不良品
五十年、その子は壁を叩き続けていた。
右手の指は、三本が根元から欠けていた。残った二本で、規則正しく壁を叩いていた。
「命令を出したのは誰だ」
ドルグが聞いた。
「坑道主任、レムス・ハウ」 「その男はどこにいる」 「……不明です」
少女は初めて、少しだけ手を止めた。
「閉山の日、主任は坑道を出ました。私は待機を命じられました。その後、命令の更新はありません」
彼女はまた壁を叩いた。
「待機中の作業として、掘削を継続しています」
ティナが両手で口を押さえた。
俺は少女の前に立って、しゃがんだ。
目線を合わせても、彼女の目はこちらを見なかった。壁だけを見ていた。
「あなた、名前は」 「個体識別番号は、〇〇七です」 「名前です」 「……理解できません」
俺は立ち上がって、坑道の壁を見た。
五十年ぶん、叩かれ続けた壁だった。
削れてはいた。深さにして、たぶん腕一本ぶんくらいだろうか。五十年で腕一本ぶんだ。
欠けた指では、それが限界だったのだ。
「なんで、指が」 「規定の負荷を超えたためです」
彼女は淡々と答えた。
「私は不良品です。同型機の稼働寿命は、平均で八年です。私は三年目で右手の駆動系に不具合が出ました。主任は私を『不良品』と記録し、廃棄処分を申請しました」
こつ、こつ、こつ。
「申請は、閉山により処理されませんでした。私は廃棄されず、待機のまま残されました」
「……つまり」
リディアの声が掠れていた。
「捨てられる手続きすら、してもらえなかったということですか」
少女は初めて、手を止めた。
しばらく壁を見つめて、それから、平坦な声で言った。
「はい」
■
俺は、背負い袋を下ろした。
中から取り出したのは、迷宮の三十二階層で拾った、名前のわからない金属の板だった。
あれからずっと、袋の底に入れっぱなしだった。触ると指先がじんとする以外、何の役にも立たなかった。
その板を、俺は少女の前に差し出した。
少女の目が、初めて壁から離れた。
「……それは」
声が、わずかに変わった。
「規格外の、駆動基板です。どこで」 「迷宮の宝物庫で拾いました。捨てられてたので」
少女は板を見つめた。
「使えますか」
俺が聞くと、少女はしばらく黙ってから、答えた。
「使用できます。ただし、私の型式とは適合しません。適合しない部品の使用は、規定違反です」 「規定を作った人は、五十年前に出ていきましたよ」
少女が、俺を見た。
初めて、まっすぐに。
「……理解、できません」
「ミカ」
俺は振り返った。
「これ、繋げる?」 「見せて」
ミカが板を受け取って、ゴーグルを下ろして、しばらく睨んだ。
それから、少女の右手を見た。
「……あんた、手、貸して」 「作業を中断することは」 「うるさい、貸せ」
ミカは強引に少女の右手を取って、指の欠けた部分を覗き込んだ。
「規格が違う。まるっきり違う。三百年前の作りだ、これ」
彼女は板と、少女の手を、交互に見比べた。
「継ぎ目、残るよ」
ミカが言った。
「あたしの鉄と、この板と、あんたの元の手。三つとも別もんだ。混ざらない。継いだって、絶対、線が残る」
少女は自分の右手を見た。
指が二本しかない、五十年ぶんの傷だらけの手を。
「……継ぎ目が残ることは」
彼女は言った。
「不良品であることの、証明になります」
「――ならないよ」
ティナが、前に出た。
彼女は自分の懐から、あの布人形を出した。片腕を縫いつけた、へたくそな人形だった。
「これ、腕がちぎれてたんです。わたし、直せなくて、捨てようと思ってて」
ティナは人形の縫い目を見せた。
「ノアさんが縫ってくれました。ぜんぜん綺麗じゃないです。糸の色も違います。誰が見ても、直したってわかります」
彼女は人形を胸に抱えた。
「でも、これ、わたしの一番大事なものです」
少女は、人形を見ていた。
こつ、と鳴るはずの音は、もうしなかった。
「……理解、できません」
彼女は同じ言葉を繰り返した。
でも、その声は、さっきまでと、少しだけ違って聞こえた。




