暁の剣、装備が足りない
「――医者を呼べ! 早く!」
ギルドの扉が蹴破られるみたいに開いたとき、俺は掲示板の前にいた。
依頼票を眺めていたところだった。薬草採取、銅貨十五枚。溝掃除、銅貨八枚。荷運び、銅貨二十枚。
金がないので選り好みはできない。全部やるつもりだった。
振り返ると、ギースがカイルを担いで入ってきていた。
カイルの左足が、あらぬ方向を向いていた。
「ちょっと、押さないで! ちょっと!」
マルタが杖を引きずっている。杖の先端が割れて、魔石が落ちかけていた。
その後ろから、セリアが青い顔で駆け込んでくる。
ギルドの中がざわついた。
三十階層まで潜れるパーティーが、この街に何組いると思っているのか。二組だ。そのうちの一組が、こうなっている。
「何があった!」
ギルド長の親父が受付から飛び出してきた。
「二十七階層で……階段が崩れて」 ギースが息を切らしながら言った。 「リーダーが落ちた。十メートル」 「足場が崩れたのか」 「いや……」
ギースが言い淀んだ。
そして、視線を落とした。
カイルの左足を。正確には、その足から外れかけているブーツを。
「留め具が、外れて」
ギルドの中が、しん、とした。
ベテランの冒険者が何人か、露骨に顔をしかめた。
留め具の点検は、初心者講習の一日目に教わることだ。
「マルタさんの杖も」 「魔石が飛んだのよ! 詠唱の途中で! おかげで私の火球がどこ行ったと思う? 自分の足元よ!」
マルタが煙草を探して、それも見つからずに舌打ちした。
「ギースの短剣も折れたわ。根元からぽっきり」
俺は、掲示板のほうを向いたままでいた。
あの三つは、俺が五日前にセリアに伝えたものだ。
カイルの左ブーツの留め具。ギースの短剣の根元のひび。マルタの杖の先端の浮き。
――三日以内に、誰かに直させてください。
言った。
「なんで誰も直さなかったのよ!」
マルタの声が、ギルドの天井に響いた。
「今まで一度もこんなことなかったのに! なんで今回に限って、全部いっぺんに!」
その問いに答えられる人間は、このギルドに一人しかいなかった。
三年間、毎晩、焚き火のそばで装備を並べていた男だ。
俺は黙っていた。
「――ノア」
セリアが、俺を見つけた。
目が合った。
彼女の顔から、血の気が引いた。
「……言った。言ったのに」
セリアの唇が動いた。
「わたし、言ったのに。カイルに、ノアが直してくれてたって、点検してって、言ったのに」
カイルが担架に乗せられながら、こっちを見た。
目が合った。
彼は何も言わなかった。言えなかったのか、言いたくなかったのかはわからない。
ただ、その顔には、五日前にはなかったものが浮かんでいた。
「わからない」という顔だった。
■
「見苦しいな」
ギルドを出たところで、エルが言った。
「お前、何も言わんのか」 「言うことないです」 「あれはお前の仕事の結果だぞ。三年ぶんの」 「三年ぶんの仕事は、三年ぶんの給料でもらいました」
俺は歩き出した。
「それに、俺が言ったら、ただの嫌味です」
エルは黙った。
ボロが袋の上で欠伸をした。
「小僧」 「ボロです」 「我はボロと呼ばれる筋合いは……ああ、そうであった。ボロだ」
自分でつけさせておいて忘れるな。
「小僧。あの金髪、これからどうなる」 「足の骨が折れてるので、三ヶ月は潜れないです。パーティーは解散はしないでしょうけど、収入は止まります」 「ざまあみろ、とは思わんのか」 「……少しは思いますよ」
正直に言った。
「でも、あの人が三十階層まで俺を連れていってくれたのも本当なので」
通りの角で、ティナが待っていた。
両手いっぱいに何か抱えている。
「ノアさーん! 見てください、これ!」
彼女が抱えていたのは、ボロ布の山だった。
「ゴミ捨て場にあったんです! まだ全然使えそうで!」 「……ティナさん」 「はい!」 「うつってません?」 「え?」
俺は溜め息をついて、それからボロ布を一枚つまみ上げた。
麻布だ。染みは多いが、織りは詰まっている。洗って裁てば、鞄の当て布になる。
「使えますね」 「ですよね!」
ティナが目を輝かせた。
――この子は、放っておくと俺より拾う。
■
その日の夕方、俺たちは宿の裏で作業をした。
俺が布を裁ち、ティナが縫う。
ティナの縫い方は、俺よりずっと丁寧だった。教会で修道服を繕っていたらしい。
「ノアさん、これ何を作るんですか」 「鞘です」
俺は腰の折れた剣を外して、机に置いた。
「……そんなものは要らんぞ」
エルの声がした。
「私は剣だ。鞘など飾りだ」 「雨に濡れますよ」 「濡れて何が悪い」 「錆びます」 「私は錆びん」 「三百年錆びなかったのは、宝物庫が乾いてたからです」
エルが、ぐっと詰まった。
ティナがきょとんとして、剣を見て、俺を見た。
「ノアさん、その剣、誰かと喋ってません?」 「喋ってます」 「え」 「精霊が宿ってるらしいです。名前はエルさん」 「えっ、えっ、剣が!?」 「――娘」
エルの姿が、机の上にふわりと浮かんだ。
ティナが椅子ごと後ろにひっくり返った。
「うわあああ!」 「その反応はやめろ! 傷つく!」
俺は二人を放って、革を裁った。
夜になって、鞘ができた。
布と革を重ねただけの、装飾も何もない、ただの鞘だ。
俺はそこに、折れた剣を納めた。
ぴたりと収まった。
エルは、しばらく何も言わなかった。
「……おい」 「はい」 「これは、私のためだけに、作ったのか」 「他に誰の剣を入れるんですか」
返事がなかった。
代わりに、鞘の中で、じん、と小さな音がした。
俺は剣を抜いた。
折れた刃の断面から――刃が、指一本ぶんだけ、伸びていた。
「……伸びてる」 「伸びているな」 「なんでですか」 「知らん」
エルの声は、震えていた。
「知らんが。……知らんが、悪い気分ではない」
ティナが横から覗き込んで、大声を出した。
「すごい! ノアさん、すごいです!」 「俺、何もしてないですけど」 「してます! してますよ!」
ボロが袋の上で寝返りを打って、ぼそりと言った。
「……小僧。腹が減った」 「今日はもうないです」 「なぜだ」 「金がないからです」
■
翌朝、ギルドの掲示板の前で、俺は一枚の依頼票を見つけた。
紙が黄ばんでいた。ずいぶん長く貼りっぱなしになっていたらしい。
こう書いてあった。
――『廃村ロスタ跡地の調査。報酬・銀貨二枚。※三年前に全滅。以後、誰も戻っていません』
俺はその紙を、しばらく見ていた。
「ノア。やめておけ」
エルが言った。
「全滅した村だぞ。三年、誰も受けなかった依頼だぞ」 「知ってます」 「わかっているなら」 「エルさん」
俺は紙を剥がした。
「村って、拾えると思います?」




