【日常のあれこれ②】口にすると角が立つシリーズ「なんで言わないの?」
「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉があります。
要約すると、たくさん話すことよりも、敢えて話さないことが、相手への配慮などに繋がり、物事を円滑に進めることがある、ということらしいのです。
確かにそういう面もあると思います。語るのは口ではなく背中、というニュアンスも含まれているのでしょうか。
ですが、ちょっと待ってほしい。
それが通じるのは、相手がある程度の知性と理性を備えている場合ではないでしょうか?
こちらが説明しないでもわかるだろう、汲み取ってもらえるだろう、言わない方が理解できるだろう、という希望的観測を持つことは、現代では多大な危険性を孕むのではないだろうか?
確かに、物事において、一から十まで、全てを説明するのは、聞く方も大変だろうし、説明する方も大変です。
かと言って、何も言わず、やり方を「見せる」だけ、と言うのでは、現代では通じません。
では、どうすべきで、どうあるべきか?
ざっと思いつくのは、一連のやり方をマニュアル化し、一度マニュアル通りにやって見せる。
その上で、次回はマニュアル通りにやらせて、成功、失敗に限らず、進捗を報告するよう指導する、が現実的かな?と考えます。
マニュアルを作る労力は必要ですが、一度作ってしまえば、次回以降の指導時に流用出来ます。
また、詰まった際の懸念点を反映することで、常に最新版としてアップデート出来ると思います。
また、マニュアルを挟むことで、基準が出来ると思うんですよ。指導をする側においても、される側においても。
マニュアルに書いてある内容で指導した。指導されていなくてもマニュアルに書いてあった。
明確な基準があることで、指導内容に線引きが出来ると思います。
その線引きで何が起こるか。それは「責任の所在」を明らかに出来るんです。
言った、言わないの水掛け論ではなく。「マニュアル」という明確な基準があり、それに沿った内容で出来ていたか?
昨今の世情を考えると、これって、超重要だと思うんですよね。
一般常識とか、暗黙のルールとか、自身にとっての「当たり前」は、相手にとっての「当たり前」ではないんですよ。
相手が、自身の常識を持っているとは限らないんですから。
それは、育ってきた環境や、受けてきた教育によって違うのですから、文句を言っても仕方ないですし、受け入れるしかないんです。納得が行かなくても。
で、勘違いしてほしくないのは、「マニュアルが超重要」と言ってはいても、「マニュアル=全て」という訳ではないということなんですよね。
マニュアルは重要。ですが、マニュアルは飽くまで共通認識としてのスタートラインであって、ゴールラインではないということです。
共通認識として、どこまで教えたか、教わったか。どこまでがしてよくて、してはいけないか。
これを踏まえたうえで、個人としての知識や経験や積み重ね、マニュアルをアップデートしていくことが重要なのではないか、と私は考えます。
教えられた側が、いずれは教える側に回った時のことを考えて、少しずつでも、共通認識を共通財産として築いていけたのなら、少しだけ優しい世界になるのでは、と思う次第であります。




