壁
名簿を貼る場所を決めるのに、三日かかった。
最初、俺は集会所の壁を考えた。だが千二百四十八人分は、集会所の壁には入らなかった。
次に長屋の外壁を考えた。雨で滲むと言われてやめた。
結局、決めたのはカル爺さんだった。
「――水車小屋だ」
老人は言った。
「あそこは、村で唯一、内側が広くて、屋根が抜けとらん建物だ」
彼は言った。
「それに、あそこは毎日、誰かが通る」
■
水車小屋の壁は、内側で十二歩ぶんあった。
俺たちは三日かけて壁を削って、平らにして、そこに紙を貼った。
紙は、リディアが宿場町の焼け跡から拾ってきたものだった。
焼け残った紙屋の在庫で、端が焦げていた。
「――使えます?」
俺が聞くと、リディアは即答した。
「焦げているのは端だけです」
彼女は言った。
「うちは、そういうのを使う村です」
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名前を書き写したのは、ティナとトビーと、あとは字が書ける者を集めて九人だった。
千二百四十八人分を書き終えるのに、十一日かかった。
書き終えた日、俺たちは水車小屋の扉を開けた。
壁いっぱいに、名前が並んでいた。
いちばん上に、俺が書いた名前があった。
『アルドリック』
その下から、千二百四十八人が続いていた。
村の人間が、一人ずつ入ってきて、見ていった。
誰も、何も言わなかった。
水車の軸が回る音だけが、小屋の中に響いていた。
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最初に声を上げたのは、療養中の兵の一人だった。
二十歳くらいの若い兵で、右の膝から下がない。
彼は壁の下のほうを指して、震える声で言った。
「――これ」
彼は言った。
「これ、俺の母親です」
俺は近寄った。
『マルタ・ケーン 王暦八五四年 救貧院定員超過により退所』
「マルタ・ケーン」
彼は言った。
「間違いない。八五四年、俺が十二のときです」
彼は言った。
「母は救貧院に入って、その冬に死んだって聞かされました」
彼は壁に手をついた。
「退所って、なんですか」
俺は答えられなかった。
「――出されたんですね」
彼は言った。
「冬に、出されたんですね」
彼は、壁の前に座り込んだ。
俺は隣に立って、待った。
やがて、彼は言った。
「――八年、知らなかった」
彼は言った。
「知りたくもなかった」
彼は顔を上げて、壁を見た。
「でも、名前があってよかった」
彼は言った。
「死んだって聞いただけだと、なんにも残らないんです」
■
その日から、水車小屋には毎日誰かがいた。
村の人間だけではなかった。
噂が広まって、宿場町の焼け跡から、近隣の村から、人が来るようになった。
みんな、壁の前で名前を探した。
見つける人もいたし、見つからない人もいた。
見つからなかった人は、たいてい、こう言って帰った。
「――載ってなかった。よかった」
それが救いなのかどうか、俺にはわからなかった。
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半月後、リディアが俺のところへ来た。
「ノアさん、問題があります」
彼女は言った。
「壁を見に来る人が、一日に三十人を超えました」
彼女は言った。
「そのうち、十人ほどが村に留まります。行くところがないからです」
彼女は帳簿を開いた。
「このままだと、月に三百人増えます」
俺は考えた。
「――写しを作りましょう」
俺は言った。
「壁が一枚しかないから、みんなここに来るんです」
俺は言った。
「宿場町に一枚、領都に一枚、南の農村に一枚。貼らせてもらいましょう」
リディアは眼鏡を押し上げた。
「千二百四十八人分を、四枚」
彼女は言った。
「書き手が、足りません」




