炉に火を入れる
ロスタに戻って三日目、鍛冶場の炉に火が入った。
その三日でやったことは、煉瓦の目地を打ち直して、煙道に詰まっていた三年ぶんの鳥の巣を掻き出して、ふいごの革が裂けていたのをティナが繋いで、炭焼き用の窯を谷の斜面に据えることだった。
窯を据えたのはドルグで、彼は騎士団時代に野営地の設営ばかりやらされていたらしく、土を掘らせると異様に速かった。
「上に上げる報告書の書き方と、穴を掘る速さだけは自信がある」
本人はそう言って笑ったが、その二つがなければ村はまだ動いていなかった。
■
火が回ったとき、ミカは炉の前に膝をついて、しばらく動かなかった。
「……熱い」
彼女はそう呟いた。
「ちゃんと、熱い」
川原の炉は、どれだけ焚いても温度が上がりきらなかったのだと、あとで彼女は言った。拾った炭は湿っていて、風は川風に乱されて、鉄が黄色くなる手前で必ず頭打ちになった、と。
ロスタの炉は、煉瓦が厚くて、煙道がまっすぐで、風が抜けなかった。
「ノア」 「はい」 「あの剣、貸して」
俺は腰の鞘を外して、渡した。
ミカは折れた刃を炉に入れる前に、一度だけ、それを日にかざした。
刃は、指二本ぶんだけ伸びていた。
鞘を作った夜に一本ぶん、この村を拾った夜にもう一本ぶん、静かに伸びていた。
「エルシャイン」
ミカが呼んだ。
「痛かったら言って」 「……痛みなど」
エルの声が、少し詰まった。
「三百年、なかった」
ミカは頷いて、刃を炉に差し入れた。
■
金槌の音が谷に響きはじめて、俺とティナは畑にいた。
種を蒔く前に、まだ半分の畝が雑草の根に押さえられていて、そのうちの一本を、俺は朝から掘り返していた。
鍬の刃は擦り減ったままだった。ミカは「剣が先」と言ったし、俺もそう思った。
「ノアさん」 「はい」 「ミカちゃん、大丈夫でしょうか」
ティナが手を止めて、鍛冶場のほうを見た。
音は途切れなかった。かん、かん、かん、と一定の間隔で続いていて、その間隔がまったく乱れないことが、逆に少し怖かった。
「五時間、休んでませんよね」 「あと、水も飲んでないです」 「持っていきましょう」
俺たちが水を持って鍛冶場を覗いたとき、ミカは金床の前で、真っ赤な刃を睨んでいた。
顔じゅう煤だらけで、前髪が汗で額に貼りついていて、目だけが異様に光っていた。
俺が桶を置いた音に気づいて、彼女は顔を上げた。
「ノア」 「はい」 「駄目だ」
その声は、意外なほど落ち着いていた。
「継げない」
ミカは刃を持ち上げて、断面を見せた。
「あたしが打つと、繋がるのは繋がる。でも、繋いだところで別の鉄になる。あたしの鉄と、婆さんの鉄が、混ざらない」
彼女は刃を金床に戻した。
「三百年前の鍛え方を真似ることはできる。でも、あたしはあの人じゃない。同じ層にはならない」
俺は断面を覗き込んだ。
言われてみれば、伸びた指二本ぶんのところと、その先の三百年前の部分では、光の反射が違っていた。
「――ミカ」
エルの声がした。
「そのままでよい」 「よくない」 「よい。私は三百年前の私に戻りたいわけではない」
エルの姿が、炉の熱で揺らぐ空気の中に立った。
「勇者ロランドの剣であった私は、折れた。それが答えだ。同じものに戻ったところで、同じところで折れる」
彼女は俺のほうを見た。
「ノア。お前は私を、元に戻したいのか」 「いえ」
俺は首を振った。
「エルさんが、使いやすい形になればいいです」
エルは少し黙って、それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……聞いたか、鍛冶屋」 「聞いた」 「なら、お前の鉄で継げ。混ざらんならそれでいい。継ぎ目があってもよい」
ミカは、しばらく刃を見下ろしていた。
それから、ティナのほうを振り返った。
「ティナ」 「はい!」 「あんた、くっつけるんだよね」 「はい! 断面を合わせて、繋ぎます!」 「継ぎ目、隠せる?」 「隠せません! 絶対残ります!」
ティナは胸を張って言い切った。
「でも、残ったほうが強いです。壺で試しました。継ぎ目のところが一番硬くなります」
ミカが、ゆっくり笑った。
この日、俺は初めて彼女の笑った顔を見た。
「じゃあ、二人でやるか」
■
鍛冶場の火が落ちたのは、夜中だった。
俺とドルグとボロは外で待っていて、ボロは途中で寝て、ドルグは腕を組んだまま一言も喋らなかった。
やがて扉が開いて、真っ黒な顔をした二人が出てきた。
ミカが両手で、剣を捧げるみたいに持っていた。
――刃が、繋がっていた。
根元から三分の二ほどのところに、はっきりと継ぎ目の線が走っている。
色が違う。光り方が違う。誰が見ても、二本の鉄を継いだ剣だとわかる。
美しくはなかった。
でも、それは確かに、一本の剣だった。
「……ノア」
エルの声がした。
いつもの高慢な調子が、まるでなかった。
「持て」
俺は柄を握って、剣を持ち上げた。
思ったより軽くて、思ったより手に馴染んで、思ったより――重かった。
構えると、刃が谷の月明かりを弾いた。
継ぎ目の線が、きらりと光った。
「どうだ」
エルが言った。
「みっともないか」 「いえ」
俺は首を振った。
「継いだのがわかるほうが、いいです」
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがてエルが、ぽつりと言った。
「――三百年ぶりに、私は剣に戻ったぞ」
その声が震えていることに、俺以外の全員が気づかないふりをした。
■
翌朝、村の入口に、荷馬車が一台停まっていた。
誰も呼んでいない。この村には、そもそも来る用事がない。
俺が出ていくと、御者台から眼鏡の女が降りてきて、藍色の髪をひっつめたまま、いきなり手元の板をぱちぱち弾きはじめた。
「ロスタ跡地でお間違いないですね。三年前に放棄、現在は無認可の占有状態」
彼女は顔も上げずに言った。
「私、行商のリディア・カーツと申します。単刀直入に伺います」
そこでようやく顔を上げて、彼女は眼鏡の奥から俺を見た。
「――ここ、いくらになると思ってます?」




