三百年前の証人
聖堂が、ざわめきで埋まった。
「誰だ」 「今、剣が」 「剣が喋ったぞ」
ヴィクトルが手を上げて、ざわめきを鎮めた。
彼は俺のところまで歩いてきて、腰の剣を見下ろした。
「――失礼。あなたの佩剣ですか」 「はい」 「抜いていただけますか」
俺は立ち上がって、剣を抜いた。
継ぎ目の走った刃が、聖堂の灯りを弾いた。
その上に、銀髪の少女の姿が浮かんだ。
法衣の列が、一斉に立ち上がった。
何人かは膝をついた。何人かは十字を切った。
「――聖遺物」
誰かが言った。
「精霊が宿った剣は、聖遺物だ」
ヴィクトルの顔から、初めて余裕が消えた。
彼は素早く書状をめくって、条文を確認して、それから、慎重に口を開いた。
「……教会法、第三編、第九条。聖遺物に宿る霊は、審問において証言することができる」
彼は顔を上げた。
「――お名前を」
「エルシャイン」
彼女は答えた。
「勇者ロランドの佩剣。王暦五六二年、魔王討伐の折に折れた」
聖堂が、静まり返った。
三百年前の勇者の名は、この場の全員が知っていた。
■
「エルシャイン殿」
ヴィクトルは、明らかに言葉を選んでいた。
「先ほど、記録を焼いた、とおっしゃいましたが」 「言った」 「どういう意味でしょうか」
エルは、階段状の席を見上げた。
「私は三百年前、この国の武器庫にいた。折られてからは、ただ置かれていた」
彼女は言った。
「置かれた剣は、何もできぬ。ただ、聞くことはできる」
彼女は続けた。
「王暦五七〇年、教会は『継ぎ手』の一派を異端と定め、その記録を焼いた」
ざわめきが起きた。
「継ぎ手、というのは」
ヴィクトルが聞いた。
「壊れたものを繋ぐ者たちだ」
エルは答えた。
「彼らは、割れた器を継ぎ、折れた骨を添え、崩れた壁を組み直した。治すのではない。継ぐのだ」
彼女はティナを見た。
「その娘の力は、それだ」
聖堂がどよめいた。
「――なぜ、異端とされたのですか」
ヴィクトルが聞いた。
エルは、しばらく黙った。
そして、はっきりと言った。
「継ぎ手は、教会を通さなかったからだ」
彼女は言った。
「治癒は聖女にしかできぬ。ゆえに聖女は教会に集まり、献金も教会に集まる。だが継ぎ手の技は、教わればできた。誰でも」
エルは階段状の席を見上げた。
「村ごとに一人、継ぎ手がいた。器を継ぎ、鍋を継ぎ、屋根を継いだ。彼らは献金を集めなかった。集める必要がなかった」
彼女は言った。
「教会にとって、それは奇跡ではなく、損失だった」
■
「――証拠は」
ヴィクトルの声は、掠れていた。
「証拠はありますか」
「ない」
エルは即答した。
「焼いたのだから、あるはずがない」
彼女は続けた。
「だが、ひとつだけ言える。教会法第三編第九条を作ったのは、その焼いた年だ」
エルは言った。
「聖遺物に宿る霊は証言できる、という条文だ。なぜ作ったと思う」
誰も答えなかった。
「――当時、記録を焼いたことを知っている『物』が、多すぎたからだ」
彼女は言った。
「教会は、物に喋られることを恐れた。だから、喋る物を『聖遺物』と定め、審問の場に限って喋らせることにした。管理するためだ」
エルは、初めて笑った。
「三百年、その条文は一度も使われなかった。私が最初だ」
■
ヴィクトルは、長いこと立ち尽くしていた。
彼は査察官として優秀だった。だから、この状況で何が起きているのかを、正確に理解していた。
彼が本審問への移行を宣言すれば、三百年前の焼却が公の記録に残る。
彼が予備審問を打ち切れば、告発は不発に終わる。
どちらに転んでも、聖庁は損をする。
「――ヴィクトル」
声がした。
最上段の席で、アルドリックが立ち上がっていた。
いつからそこにいたのか、俺は気づかなかった。
「打ち切りなさい」
老人は言った。
聖堂中が振り返った。
「予備審問は打ち切る。疑義なし。ティナ・アルベールに対する告発は、これを退ける」
「し、しかし司教猊下」 「打ち切りなさい」
アルドリックは繰り返した。
その声は、静かで、逆らいようがなかった。
ヴィクトルは書状を閉じた。
「――予備審問、終了」
彼は宣言した。
「疑義なし」
■
法衣の列が退出していく中、ティナは台の上に立ったまま、動けずにいた。
俺が駆け寄って肩に触れると、彼女は膝から崩れた。
「ノアさん」 「はい」 「終わった、んですか」 「終わりました」
彼女は俺の袖を掴んで、それから、声を上げて泣いた。
人形を胸に押しつけたまま、聖堂の床に座り込んで、十六年ぶんくらい泣いた。
俺はその隣にしゃがんで、待っていた。
最上段の席から、アルドリックが降りてくるのが見えた。




