第八話 商人と算盤
朝一番。
冒険者ギルド『銀麦亭』の扉が勢いよく開いた。
「ミサさん!」
聞き慣れた声だった。
美咲は帳簿から顔を上げる。
「おはようございます」
「おはようございます!」
元気いっぱいなのは行商人のダリオだ。
リバーシの件以来、何かとギルドへ顔を出すようになった。
「今日は何の用です?」
美咲は嫌な予感を覚えながら聞いた。
ダリオが来る時は大抵ろくでもない。
案の定だった。
「新しいアイディアありませんか?」
即答だった。
美咲は頭を抱えた。
「ありません」
「即答!?」
「そんなにホイホイ出るものじゃありませんよ」
発明とは思いつこうとして思いつくものではない。
リバーシだって暇潰しのつもりだった。
旋盤もリバーシ量産のために考えたものだ。
狙って作ったわけではない。
「何かありません?」
「ありません」
「本当に?」
「本当に」
ダリオは露骨に肩を落とした。
美咲も困る。
そんな都合よく新商品が生まれるなら誰も苦労しない。
「むしろ」
美咲が言った。
「何が欲しいんです?」
「え?」
「商人なんですから、需要くらい分かるでしょう」
ダリオは腕を組んだ。
確かにその通りだ。
商品を売るのが商人。
何が不足しているのか。
何が売れるのか。
その辺りは商人の方が詳しい。
「そうですねぇ……」
しばらく考える。
「便利な物ですかね」
「便利な物」
「日常で使うような物」
「漠然としてますね」
「ですよね」
二人して苦笑した。
その時だった。
ギルドの扉が次々と開く。
「依頼受けるぞー!」
「薬草納品に来た!」
「朝飯まだか!」
朝の混雑時間が始まった。
レナも慌てて受付へ向かう。
「あ、混み始めましたね」
ダリオが言う。
「ですね」
「また後で来ます」
「どうぞ」
ダリオは素直に引き下がった。
商人らしく空気は読めるらしい。
◇
昼前。
ようやく受付が落ち着いた頃だった。
ダリオが再びやって来た。
そして。
ふと美咲の手元を見る。
「ん?」
見慣れない道具があった。
木の枠。
何本もの細い棒。
そして棒に通された木製の玉。
美咲は慣れた手付きで玉を動かしていた。
カチャカチャ。
カチャカチャ。
心地よい音が響く。
「何ですそれ?」
美咲の手が止まった。
「あ」
しまった。
そんな顔だった。
ダリオは見逃さない。
商人だからだ。
「何ですか?」
「別に」
「怪しい」
「怪しくありません」
「絶対怪しい」
レナまで覗き込んできた。
「私も見たことありません」
「俺もだ」
ガルドまで参加してくる。
逃げ場がなかった。
美咲はため息を吐く。
「ソロバンです」
全員が首を傾げた。
「そろばん?」
聞いたことがない。
当然だった。
この世界には存在しない。
美咲はソロバンを持ち上げる。
「計算道具です」
「計算道具?」
ダリオが眉をひそめた。
「魔道具じゃなくて?」
「違います」
「魔石も?」
「使いません」
「魔法も?」
「使いません」
「じゃあどうやって計算するんです?」
美咲はソロバンを机に置いた。
「手で動かします」
全員が沈黙した。
「手で?」
「手で」
カチャッ。
木玉を動かす。
それだけだった。
「数字を玉の位置で表すんです」
「なるほど……?」
「例えばこれが百」
カチャッ。
「これが十」
カチャッ。
「これが一」
カチャッ。
ダリオが身を乗り出した。
商人だけあって数字には敏感だった。
「つまり数字を並べてるのか?」
「そうです」
「それだけ?」
「それだけです」
あまりにも単純だった。
だが。
美咲は帳簿を開く。
「百二十七」
カチャカチャ。
「三百五十九」
カチャカチャ。
「六百八十四」
カチャカチャ。
指が流れるように木玉を弾く。
そして数秒後。
「答えは千百七十」
ダリオが暗算する。
数秒後。
固まった。
「合ってる」
「でしょう?」
「早っ!?」
レナが驚く。
ガルドも興味深そうに覗き込む。
「便利そうだな」
「便利ですよ」
美咲は平然と答えた。
「慣れればもっと大きな数字も扱えます」
ダリオはソロバンを見る。
そして美咲を見る。
さらにもう一度ソロバンを見る。
「これ木だけですよね?」
「木ですね」
「魔法なし?」
「なしです」
「魔道具でもない?」
「ただの木工品です」
沈黙。
そして。
商人の目が輝いた。
美咲はその瞬間悟った。
また面倒事が始まる。
「ミサさん」
「嫌です」
「まだ何も言ってません!」
「どうせ特許でしょう?」
「その通りです」
図星だった。
ダリオは机へ身を乗り出す。
「これ売れます!」
「でしょうね」
「絶対売れます!」
「でしょうね」
「商業ギルドが飛び付きます!」
「でしょうね」
全部予想通りだった。
だから見せたくなかった。
だがもう遅い。
ダリオは完全に商人の顔になっていた。
「ミサさん」
「なんです?」
「詳しく教えてください」
美咲は天井を見上げた。
面倒事の匂いがする。
しかもかなり大きなやつだ。
リバーシの時もそうだった。
そして大抵こういう予感は当たる。
「……仕事が終わってからですよ」
「やった!」
ダリオが拳を握る。
その様子を見ながら、美咲は深いため息を吐いた。
また平穏な日常が少し遠ざかった気がした。




