アルカ
雪が解けて、畑を起こしはじめたころ、リディアが集会所に全員を集めた。
「報告があります」
彼女は言った。
「領主から書状が来ました」
彼女は書状を掲げた。
「ロスタ集落の人口が三百名を超えたため、集落から『町』への区分変更が可能である、と」
村がざわめいた。
「町になると、何が変わるんですか」
誰かが聞いた。
「三つあります」
リディアは言った。
「ひとつ、市が開けます。宿場町が焼けたので、この街道で市を開けるのはここだけです」
彼女は言った。
「ふたつ、町長を置けます。町長は、領主に直接上申する権利を持ちます」
彼女は言った。
「みっつ――名前を、変えられます」
■
「ロスタでいいだろう」
最初にそう言ったのは、カル爺さんだった。
「四百年、ロスタだった」
老人は言った。
「わしの婆さんも、その婆さんも、ロスタで死んだ」
トビーが頷いた。
「俺も、ロスタがいい」
「ですが」
リディアが言った。
「ロスタは、三年前に一度死んだ名前です。記録上、『放棄された集落』として残っています」
彼女は言った。
「新しい名前をつければ、記録は新しくなります」
「――そこだ」
カル爺さんが言った。
「新しくして、どうする」
老人は言った。
「三年前に死んだことを、なかったことにするのか」
集会所が、静まった。
■
俺は、手を挙げた。
「ひとつ、案があります」
俺は言った。
「町の名前を『アルカ』にします」
全員が振り返った。
「なんですか、それ」
ティナが聞いた。
「箱舟です」
俺は言った。
「ばあちゃんが、そう呼んでました」
俺は言った。
「うちの道具屋、店の名前がアルカだったんです。ばあちゃんが『拾ったものを載せる舟だ』って言ってました」
俺は言った。
「意味は、あとで知りました。どこかの国の言葉で、箱舟のことだそうです」
カル爺さんが、目を細めた。
「――で、ロスタはどうする」
「残します」
俺は言った。
「町の名前はアルカ。谷の名前はロスタ谷。村の元の区画は、ロスタ地区」
俺は言った。
「新しい名前をつけても、古い名前は消しません」
俺は言った。
「うち、そういう村なので」
カル爺さんは、しばらく俺を見ていた。
そして、荷車の上で、深く頷いた。
「――よかろう」
彼は言った。
「わしの墓には、ロスタと彫れ」
■
アルカ町の成立は、その月の末に認可された。
町長は、俺になった。
立候補も選挙もなかった。リディアが書類を作って、俺が署名した。それだけだった。
「――十八歳の町長は、王国史上、最年少です」
リディアが言った。
「記録に残ります」
「いやですね」 「いやでも残ります」
彼女は帳簿を閉じた。
「そして、町長には給料が出ます」
俺は顔を上げた。
「出るんですか」 「月に銀貨八枚」
彼女は言った。
「二年間、あなたは無給でした。私はそれを帳簿につけていました」
彼女は言った。
「未払い分、金貨二枚と銀貨四枚です」
俺は、しばらく固まった。
「――リディアさん」 「はい」 「それ、あなたの借金と同じくらいですね」
彼女の手が、止まった。
「……ノアさん」 「はい」 「私は、泣かないので有名だったんです」
彼女は言った。
「二回目です」
■
春の市が、初めて開かれた日、アルカ町の人口は四百十二人になっていた。
市には、近隣の村から百人以上が来た。
売られたのは、黒炭、鍬、継いだ器、包帯、そして――紙だった。
ミカが打った鉄の文字を枠に組んで刷った、継ぎ手の手引きだった。
一枚、銅貨二枚。
その日、二百三十枚が売れた。
「――刷れば刷るほど売れます」
リディアが計算板を弾きながら言った。
「これは、黒炭より利益率が高いです」
彼女は言った。
「材料は紙と墨だけ。文字は使い回せます」
彼女は顔を上げた。
「ノアさん。これは、化けます」




