名前を、つける
ミカが少女の右手を打ったのは、三日後の夜だった。
村の鍛冶場に、黒炭を焚いた炉が入って、炎の色が今までの赤から白っぽい橙に変わった。
「温度、上がってる」
ミカは炉を睨んで、そう言った。
「これなら、いける」
少女は金床の脇に立って、自分の手が打たれるのを、無表情で見ていた。
「痛くないんですか」
俺が聞くと、彼女は答えた。
「痛覚は搭載されていません」
そして、少し間を置いて、こう続けた。
「ですが、右手の駆動系が停止すると、掘削作業ができなくなります。それは、望ましくありません」
「掘削、まだやりたいですか」 「……理解できません」
彼女はそう言って、それから、初めて自分から言葉を足した。
「五十年間、それしか、していません」
■
作業は夜通し続いた。
ミカが打ち、ティナが継ぎ、リディアが灯りを持ち、ドルグがふいごを押し、ボロが眠り、俺は道具を渡し続けた。
夜が明けかけたころ、ミカが手を止めた。
「――できた」
少女が右手を持ち上げた。
五本の指があった。
うち三本は、明らかに色が違った。ミカが打った鉄は青みがかっていて、元の指は銀色で、その境目には、ティナの継ぎの線が金色に走っていた。
継ぎ目は、隠れていなかった。
どこから見ても、継いだ手だった。
少女は指を、一本ずつ、ゆっくり曲げた。
親指、人差し指、中指、薬指、小指。
五本とも、動いた。
「……動作、確認しました」
彼女はそう言って、それから、動きを止めた。
しばらく、右手を見つめていた。
「――どうしましたか」
リディアが聞いた。
少女は答えなかった。
もう一度、指を曲げて、伸ばして、また曲げた。
三回、それを繰り返してから、彼女は言った。
「駆動音が、五十年前と、同じです」
声は平坦なままだった。
でも、そのあとに続いた言葉は、平坦ではなかった。
「……この音を、聞くのは、久しぶりです」
■
朝日が谷に差し込んで、鍛冶場の煙が金色になった。
俺は少女の前に立った。
「ひとつ、聞いていいですか」 「はい」 「うちに来ませんか」
少女は俺を見上げた。
「私は不良品です」 「知ってます」 「稼働寿命を超過しています。いつ停止するか、予測できません」 「みんなそうですよ」
俺は言った。
「ドルグさんは酒で肝臓を壊しかけてるし、ティナさんは無理をすると鼻血を出すし、ミカさんは寝ないし、リディアさんは借金が金貨十二枚あります。ボロは食べすぎです」
背後で「我は神獣ぞ」という抗議が聞こえたが、無視した。
「あと、うちは人が足りません。あと九人足りないんです」
少女は、しばらく黙っていた。
「私は、命令の解除を受けていません」 「じゃあ、解除します」
俺は言った。
「坑道主任レムス・ハウは五十年前に出ていって、坑道は閉まっていて、命令はもう誰のものでもありません。誰のものでもないなら――」
俺は右手を差し出した。
「――拾っていいはずです」
少女は差し出された手を見た。
それから、継ぎ目の残る自分の右手を、ゆっくりと持ち上げた。
俺の手を握った。
冷たくて、硬くて、思ったより弱い握力だった。
「――拾う」
その瞬間、彼女の左目の下のひびが、ほんの少しだけ、細くなった。
■
「名前、どうしますか」
ティナが聞いた。
少女は俺を見上げた。
「個体識別番号は、〇〇七です」 「それ、坑道主任がつけた番号ですよね」 「はい」 「捨てた人がつけた番号を、これからも背負うんですか」
少女は答えなかった。
答えられなかったのだと思う。
「ノアさん、つけてあげてください」
ティナが言った。
俺は少女を見た。
銀色の短い髪、無表情な顔、頬のひび、継ぎ目の残る右手。
五十年、誰にも呼ばれなかった存在。
「――ゼロ」
俺は言った。
ドルグが「おい」と呆れた声を出した。ミカが「センスが死んでる」と言った。リディアが「ノアさん、それは……」と眼鏡を押さえた。
「〇〇七の、真ん中とったんですか」 「そうです」
ティナがぷっと吹き出した。
「ノアさん、名前つけるの下手すぎます」 「知ってます。ばあちゃんにも怒られました」
少女は――ゼロは、しばらく黙っていた。
そして、平坦な声で言った。
「ゼロは、何もない、という意味です」 「知ってます」
俺は言った。
「そこから、始めるって意味でもあります」
ゼロの目が、わずかに動いた。
朝日が坑道のほうから差してきて、彼女の継ぎ目の金色の線が、きらりと光った。
「……理解、できません」
彼女はそう言って、それから、こう付け加えた。
「ですが、記録します」
■
その日の夕方、リディアが帳簿を開いて、申請書の最後の頁を指した。
『特産』の欄には、黒炭と書き込まれていた。
『集落人口』の欄には、まだ空欄があった。
「六人です」
リディアが言った。
「ゼロさんを入れて七人。あと八人、足りません」
俺は空欄を見た。
あと八人。
この谷に、あと八人、誰かを連れてこなければならない。
――そのとき、村の入口のほうから、蹄の音が聞こえた。
一頭ではなかった。何頭も、規則正しく、そして重い。
ドルグの顔色が変わった。
「……騎馬だ」
彼は立ち上がった。
「坊主、剣を持て。あれは領主の兵だ」




