選ばなくていい方法
三つ目の館で、事件が起きた。
その日、列は三百人を超えていた。
東の伯爵領で、人口が多かったのと、聖女が来るという触れが十日前に出ていたからだ。
朝、司祭が名簿を持って列の前に立ったとき――列の後ろから、男が飛び出してきた。
男は子供を抱えていた。四つか五つの女の子で、ぐったりしていた。
「頼む! この子を!」
男は司祭の足元に膝をついた。
「順番でいい! 金は出す! 持ってるもん全部出す!」
司祭は名簿を見た。
「――献金額、銅貨八枚」
彼は言った。
「二百七十六番目です」
男は名簿にすがりついた。
護衛が男を引き剥がした。
子供が地面に転がって、俺は思わず駆け寄った。
抱き上げると、熱かった。
異常に熱かった。
「ティナさん!」
ティナが走ってきて、子供の首と脇に触れて、それから顔色を変えた。
「熱です。すごく高いです」
彼女は言った。
「これ、治癒じゃなくても下げられます」
「え?」
「水です。あと、体を冷やすことです」
彼女は早口で言った。
「井戸の水で布を濡らして、首と脇と股に当てます。あと、少しずつ水を飲ませます。一気に飲ませると吐きます」
俺は動いた。
ゼロが井戸から水を汲み、リディアが布を裂き、ティナが子供の服を緩めた。
四半刻ほどして、子供の呼吸が、少し楽になった。
半刻して、目を開けた。
男が――父親が、地面に額をつけて泣いた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
彼は俺の足に縋った。
「聖女様、ありがとうございます」
「聖女じゃないです」
俺は言った。
「荷物持ちです」
■
その光景を、セリアが見ていた。
彼女は館の階段の上に立って、こちらを見下ろしていた。
顔が、白かった。
俺が階段を上がっていくと、彼女は震える声で言った。
「――治ったの」 「熱が下がっただけです。治ってはいないです」 「でも、生きてる」 「生きてます」
セリアは、自分の両手を見た。
「わたし、治癒を使わなかった」
彼女は言った。
「使わずに、あの子が助かった」
彼女の目から、涙が落ちた。
「――それ、ずるくない?」
彼女は言った。
「わたし、十年、三人しか選べないと思ってた」
■
その日、セリアは列を降りた。
降りて、俺たちのところへ来た。
「教えて」
彼女は言った。
「ティナちゃん。わたしにも、それ教えて」
ティナが驚いて、それから、真剣な顔で頷いた。
「はい。まず、熱の見方からです」
セリアは、その場に膝をついた。
聖女の法衣のまま、地面に膝をついて、包帯の巻き方を教わり始めた。
司祭が飛んできて、何か叫んだが、セリアは顔も上げなかった。
彼女は一度だけ、こう言った。
「あと二時間、待ってください」
彼女は言った。
「二時間後に、治癒を三回やります。それまでは、こっちをやります」
■
その日、俺たちは百二十人を診た。
治癒で治ったのは九人だった。
俺たちが手当てをしたのは百二十人で、そのうち何人が助かるかは、わからない。
わからないが、百二十人は、順番を待たずに何かをしてもらえた。
夕方、列がほどけていくとき、一人の老女が俺の袖を掴んだ。
彼女は自分の膝に巻かれた包帯を指して、こう言った。
「これ、どうやって巻くんだい」
俺は驚いた。
「教えてくれよ。うちの隣の婆さんも、膝が悪いんだ」
俺は、ティナを見た。
彼女は俺を見返して、それから、大きく頷いた。
■
その夜、リディアが宿舎の机で、猛然と何かを書いていた。
「なにを書いてるんですか」
「手引きです」
彼女は言った。
「包帯の巻き方、添え木の当て方、熱の下げ方、傷の洗い方。今日ティナさんがやったことを、全部、絵にして書いています」
彼女はペンを止めなかった。
「明日、これを二十枚写して、列の人に配ります」
「読めない人もいますよ」 「だから絵にしています」
リディアは言った。
「文字が読める人が一人いれば、村に持ち帰れます」
彼女は顔を上げた。
「――ノアさん」 「はい」 「これ、教会にとって、いちばん都合が悪いことです」
彼女は言った。
「聖女がいなくても、人が助かる方法が、村に広まるということですから」




