過程で鎧のような剛毛を得たようだが、毛のない場所に刃は通じたのは行幸だ。
だが、その直後、こちらの思わぬ反撃に苛立ちを見せるハグレ個体が腕を大きく振るい――
(頭が、揺れる!)
握り締めた俺の頭を投石のように投げる。
脳内を揺さぶられて空中での姿勢を整えることができないままに何かに背中から激突する。