その荷物持ち、クビ
「ノア、お前クビな」
迷宮の三十二階層。野営地に荷を下ろしかけたところで、カイルはこっちを見もせずにそう言った。
俺は中腰のまま止まった。石の天井から水がぽたぽた落ちている。その音だけがやけに大きく聞こえた。
「……クビ、ですか」 「他に言い方あるか? パーティーを抜けろって話だ」
カイルは焚き木を組む手を止めない。金髪が松明の火を受けて光っている。顔がいいやつだ。剣も本物に強い。十九歳で三十階層まで来る人間はそう多くない。
「理由、聞いてもいいですか」 「お前、自分のスキル言ってみろよ」 「【拾い物】です」 「ランクは?」 「……Fです」
カイルがやっと振り返った。呆れとも同情ともつかない顔だった。
「捨てられたもんしか拾えないスキル。それ、街のゴミ拾いと何が違うんだ?」
違わない。事実そのとおりだ。
スキル判定所で【拾い物】と告げられたとき、係の親父が気の毒そうに「まあ、荷物持ちならやれる」と言った。俺はその言葉どおりに三年間、荷物持ちをやってきた。
「三十階層より下は、荷物持ちを連れて歩ける階層じゃない」
斥候のギースが横から言った。悪いやつではない。ただ、正しいことを正しい顔で言うのが好きなだけだ。
「お前が悪いわけじゃないんだ、ノア。でも守りきれない」 「そうねぇ。守る手間のほうが大きいのよね」
魔術師のマルタが煙草に火を点けながら言う。この人はいつも本音しか言わない。
最後にセリアを見た。聖女で、このパーティーで唯一、俺に毎朝おはようと言う人間だ。
セリアは俺を見て、それからカイルを見て、口を開きかけて――閉じた。
膝の上で、指がぎゅっと祈るみたいに握られていた。
ああ、と思った。この人はこの人で、たぶん一番苦しい席に座らされている。
「わかりました」
俺はそう言った。
揉めても意味がない。三年やって、それくらいはわかるようになった。
揉めて残ったところで、次に強い魔物が出たとき、俺を守るために誰かが死ぬ。それは嫌だった。
「……ノア」 セリアが小さく俺の名前を呼んだ。俺は笑ってみせた。たぶん、下手な笑い方だったと思う。
■
荷物を分けた。
「食料は三日分持ってけ。地図は俺たちが要る」 「はい」 「薬もこっちだ。上に戻るだけなら要らねえだろ」 「はい」 「あとは……そのへんのゴミでも持ってけよ」
カイルが顎で示したのは、野営地の隅に積まれた荷だった。
昨日、二十九階層の宝物庫で見つけたぶんだ。
カイルが「使える」と判断したものは、もうそれぞれの腰や背に収まっている。残っているのは、彼が一瞥して切り捨てたものだけだった。
真ん中に、折れた剣が転がっている。
刃の半ばからばっさり折れて、鞘もない。柄には見たこともない紋様が彫ってあったが、汚れて半分潰れていた。
「宝物庫の一番奥にあったやつですよね」 「折れてんだよ。見りゃわかんだろ」
カイルは吐き捨てた。
「鑑定にも出したさ。『価値なし』だってよ。三百年前のなんとかって記録はあるらしいが、折れた剣は折れた剣だ。鉄屑にもならねえ」
俺は折れた剣を見た。
汚れの下で、断面が妙に静かだった。三百年も転がっていたなら、断面はもっと錆びて崩れているはずだ。そうなっていない。
……もったいないな。
口の中で、そう呟いていた。
癖なのだ。ばあちゃんに育てられたせいだと思う。捨てる前に一度考えろ、と、あの人はいつも言っていた。
「じゃあ、拾っていきます」 「勝手にしろ」
■
三人が先に立ち上がった。カイルが背を向け、ギースが続き、マルタが煙草を石壁に押しつけて消す。
セリアが最後に残って、何か言おうとして、結局こう言った。
「……ごめんね」 「謝ることじゃないですよ」
本当にそう思っていた。
この人は俺のために三回、カイルと言い合ってくれたことがある。俺はそれを全部覚えている。
「セリアさん。ひとつだけいいですか」 「なに?」 「カイルさんの左のブーツ、留め具が緩んでます。あと、ギースさんの短剣、根元にひびが入ってます。マルタさんの杖は、先端の石が浮いてる。……三日以内に、誰かに直させてください」
セリアが目を丸くした。
「なんで、そんなこと」 「毎晩直してたので」
言ってから、少しだけ余計だったかと思った。
三年間、みんなが寝たあと、俺は焚き火のそばで装備を並べていた。緩みを締めて、ひびを埋めて、破れを縫って。
誰にも頼まれてはいない。頼まれる立場ですらなかった。ただ、壊れたものが目の前にあると気になって眠れなかった。それだけだ。
だから言うつもりもなかった。恩着せがましくなる。
でも、ブーツの留め具が外れて崖から落ちるやつを、俺は見たことがある。
「……ノア」 「セリア! 置いてくぞ!」
カイルの声が通路の奥から響いた。
セリアはびくりと肩を震わせて、それから深く頭を下げて、走っていった。
足音が遠ざかる。
松明の火が角を曲がって、消えた。
■
ひとりになった。
石の天井から、また水が落ちる。
三十二階層。地上まで丸二日。食料は三日分。地図なし、薬なし。
「……まあ、なんとかなるだろ」
俺は声に出して言った。ひとりのときに黙っていると、良くないことばかり考える。
立ち上がって、捨てられた荷のところへ行った。
折れた剣。割れたポーション瓶が四本。破れた革の地図筒。留め具の壊れたランタン。焦げた外套。それから、名前もわからない金属の板が一枚。
全部、誰かに「要らない」と言われたものだ。
だから――俺には拾える。
膝をついて、まず折れた剣に手をかけた。
その瞬間だった。
視界が、変わった。
剣の輪郭が、うっすら別の形に重なって見えた。
折れていない、まっすぐな刃。
柄の紋様は潰れておらず、光を弾いている。
それは俺が見たどんな武器よりも綺麗で、そして――なぜだか、ものすごく怒っているように見えた。
こんなの、初めてだ。
三年間、俺のスキルは「触ると、そこそこ手入れの手順が浮かぶ」程度のものだった。こんな風に、別の姿が視えたことなんてない。
喉が乾いていた。
俺は柄を握り直して、いつもどおりに、口に出した。
「――拾う」
剣が、鳴った。
じん、と。
折れた断面から、細い光が一本、まっすぐに伸びた。
そして俺の耳のすぐそばで、若い女の声がした。
「……三百年ぶりだ」
俺は思わず剣を取り落とした。
石床でがしゃんと音がして、その音に混じって、はっきりと舌打ちが聞こえた。
「落とすな、たわけ」




