いくらになると思ってます?
リディア・カーツと名乗った女は、俺の返事を待たずに村へ入っていった。
止める間もなかったし、止めたところで止まらない歩き方だった。
彼女は井戸を覗き、水車の羽根を数え、鍛冶場の煙突を見上げ、畑の畝の長さを歩数で測り、そのたびに手元の計算板をぱちぱちと弾いて、二十分ほどで広場に戻ってきた。
「井戸一、水車一、鍛冶場一、住居十九、うち即入居可が十四、要修繕が五、畑が二町歩ぶん、水路が生きている状態で千二百歩」
彼女は顔も上げずに読み上げた。
「宿場町まで徒歩二日、荷馬車なら一日半、途中の峠は緩やかで、車輪が割れる箇所は二か所だけ。――結論から申しますと」
そこで初めて顔を上げて、眼鏡の奥から俺を見た。
「この村、金貨四十枚の価値があります」
ティナが「きんかっ」と裏返った声を出して、ミカが持っていた金槌を落とした。
金貨一枚は銀貨百枚で、銀貨一枚あれば四人家族が十日暮らせる。
俺の所持金は銅貨が六枚だった。
「ただし」
リディアは指を一本立てた。
「現状の評価額はゼロです」 「……ゼロ」 「ええ、ゼロです。この村は無認可の占有状態にあって、あなたたちには何の権利もありません。明日、領主が『ここは接収する』と言えば、あなたたちは荷物を持って出ていくしかない」
彼女は計算板を胸に抱えて、村をぐるりと見回した。
「金貨四十枚の価値があるものを、権利ゼロで抱えている。これがどれほど危ない状態か、わかっていますか」
俺は正直に首を振った。
「わかってないです」 「そうでしょうね」
リディアは溜め息をついたが、その溜め息には、思っていたほどの棘がなかった。
「三日前、宿場町のギルドであなたの報告書を読みました。写しを取らせてもらいました」
彼女は懐から折り畳んだ紙を出した。
「屋根が十九軒、煉瓦が無傷、畝が残っている――ああいう書き方をする冒険者は、いません。あれは、商人の書き方です」
■
「で、なんで来たんですか」
俺が聞くと、リディアはようやく、少しだけ言葉に詰まった。
「……仕事を、探しています」 「行商じゃないんですか」 「馬車は借り物で、積荷はありません」
彼女はあっさり認めた。
「カーツ家は二年前に潰れました。父が保証人の判を押した相手が逃げて、屋敷も土地も持っていかれて、残ったのは借金だけです。金貨十二枚。私が背負っています」
リディアは眼鏡を押し上げた。
「私は帳簿しか読めません。剣も魔法も、料理すらできません。潰れた家の娘に帳簿を任せる商会はどこにもなくて、二年、断られ続けています」
彼女はそこで、初めて口の端を歪めた。
「――どこにも要らないと言われた人間が、要らないと言われた村を見に来た、それだけの話です」
俺は彼女を見た。
視界が、変わった。
埃をかぶった帳簿の山と、その前に座って背筋を伸ばしている、もっと若い彼女の姿が重なった。
――もったいないな。
「リディアさん」 「はい」 「うち、帳簿がありません」
彼女の眉が、ぴくりと動いた。
「作れます」 「金もありません。銅貨六枚です」 「知っています。歩き方でわかりました」 「歩き方でわかるんですか」 「金を持っている人間は、井戸を覗きません」
俺は笑ってしまって、それから右手を差し出した。
「――拾っていいですか」
リディアは差し出された手を、しばらく見ていた。
商談の握手を求められたと思ったのだろう、彼女は一度手を伸ばしかけて、それから俺の言葉の意味に気づいて、動きを止めた。
「……いま、なんと」 「俺のスキル、【拾い物】っていうんです。ランクFで、捨てられたものしか拾えません」
俺は言った。
「そのぶん、捨てられたものなら、村でも人でも拾えます」
リディアの眼鏡が、少し曇った。
彼女はそれを外して袖で拭いて、かけ直して、それからやっと俺の手を握った。
握手は事務的で、力は弱く、指先が冷たかった。
「言っておきますが、私は高いですよ」 「銅貨六枚しかないです」 「ですから、まず稼ぎ方から立てます」
彼女は計算板を構え直して、いきなり早口になった。
「ノアさん、この村の産物は何ですか」 「ないです」 「では、この村にあって他所にないものは何ですか」
俺は少し考えて、鍛冶場のほうを見た。
ミカが金槌を拾い上げていて、その隣でティナが割れた食器を三十七個抱えていた。
「――継げます」




