掘る
湧き口を掘り出す作業は、三日かかった。
水たまりの底の砂利を、少しずつ掻き出していく。深く掘りすぎると崩れる。慎重にやるしかない。
狼には掘れなかった。爪では砂利を掻き出せても、掻き出した砂利を運べない。
運んだのは、ゼロだった。
「作業を継続します」
彼女は言った。
彼女は五十年、坑道の壁を叩いていた。
掘るという動作だけは、この世界の誰よりも慣れていた。
二日目の夕方、ソナが窪地の縁から声を上げた。
「――音が変わった」
彼女は耳覆いを外していた。
「さっきまで、水の音が『詰まって』た。今、少し『抜けた』」
俺は掘る手を止めて、聞いた。
「どのへんですか」 「もう少し左。あなたの手の、指三本ぶん左」
俺は言われたとおりに掘った。
砂利を掻き出して、その下から出てきたのは――黒い泥だった。
粘つく泥で、砂利と違って、水を通さない。
「これだ」
ドルグが言った。
「粘土だ。崩れた斜面から流れてきて、割れ目に張りついてる」
問題は、粘土が硬く固まっていることだった。
手では剥がれない。かといって、金属の道具で叩けば岩の割れ目そのものを傷める。
「――ミカがいれば」
俺は思わず呟いた。
そのとき、袋の底に入れっぱなしのものを思い出した。
ミカが出発の朝に押しつけてきた、あの梃子だ。
両端が平たく潰れていて、真ん中に握りがある。
――武器じゃない。でも、扉のかんぬきなら、これでこじ開けられる。
「使わないで済むならそれでいい、って言ってましたけど」
俺は梃子を取り出した。
「使います」
■
平たい先端を粘土と岩の境目に差し込んで、ゆっくり体重をかけた。
岩を傷めない角度を探るのに、半日かかった。
ソナが縁から音を聞いて、指示を出した。
「そこ。もう少し寝かせて。……いま、割れ目が鳴った。強すぎる」
俺は力を抜いた。
「もう一回。ゆっくり」
三日目の朝、粘土の塊が、ずるりと外れた。
その瞬間だった。
水が、噴き出した。
俺の胸に当たって、俺は尻もちをついた。
冷たい水が、窪地の底から柱になって上がって、それから、勢いよく溜まりはじめた。
狼たちが吠えた。
二十頭が一斉に吠えて、その声が霊峰の岩壁に反響して、雪が崩れる音がした。
ティナが叫んで、ドルグが笑って、ゼロが「水位の上昇を確認しました」と言って、ソナが耳覆いを両手で押さえてしゃがみ込んで、それでも笑っていた。
水は、俺の膝まで溜まった。腰まで溜まった。
そして、腰の高さの水位の跡のところで、止まった。
■
その夜、群れは獲物を狩った。
三年ぶりに山に戻ってきた鹿を、二十頭がかりで追い込んで、一頭仕留めた。
狼たちは、その半分を俺たちの前に置いた。
「――食え」
ガルドが言った。
「人間に肉を分けるのは、群れの掟に反する。だが、掟は俺が作り直す」
彼は言った。
「俺は、間違えた長だ。間違えた長が最初にやるのは、掟を直すことだ」
ドルグが鹿を捌いて、火を熾した。
塩は俺たちが持ってきたものが少し残っていた。それだけで焼いた。
脂が落ちて煙が上がって、その匂いが窪地に満ちた。
ティナが三切れ食って、四切れ目に手を伸ばして、ソナに取られた。
「あっ」 「早い者勝ち」
ソナは初めて、悪い顔で笑った。
ゼロは食べられないので、火の番をしていた。
彼女は薪をくべながら、時々、水面を見ていた。
水面には、星が映っていた。
■
ボロは、少し離れた岩の上に座っていた。
俺はそこへ行った。
「食わないんですか」 「食う。もう三回食った」 「早い」
俺は隣に座った。
ボロの毛は、水を浴びて、いっそう銀色に光っていた。
体は――大きくなっていた。
もう仔馬ではなかった。俺が横に立って、背が肩の高さに来るくらいになっていた。
「ボロ」 「なんだ」 「戻りますか」
俺は聞いた。
「群れに」
ボロは、しばらく答えなかった。
彼は水面を見ていた。
「ガルドが、我に長を返すと言った」
彼は言った。
「断った」
「なんでですか」 「あやつのほうが、向いておる」
ボロは言った。
「我は、泉の前で七日七晩立ち尽くす馬鹿だ。ガルドは、三年立ち尽くした馬鹿だ」
彼は鼻を鳴らした。
「馬鹿の度合いが違う。長は、より馬鹿なほうがよい」
俺は笑った。
「じゃあ」 「うむ」
ボロは立ち上がった。
「我は、お前の村に帰る」
彼は言った。
「あそこには、飯がある」
■
翌朝、出発の支度をしていると、ハギが俺の前に来た。
彼の前脚の添え木は、もう外れていた。
「ノア」 「はい」 「連れていってほしい」
彼は言った。
「群れは戻った。長はガルドだ。俺の役目は終わった」
ハギは頭を下げた。
「俺は、三年、シリウス様を探して山を降りていた。群れの中に、俺の場所はもうない」
彼は言った。
「俺は、群れに置いていかれた狼だ」
俺は少し考えた。
「ハギ」 「はい」 「うち、狼が一匹います」 「はい」 「そいつ、めちゃくちゃ食います」 「……はい」 「二匹になったら、破産します」
ハギの耳が、ぺたりと寝た。
俺は笑って、手を差し出した。
「――拾います」




