折れた剣が喋った
「喋った」 「喋った、ではない。喋っている」
声は剣から聞こえていた。
というより、剣のあたりの空気が、そのまま喋っている感じだった。
俺は数歩下がって、腰の後ろで手を組んで、それからもう一度近づいて、剣をつついた。
「つつくな」 「すみません」 「謝るな。腹が立つ」
理不尽だ。
もう一度よく見ると、折れた刃の上に、うっすらと人影が立っていた。
銀色の髪。赤い目。白と金の意匠が入った、見たことのない仕立ての服。年は十五くらいに見える。輪郭は薄くて、向こう側の石壁が透けていた。
腕を組んで、こっちを睨んでいる。
「……幽霊ですか」 「精霊だ。剣に宿る精霊。私の名は――」
彼女はそこで言葉を切った。
そして、少しだけ気まずそうに続けた。
「……名は、忘れた」 「忘れた」 「三百年だぞ。武器庫の隅で三百年だ。名など錆びる」
言い訳が長い。
でも、なんとなくわかった。
名前を呼ばれなくなったものは、名前を忘れる。ばあちゃんの店にあった古い道具も、そうだった。
「あの、聞いていいですか。あなた、なんで折れてるんです」 「勇者が下手だったからだ」
即答だった。
「三百年前、私は勇者ロランドの剣だった。奴は魔王の心臓を貫く直前で怯んだ。刃筋がぶれた。私は折れた。奴は生き延びた」
精霊は鼻で笑った。
「そして奴は、折れた私を城の武器庫に放り込んで、二度と取りに来なかった」
言い方は乱暴だったが、最後のところだけ、声が少し落ちた。
俺は黙って聞いていた。
「以来、私は誰にも握られていない。国が滅び、城が沈み、迷宮になり、宝物庫の奥で埃をかぶった。そこへお前たちが来て――金髪の小僧が私を見て、なんと言ったか覚えているか?」 「……折れてる、って」 「『鉄屑にもならねえ』だ」
精霊の輪郭が、ぶわっと膨らんだ。
「三百年待って、最初に投げつけられた言葉がそれだ! 鉄屑! 私が! 誰の剣だったと思っている!」 「落ち着いてください」 「落ち着けるか!」
迷宮の通路に声が反響した。
怒鳴っているうちに輪郭がはっきりしてきているのが、なんだかおかしかった。
「……で、お前は」
ひとしきり怒鳴って、精霊はこっちを見た。
「お前は私を拾った。なぜだ」 「もったいなかったので」 「は?」 「三百年、断面が錆びてなかったので。まだ生きてるんだろうなと思って」
精霊が、ぽかんとした顔をした。
その表情だけ、急に年相応に見えた。
「……お前、鑑定持ちか」 「いえ。【拾い物】です。ランクF」 「聞いたことがない」 「そりゃそうです。誰も持ちたがらないので」
俺は折れた剣を拾い上げて、外套の裾で汚れを拭いた。
柄の紋様が少しずつ出てくる。蔓草と、星と、それから文字らしきものが並んでいた。
「あ、これ、文字ですね」 「触るな」 「読めますか」 「……読める。私の名だ」
精霊が身を乗り出した。
そして、しばらく黙って、掠れた声で言った。
「エルシャイン。……そうだ。私の名は、エルシャインだ」
彼女の輪郭が、はっきりした。
透けていた石壁が、見えなくなった。
「思い出した」 「よかったですね」 「よくない! 三百年忘れていたんだぞ!」
やっぱり理不尽だ。
でも、エルシャインの声は、さっきよりずっと張りがあった。
■
「エルシャインさん」 「エルでいい。長い」 「じゃあエルさん。俺、これから地上に戻ります。二日かかります。食料は三日分あります」 「知っている。聞いていた」 「あなたを持っていっていいですか」
エルは眉を上げた。
「……許可を取るのか」 「勝手に持っていくのは、拾うんじゃなくて、盗るになるので」
俺のスキルには縛りがある。
持ち主に大事にされているものは、触っても何も視えない。何度も試した。
カイルたちに捨てられた瞬間、この剣は「拾えるもの」になった。それは事実だが――拾ってから先のことは、俺が決めていいわけじゃない。
エルはしばらく俺を見ていた。
それから、ふん、と鼻を鳴らして、腕を組み直した。
「……仕方あるまい。付き合ってやる」
言ってから、慌てたように付け加えた。
「勘違いするな。ここに置いていかれるよりましだというだけだ」 「はい」 「本当だぞ」 「はい」 「……その気の抜けた返事をやめろ」
俺は折れた剣を腰に差した。
鞘がないので、革帯を巻いて括りつけただけの、みっともない差し方になった。
「……もう少しましな扱いはできんのか」 「明日、ちゃんとした鞘を作ります。地上に着いたら」 「作れるのか」 「布と革があれば。三年、荷物持ちをやってたので」
エルは何か言いかけて、やめた。
■
残りのガラクタも全部拾った。
割れたポーション瓶。四本のうち三本は、割れているのが口の部分だけだった。中身が残っている。飲めないが、傷に垂らせば効く。
破れた地図筒は、破れているのが筒だけだ。中の羊皮紙は無事だった。三十二階層から二十階層までの経路が書き込んである。誰かが昔、ここで死んだんだろう。
「……地図あるじゃないですか」
カイルは筒が破れているのを見て、中身を確かめなかったのだ。
留め具の壊れたランタン。留め具は壊れているが、火袋も油皿も無傷だ。針金があれば直る。俺の背負い袋には針金が入っている。当たり前だ、荷物持ちだから。
焦げた外套。焦げているのは裾だけ。切り落とせば短い外套になる。
名前もわからない金属の板。これだけは何もわからなかった。ただ、触ると指先がじんとした。とりあえず袋に入れた。
「おい」 「はい」 「……お前、こんなものまで拾うのか」 「はい」 「金髪の小僧は、これを全部『ゴミ』と呼んだぞ」 「あの人は強いので。強い人は、直すより買ったほうが早いんです」
俺は袋の口を縛って、背負った。
ずしりと重い。いい重さだ。
「俺は弱いので。あるもので、なんとかするしかないんですよ」
エルは、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……三百年待った甲斐が、少しはあったかもしれん」 「え?」 「なんでもない。歩け」
■
二日後の夕方、俺は迷宮の入口から外に出た。
二年ぶりに見る夕日みたいに、光がやたら眩しかった。実際は五日ぶりだ。
入口の街――迷宮都市の外れにある宿場町の、通りの匂いがした。
パンと、油と、埃と、生活の匂い。
「ノア」 「はい」 「私は減っていない」 「はい?」 「腹だ。腹が減っている」
剣が飯を食うのか。
「食えるんですか」 「食えん。だが減る。理不尽だろう」 「理不尽ですね」
俺は笑った。五日ぶりに笑った気がした。
財布の中身は銅貨が十一枚。
仕事はない。パーティーもない。家もない。
でも、腰には喋る剣があって、背中には拾ったガラクタが詰まっている。
思ったより、悪くない気分だった。
――そのとき、路地の奥のゴミ捨て場で、何かが動いた。




