北へ
北の霊峰までは、徒歩で十日かかった。
最初の四日は街道で、次の三日は林の中の細道で、残りの三日は道と呼べるものがなかった。
登るにつれて空気が冷たくなって、七日目には吐く息が白くなった。
旅の間、ボロはあまり喋らなかった。
彼は先頭を歩いて、時々立ち止まって匂いを嗅いで、また歩いた。
仔馬ほどの体になっても、彼はまだ「腹が減った」と言い続けていて、そこだけは変わらなかった。
「小僧」 「ボロです」 「ボロだ。……小僧、飯はまだか」 「一時間前に食いました」 「足りぬ」
この会話を、俺たちは旅の間に四十回はやった。
六日目の夜、焚き火の前で、ドルグが干し肉を炙りながら言った。
「毛玉。ひとつ聞いていいか」 「ボロである」 「ボロ。お前、弟に会って何を言うつもりだ」
ボロは、火を見ていた。
「わからぬ」
彼は正直に言った。
「三年、考えなんだ。考えると、腹が減るのでな」
ドルグが吹き出した。
「そりゃいい」
「笑うな」
ボロは唸ったが、本気ではなかった。
「……小僧」 「はい」 「我は、弟を恨んでおらぬ」
彼は言った。
「あのとき、群れには決断が要った。長が倒れて、泉が細って、獲物が減っていた。誰かが『次はこうする』と言わねばならなんだ」
彼は火の粉を見上げた。
「ガルドは、それを言った。言い方は最悪であったがな」
「……許すんですか」
ティナが聞いた。
「許さぬ」
ボロは即答した。
「恨まぬが、許さぬ。その二つは、別だ」
■
八日目、俺たちは山の中腹で、雪の上に足跡を見つけた。
人間の足跡だった。小さい。子供の大きさだ。
しかも、裸足に近い、薄い履物の跡だった。
「こんな高さに、人が」
ドルグが眉を寄せた。
「山の民か。だが、里はもっと下だ」
足跡は、岩場のほうへ続いていた。
俺は追った。
岩の陰を回り込んだところで――少女が、こちらに矢を向けていた。
十四か十五くらいだった。
黒い髪を編んで背中に垂らして、獣の毛皮を重ね着している。顔立ちは細く、目が大きく、そして――両耳に、木でできた覆いをつけていた。
耳を塞ぐための覆いだ。
彼女は矢をつがえたまま、震えていた。
「――こないで」
声が細かった。
「うるさい。うるさいから、こないで」
「ノアさん」
ティナが小声で言った。
「あの子、泣いてます」
俺は両手を上げて、ゆっくりしゃがんだ。
「武器、持ってません」 「うるさい」 「はい」 「あなたの声、大きい」
少女は矢を下ろさなかった。
「うるさいの。全部。歩く音も、息も、心臓も、全部聞こえるの。だから、こないで」
――そのとき、ボロが前に出た。
少女の目が、大きく見開かれた。
矢が、手から滑り落ちた。
「……しずか」
彼女は言った。
「あなた、しずかだ」
■
少女の名は、ソナといった。
彼女は麓の山の民の里の、族長の孫娘だった。
そして、四年前から、この山に一人でいた。
「里にいると、頭が割れるの」
彼女は焚き火のそばで、木の耳覆いを外していた。外すと、遠くの雪崩の音まで聞こえるらしい。
「百人いると、百人ぶんの音が全部くる。話し声も、寝言も、噛む音も、腹の音も」
ソナは膝を抱えた。
「わたしが泣くから、みんな怒った。『そんなに嫌なら山に行け』って、お婆様が言った」
彼女は淡々と言った。
「だから、行った」
ティナが、俺の袖を強く握った。
「――四年、一人ですか」
俺が聞くと、ソナは首を振った。
「一人じゃない。狼がいる」
彼女は言った。
「狼は、しずかだから。心の音が、一本しかないから」
ソナはボロを見た。
「あなた、この山の狼でしょう。でも、この山にいない匂いがする」
ボロが目を細めた。
「娘。お前、我の言葉がわかるか」 「わかる」
ソナは言った。
「狼の言葉は、音じゃなくて、形だから。形なら、うるさくない」
彼女は焚き火の炎を見つめた。
「あなた、前の長でしょう。ガルドが落とした人」
全員が固まった。
「知ってるのか」
ドルグが聞いた。
「聞いてた」
ソナは言った。
「三年前の夜。泉のところで、狼たちが話してるの、全部聞こえた」
彼女は膝を抱え直した。
「ガルドが言ったの。『兄は老いた』って」
ソナは、そこで一度、言葉を切った。
「――でも、そのあと、一人になってから、ガルドが泣いてた」




