謝りに来たわけじゃない
カイルは、村の入口から一歩も中に入ってこなかった。
松明を持ったまま、境の石のところに立っている。左足に体重をかけないような立ち方をしていて、それが本人にとってどれほど屈辱かは、この男を三年見てきた俺にはわかった。
「入らないんですか」 「入っていいと言われてない」
俺は少し驚いた。
三年前のカイルなら、断りもなく入ってきて、勝手に一番いい椅子に座っていた。
「どうぞ」 「――ああ」
彼は境の石をまたいで、それから、村を見回した。
夜だったから、見えるのは屋根の形と、井戸の輪郭と、鍛冶場の残り火くらいだったが、カイルはそれを長いこと眺めていた。
「聞いてる。廃村を再興したって」 「まだ認可が下りてないです」 「知ってる」
彼はそう言って、松明を石垣に立てかけた。
「今日はその話をしに来た」
■
俺は井戸端に彼を座らせて、水を汲んだ。
カイルは桶を受け取って、一口飲んで、それから、こう切り出した。
「まず言っておく。謝りに来たわけじゃない」
俺は黙って聞いていた。
「謝る言葉を、俺は持ってない」
彼は水面を見ていた。
「足が折れて、寝台の上で三ヶ月天井を見てた。その間ずっと、お前に何を言えばいいのか考えてたが、何も出てこなかった。『すまなかった』って言ったところで、あの日、俺が言ったのは『鉄屑にもならねえ』だ」
カイルは口の端を歪めた。
「言葉で消せる量じゃない」
俺は少し考えて、それから言った。
「じゃあ、消さなくていいです」 「――そうか」
彼は頷いた。
それだけだった。あっさりしすぎているようにも思えたが、たぶん、この男はここで泣いたり縋ったりできるほど器用ではない。
「本題だ」
カイルは桶を置いた。
「ロスタの認可は、下りない」
■
「うちは男爵家だ。俺は次男で、家を継がないから冒険者をやってる」
彼は話し出した。
「先月、実家に呼ばれた。足を折ったのが知れて、親父が『そら見ろ』と言いたかったんだろう。その席で、管区の話を聞いた」
カイルは指で地面に線を引いた。
「第四管区の黒炭鉱区の払い下げが、来期に決まってる。相手はグラス商会」
俺は聞き返した。
「黒炭鉱区って」 「閉山した坑道の再開発だ。銀が出なくなった坑道に黒炭が眠ってるってのは、この十年で商会が気づき始めてる」
彼は顔を上げた。
「第四管区の閉山坑道は三つ。そのうち二つは領都の近くで、もう掘り尽くされてる。残る一つが――」
「ロスタの谷の上です」
俺は言った。
「そうだ」
カイルは頷いた。
「グラス商会は、あの坑道を『無人の王領にある未利用鉱区』として申請してる。無人だから、地代も補償も要らない。ところがそこに突然、集落が立った」
彼は俺を見た。
「集落が認可されたら、鉱区は『集落の付属地』になる。商会は谷ごと買わなきゃならなくなるし、住民に補償が要る。金貨で言えば、たぶん三十枚は違う」
「だから、認可を止める」 「止めるというより、遅らせる」
カイルは首を振った。
「否認は書面が残る。理由を書かなきゃならん。だが『審査中』はいくらでも伸ばせる。書式の不備、確認事項、上申待ち――半年伸ばせば、その間に鉱区の払い下げが先に決まる」
俺は地面を見た。
リディアの言葉を思い出していた。役所は人ではなく書式でできている、と。
「アルバンっていう課長が」 「そいつは実行役だ」
カイルは即答した。
「グラス商会の顧問料を、名前を変えて受け取ってる。うちの親父の帳簿に載ってた。うちも噛んでるってことだ」
彼はそこで、言葉を切った。
「――俺は、それをお前に喋りに来た」
俺は顔を上げた。
「家、まずくないですか」 「まずいな」
カイルは笑った。
三年見てきた中で、初めて見る種類の笑い方だった。
「まずいが、俺はもう、見えてなかったことを言い訳にしたくない」
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しばらく、井戸の縄が軋む音だけがした。
「ノア」 「はい」 「ひとつ聞いていいか」 「どうぞ」
カイルは、自分の左足を見た。
「なんで、あの日、俺のブーツの話をセリアに言った」
俺は答えを探した。
「――お前は、俺に直接言えばよかった。『留め具が緩んでる』って一言。それだけで、俺は三ヶ月寝込まずに済んだ」
彼の声は責めていなかった。本当に、わからない、という声だった。
「言えなかったんです」
俺は正直に言った。
「俺が言うと、恩着せがましくなるので」 「恩着せがましくていいだろう。実際、恩だ」 「あのとき、そう思えなかったんです」
俺は膝を抱えた。
「三年間、俺は自分のことを『いてもいなくても同じ荷物持ち』だと思ってました。そういう人間が『俺が直してた』って言うのは、みっともないなと思って」
カイルは黙った。
そして、長い息を吐いた。
「――それは、俺がそう思わせたんだよな」
彼は膝に肘をついて、頭を抱えた。
「三年だ。三年、毎晩やってたことを、俺は一度も見なかった」
俺は何も言わなかった。
言えることはあったかもしれないが、この人は今、自分で言わなきゃいけないことを言っているのだと思ったからだ。
やがてカイルは顔を上げて、それから、少し早口になった。
「金を払う。ギースの短剣と、マルタの杖と、俺の装備を見てくれ。相場の三倍出す」
俺は首を振った。
「無理です」 「――そうか」 「時間がないので」
俺は立ち上がった。
「認可の話が片付いたら、やります。それまで待ってください」
カイルは顔を上げて、しばらく俺を見て、それから、また笑った。
「……お前、変わったな」 「そうですか」 「三年前のお前なら、今この場で直してた」




