5-2
「……ん。また天井だ。それもレスカの牧場の」
再び俺が目を覚ましたのは、俺が普段使っていたレスカの牧場の客間の一つだ。
体には、全身に包帯が巻かれ、軟膏の薬草の匂いが充満しているが、あの時と違うのは、体に蓄えられた栄養が不足し、疲労の蓄積により傷の治りが遅く、治っていない傷から血をにじませた包帯が巻かれている。
『『――グゥゥッ、ワンワン!』』
「おわっ!? ペロ、そんな所にいたのか」
オルトロスのペロがベッドの脇に座って俺が起きると同時に、大きな鳴き声を上げて咆え始める。
それに合わせて、ドタドタとした足音が響き、勢いよく扉が開かれる。
「コータス!」
「レスカ……おはよう?」
勢いよく開いた扉を開いたレスカは、大きな目を見開き、次に瞬間――
――パンッ! と手首の利いた平手が俺の頬を打つ。
細く非力に見えるが、牧場仕事で鍛えられたレスカの平手は、軽く脳を揺すり、全身の力が抜けて倒れそうになるのを、レスカが俺を抱き留める。
ちょうど、レスカの大きな胸に顔を押し付けるような格好のために恥ずかしさで逃げ出したいが、軽い脳震盪で上手く動けずにされるがままだ。
「本当に、本当に心配したんですよ」
「レスカ……」
「私、怒っているんですよ! 一人で無茶して、あれだけの数のクレバー・モンキーの群れを倒して生きている方が奇跡なんですよ!」
そのままされるがまま抱き締められ、髪の毛を撫でるように手櫛で梳かれる。
「すまない、レスカ。心配かけて」
「ホントにそうです。あの本を読んだからなんですよね。だから、一人で無茶したんですよね」
本に書いてあったC-という脅威度だが、それは、同ランクの冒険者パーティーが対処できる範囲の脅威ということだ。
間違っても、Dランク程度と評価される新米騎士が単独で処理できるレベルを超えているのだ。
できるとすれば、単独で冒険者のランクC+以上だろう。そんな人間辞めているBランク冒険者の一歩手前の状態で生きているのだから確かに奇跡だ。
「だけど、やったことに後悔はしていない」
「なら、なおのこと性質が悪いです。こっちは本気で心配していたんです。私やジニーも」
俺に復讐しに来るクレバー・モンキーたちが暴れた結果、発生する周囲の被害よりも俺が矢面に立つことで被害を抑えるつもりだった。
あの規模の魔物に対して、この町の自警団や冒険者、俺やバルドルたちが戦った結果、負けはしないが、負傷者は大勢出ただろう。最悪、死傷者も出た可能性があった。
だから、俺の選択は、後悔はない。
「なぁ、俺の倒れた後は、どうなったんだ?」
「クレバー・モンキーを討伐するために冒険者や狩人、それに私とバルドルさんたちが一日で準備して駆け付けた時には、倒れているコータスを見つけました。
町まで運んで治療して、それから丸一日寝てたんですよ。それに怪我を治す加護があるのに、傷が塞がらないし……」
大きな戦闘が始まると思っていたが、その実、クレバー・モンキーの群れの大半は俺が単独で倒し、後は残党狩りに戦力を割いて、後は町に戻したり、俺が倒したクレバー・モンキーの死体を処理しているらしい。
「群れの八割方に打撃を受ければ、どんな魔物でも集団を維持するために下手な行動はしませんし、これ以上は復讐心より人間への恐怖心を抱くはずです。だけど、念には念を入れて退治する予定です」
「そうか。それなら安心かな?」
俺は、抱き締められていたレスカから解放され、そう呟くと、腹の虫が盛大になる。
一日飲まず食わずでクレバー・モンキーを待ち構え、半日近く死闘を繰り広げ、発見後に丸一日寝ていたのだ。
疲労感は薄れたが、体に蓄えられていた栄養が失っているために、軽い飢餓状態を味わっている。
「長く話し込んでごめんなさい! 今、消化にいいものを用意しますね!」
そう言ってレスカが慌てて駆け出し戻って来た時に持ってきたものは、パン粥だ。
リスティーブルのミルクを使って砂糖と小さく切ったパンをじっくり煮込んだ病人食に俺は、素直に手を伸ばす。
優しいミルクの香りとしっとりと水分を吸ったパンを口に含み、胃に落としていく。
すぐに食べ尽した俺は、すぐにお替りを頼み、その後、三杯ほどパン粥を食べて、一息吐く。
後は、食べ物が消化されて、栄養が吸収されるのを待つ。
そこから少しずつではあるが傷の治りが早くなるはずだった。
「それじゃあ、コータスさん。私はまだ牧場の仕事がありますから」
そう言って、看病してくれたレスカは、軽く会釈してから退室する。
これで町に迫る問題もほぼ解決、後は傷が治れば普段の生活に戻ることができる。
全身に筋肉痛や疲労感はあるが、それも数日で治るだろう、と思い目を瞑る。
だが、そんな俺たち期待を裏切るように事態は知らない場所で進行していた。
「レスカ姉ちゃん、左遷の兄ちゃん!」
「ジニーちゃん、コータスはさっき起きたばっかりなんだ。静かにしないと……」
「――魔の森で討伐に出た冒険者たちがやられて帰って来た!」
扉の外から聞こえる言葉に俺は、未だに怪我の残る体を引き摺るようにして、廊下に出る。
「ジニー、その話詳しく聞かせてくれ」
「コータスさん、駄目です! まだ寝ていませんと!」
レスカが俺を部屋のベッドの上に押し戻そうとするために、大人しくベッドに戻るが、ジニーの話を聞かなきゃいけないので部屋に招いて話を聞く。
「それで、何があった?」
「わかんない。お祖母ちゃんが今、怪我した人の治療に当たっているけど、参加したの多くが怪我してた。それと同行していたバルドルのおっちゃんが一番の大怪我をして戻って来たと同時に意識が戻らない」
「……町専属の冒険者に狩人、それにバルドルが返り討ちにあったのか? クレバー・モンキーに」
群れの大半を失い、脅威度は下がったクレバー・モンキーの群れに返り討ちに遭うことなどあり得るのか。
「レスカ。話を聞きに行く。その後、騎士団の駐在所に詰める。そこが一番魔の森を見張りやすい」
「まだ無茶するんですか!? 怪我したばかりなのに!」
「バルドルが昏睡状態の今この町に残っている騎士は俺だけだ。それに、すぐに対応しないと被害が増す可能性があるぞ」
俺は、包帯の巻かれた体の上から服を着る。
俺がクレバー・モンキーの群れとやり合った時の衣服はボロボロで更に返り血などで捨てるしかないが、予備の服を借りる。
ふと、部屋の隅に置かれた農業用の道具が目に留まる。
ロシューが俺の騎士団の装備を打ち直して作った三本爪の鍬、スコップ、マチェットだ。それに訓練用の鉄芯入りの木刀も手に取る。
マチェットと木刀を腰のベルトに挿して、三本爪の鍬を肩に担ぎ、スコップを背負うという訳の分からない格好でレスカの牧場を飛び出す。
怪我人の集まるジニーの家にレスカとジニーと共に向かえば、討伐に出ていた冒険者たちが怪我の手当を受けており、皆疲れた表情をしてこちらに気付いた。
「もう一人の騎士の兄ちゃん、目を覚ましたのか」
「討伐の時、何が起こった。バルドルをやったのは何なんだ」
ちらりと見える店の僅かに空いた扉の隙間からは、全身に包帯を巻かれたバルドルの姿が見えた。
他の人間が比較的軽傷な部類の中、バルドルだけが重傷とは、それは他の人たちを守りながら戦う近衛騎士クラスの人間を打倒する存在だ。
Bランククラスの脅威のある魔物が近くに存在することになる。
「……あれが何なのか俺たちも分からねぇ」
そう言った前置きから始まり、冒険者たちが遭遇したものの話に耳を傾ける。
クレバー・モンキーたちを追って追跡していた冒険者たちが見た物は、食い荒らされたクレバー・モンキーたちだった。
中には無意味に殺されている魔物もおり、全員が警戒して連続して続く死体の先で見た物は――同族のクレバー・モンキーを惨殺する群れの長であるハグレだった。
そして、ハグレが全ての群れの配下を殺した瞬間、体が巨大化し、新たに腕が二本生え、全く別の魔物に進化したという。
「俺たちはあんな魔物見たことがねぇ。バルドルさんが同行してなかったら俺たちは、死んでた。あれは、一体なんなんだ!」
震えながら答える冒険者の言葉に、俺は、親父たちから聞いた一つの話を思い浮かべ、レスカが小さく呟きを零す。
「……魔物の突然変異」
魔物の突然変異――それは、何らかの要因でより強力な魔物に進化することによって生まれる異常個体だ。
その強さは一概には言えないが、通常の進化によって変化する脅威度が元々のランクから1ランクほど上がるが、突然変異する個体は、2ランク上がると言われている。
例え、元になっている魔物が子どもでも倒せるFランクの魔物でも戦いを生業とする人間一人が必要なDランクになる。
今回は、元がハグレのクレバー・モンキーがD-なら、B-の魔物だ。
そんな相手と他人を守りながらバルドルは戦っていたと考えれば、納得がいくと同時に町の存亡の危機に関わる。
もしも、バルドルが万全の状態だったなら倒せていたのかもしれない。
それか、俺が余計に追い詰め過ぎた所為で突然変異を促してしまった可能性もある。
だが、もしものことで後悔しても先には進まない。
「情報提供、感謝する。俺は、魔の森を監視する」
「コータス……」
「左遷の兄ちゃん……」
俺は、それだけ聞いて、その場から踵を返す。
レスカとジニーは、俺に声を掛けるがその後を追わずに、騎士団の駐在所へと辿り着く。









