拾い集めたもの
最後に動いたのは、ボロだった。
彼は、村の奥から出てきた。
俺は、その姿を見て、足を止めた。
――大きくなっていた。
馬より大きかった。
背丈は俺の頭を越えていて、銀色の毛が朝日を弾いて、金色の目が路地の奥を見ていた。
一年半前、ゴミ捨て場で震えていた毛玉だった。
「――我は」
彼が言った。
声が、腹に響いた。
「我は、灰狼シリウス」
彼は言った。
「北の霊峰を守りし、神獣である」
彼は、初めてその名を、恥じずに名乗った。
■
ボロが吠えた。
その一声で、谷の岩壁から雪が落ちた。
馬が全部暴れて、乗っていた兵を振り落とした。
人間の兵百二十のうち、七十が、その場で膝をついた。
戦意ではなく、体が動かなくなったのだ。
――そして、ハギともう一頭が、両側から出てきた。
三匹の狼が、村の路地を塞いだ。
「――退け」
ボロが言った。
「ここは、我の場所だ」
彼は言った。
「拾われた者たちの、場所だ」
■
撤退の合図が鳴ったのは、それから数分後だった。
谷の入口の外で、イレーネ・フォスが手を上げていた。
彼女は最後まで、谷の中に一歩も入らなかった。
兵が退いていく。
泥に沈んだ人形は、そのまま置いていかれた。
百体のうち、二十体は畑の沼で動作を続けていて、八十体は入口の道で止まっていた。
誰も回収しなかった。
「――捨てないんじゃなかったんですか」
俺は谷の入口まで歩いて、彼女に言った。
イレーネは、俺を見た。
「回収は、次の隊が行う」
彼女は言った。
「私の任務は制圧だ。回収は別の任務だ」
「じゃあ、次の隊が来なかったら」
俺は言った。
「あの百体は、あそこで動き続けます」
俺は言った。
「五十年でも、百年でも」
イレーネは、答えなかった。
彼女は泥の中の人形を見ていた。
膝を上げて、下ろして、また上げる。
進まないまま。
――彼女の口が、わずかに動いた。
何と言ったのかは、聞こえなかった。
「――ノア・ガラット」
彼女は言った。
「君の集落は、今日は勝った」
彼女は馬に跨った。
「だが、これは分遣隊だ。本隊は二千、その後ろに一万八千いる」
彼女は言った。
「君が勝ったのは、算術ではなく、地形と、四十年前の水門と、五十年前の回路の削除忘れだ」
彼女は言った。
「――全部、他人の残したものだ」
俺は答えた。
「はい」
俺は言った。
「うち、全部そうです」
イレーネが、俺を見下ろした。
そして、初めて、はっきりと表情を作った。
――笑ったのだ。
「……そうか」
彼女は言った。
「では、また会おう」
■
その日の夕方、俺たちは死者を数えた。
村の側の死者は、四人だった。
フランの部隊の兵が二人、難民の男が一人、そして――ロブが一人。
彼は斜面から石を落としているとき、下から射られた。
ミカが、彼の脇に座り込んで、動かなかった。
俺が近づくと、彼女は顔を上げずに言った。
「あたし、まだ、なんも教わってない」
彼女は言った。
「炉の石のことも、まだ半分しか聞いてない」
俺は、隣に座った。
何も言えなかった。
「――でも」
ミカは言った。
「あたし、あの人の打ち方、覚えてる」
彼女は自分の手を見た。
「二日、隣で打ったから」
彼女は言った。
「エルシャインの、三本目の継ぎ目。あれ、あの人の鉄だ」
彼女は言った。
「――残ってる」
■
その夜、俺は帳面を開いた。
死んだ四人の名前を、別の頁に書いた。
ロブ・カロン。鍛冶師。ロスタ出身。父の組んだ炉を継いだ人。
俺は、それだけ書いて、ペンを置いた。
――アルドリックのことを、思い出していた。
私は、九百九十九人の名前を覚えていない。覚えていたら、四十年続けられなかった。
あの言葉の意味が、今日、少しわかった気がした。
「ノア」
鞘の中から、エルの声がした。
「刃を見ろ」
俺は剣を抜いた。
四本の継ぎ目が走った刃の、切っ先の三寸が――伸びていた。
継ぎ目が、五本になっていた。
五本目の鉄は、打った覚えのない鉄だった。
「……なんですか、これ」 「知らん」
エルは言った。
「だが、心当たりはある」
彼女は言った。
「今日、この村で、鉄を打った者が一人減った」
■
三日後、街道を南下していた帝国の本隊が、進路を変えたという知らせが来た。
彼らは領都へは向かわず、東の平野へ回り込んだ。
理由は、誰にもわからなかった。
ただ、その知らせを持ってきた伝令が、最後にこう言った。
「――谷の集落に、伝言があるそうです」
彼は紙を読み上げた。
「『不要なものを持たない軍は、拾うこともできない』」
彼は言った。
「『これは私の敗北ではない。だが、私が考えていなかったことだ』」
伝令は顔を上げた。
「差出人は、イレーネ・フォス」




