第七十六話決闘(後編)
ギィィィィィン!!
耳をつんざく轟音が演習場へ響き渡る。
エリナが振るった雷槍は、一切の抵抗を受けることなく四つの下位魔法を切り裂いた。
ファイアーボールは真っ二つとなって霧散し。
アイスアローは粉々に砕け散る。
ウィンドカッターは雷槍へ触れた瞬間に掻き消え。
ストーンバレットは両断され、細かな土砂となって地面へ降り注いだ。
四方向から放たれた魔法は。
たった一振り。
それだけで全て消え去った。
演習場は、水を打ったような静寂に包まれる。
誰もが目の前で起きた出来事を理解できなかった。
「……今」
教師席の一人が震える声を漏らす。
「ライトニングランスを……振り回したのか?」
「いや、それ以前に……」
別の教師が額へ汗を浮かべる。
「あの魔法は背後へ生成されるはずだ」
「何故、手の平から生成されている?」
「そんな魔力制御、聞いたことがない……」
教師たちでさえ理解が追いつかない。
中位雷属性魔法。
それは術者の背後へ生成され、宙へ浮遊させた状態から射出する魔法。
魔法学園へ通う者なら誰もが知る常識だった。
しかし。
エリナは、その常識をまるで最初から存在しなかったかのように覆してしまった。
観客席でも驚きの声が次々と上がる。
「魔法を武器みたいに……」
「そんな戦い方、見たことがないぞ」
「槍術だ……」
「いや、違う」
「魔法そのものを槍として扱ってるんだ!」
ライナーたちも目を見開いたまま固まっていた。
自分たちの放った魔法が、一振りで切り裂かれるなど想像すらしていなかったのである。
その光景を見た瞬間。
エリナの脳裏へ、半年前のある日の出来事が蘇る。
◇◇◇
夕暮れ。
冒険者ギルドの裏庭。
一日の訓練を終えたエリナは、額の汗を拭いながら縁側へ腰掛けるミサとフィリアの元へ歩み寄った。
「ミサ先生」
「何?」
木剣を膝へ置いたミサが顔を上げる。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「いいわよ」
エリナは少しだけ考えてから口を開いた。
「どうして魔法使いなのに、体術まで覚える必要があるのですか?」
その問いを聞いた瞬間だった。
隣で紅茶を飲んでいたフィリアが、露骨に目を逸らした。
「…………」
「フィリア先生?」
「い、いえ……」
どこか気まずそうに咳払いをするフィリア。
その様子を見たミサは思わず吹き出した。
「あー……フィリアは話したくないみたいだから、代わりに私が説明するわ」
「お願いします」
エリナが素直に頷くと、ミサは懐かしそうに笑った。
「フィリアは昔、純粋な魔法使いだったのよ。当然、魔法上位主義者だった訳で、私と言い争いに発展したのよ」
「ちょ、ちょっとミサ!」
フィリアが慌てて止めようとする。
しかし、ミサは気にも留めない。
「エルフって魔力も多いし、魔法の才能も高いでしょう? だから昔のフィリアは、魔法の扱いが低い人間を少し見下していたの」
フィリアは両手で顔を覆った。
「うぅ……否定できません……」
「それでね」
ミサは肩を竦めながら続ける。
「その常識を壊したのが私だったの。『そんな考えじゃ、いつか痛い目を見る』って言ったんだけど、もちろん納得しなくてね。そんで、フィリアと決闘することになったのよ」
エリナは思わず身を乗り出した。
「結果はどうなったんですか?」
ミサは悪戯っぽく笑う。
「もちろん、私の勝ちよ。一発お見舞いに、全身全霊の右ストレート腹パンをね」
「やめてくださいぃ……」
フィリアは真っ赤になりながら顔を隠す。
「あの時は本当に痛かったんですから……」
「自然感覚で魔装が出来る魔法使いでも、纏いを施した拳一つで簡単に決着つくことはある」
ミサの表情から笑みが消えた。
「魔法使いだから遠距離だけ戦っていればいいなんて三流の考えること」
エリナも真剣な表情になる。
「だから、自衛できる程度でいい。接近戦も覚えておくこと……それが、生き残るコツなのよ」
その言葉は。
エリナの胸へ深く刻み込まれた。
◇◇◇
エリナは静かに雷槍を握り直した。
目の前では、未だ驚愕から立ち直れずにいるライナーたち五人。
その姿を見据えながら、エリナは静かに一歩前へ踏み出した。
「何をしているのですか」
凛とした声が演習場へ響く。
「五人掛かりなのでしょう?なら、もっと本気で来なさい」
その一言が、ライナーたちの神経を逆撫でした。
「調子に乗るな!」
腹部を押さえながらライナーが怒鳴る。
「下位の魔法じゃ勝てない!」
「時間を稼げ!」
「俺が上位魔法で仕留める!」
「「「了解!」」」
その一言で四人は即座に動いた。
ライナーだけが大きく後方へ下がる。
深く息を吸い込み、ゆっくりと両手を広げた。
足元へ巨大な魔法陣が展開される。
幾重にも重なる魔法陣。
複雑に絡み合う術式。
膨大な魔力が空気を震わせ始めた。
誰が見ても分かる。
上位魔法。
学園で教えられる魔法の中でも最高位に位置する切り札だった。
観客席がどよめく。
「上位魔法だ!」
「ライナーが本気だ!」
「決闘であれを使う気なのか!?」
教師たちも表情を険しくする。
しかし。
誰も止めようとはしなかった。
審判であるバルト教師も腕を組んだまま静かに試合を見つめている。
一方。
残る四人は一斉にエリナへ襲い掛かった。
「近付けるな!」
「時間を稼げ!」
「足を止めろ!」
下位魔法。
中位魔法。
次々と魔法が放たれる。
ギィィィィン!!
雷槍が唸る。
ファイアーボール。
アイスアロー。
ウィンドカッター。
ストーンバレット。
下位魔法は一振りで切り裂く。
しかし。
「アイスランス!」
「ストーンスピア!」
中位魔法が飛来する。
ガキィィィン!!
エリナは雷槍を正面へ構えた。
中位魔法は切れない。
槍の腹で受け止め、そのまま角度を変えて受け流す。
氷の槍は空高く弾かれ。
岩槍は地面へ逸れて大きな土煙を巻き上げた。
それでも。
四人は止まらない。
下位魔法。
中位魔法。
休む間もなく撃ち続ける。
目的は勝つことではない。
一秒でも長く。
ライナーへ時間を与えること。
それだけだった。
エリナは舌打ちを飲み込む。
(……このままじゃ間に合わない)
視線だけをライナーへ向ける。
巨大な魔法陣は九割以上完成していた。
空気が震える。
地面が微かに揺れる。
上位魔法特有の圧力が演習場全体を包み込み始めていた。
(あと少しで完成する)
(どうする……)
エリナは必死に思考を巡らせる。
正面突破は不可能。
四人を倒してからでは間に合わない。
上位魔法を受け止める術もない。
その時だった。
ふと。
ミサのある言葉が脳裏を過る。
『一歩を制する者が、戦いを制する』
その意味を。
今なら理解できた。
(……一つだけ、方法がある)
だが。
成功する保証はない。
失敗すれば。
上位魔法の直撃を受ける。
まさに賭けだった。
それでも。
エリナは迷わなかった。
雷槍を静かに解除する。
黄金色の槍は光の粒子となって消えていく。
観客席がざわめく。
「武器を消した!?」
「何をする気だ?」
エリナは答えない。
ゆっくりと腰を落とす。
片膝を曲げ。
片手を地面へ添える。
もう片方の足を大きく後ろへ引いた。
誰も見たことのない構え。
まるで、獲物へ飛び掛かる猛獣だった。
演習場を包む空気が張り詰める。
エリナはクラウチングスタートの姿勢のまま微動だにしない。
観客席の誰もが、その異様な構えに息を呑んでいた。
「何だ……あの構えは」
「魔法使いの構えじゃないぞ」
「まさか、逃げる気じゃ……」
そんなざわめきをよそに。
エリナは静かに目を閉じた。
残された魔力は、もう僅かしかない。
その全てを。
前へ踏み出す右足へ集中させる。
魔力が脚部へ流れ込む。
圧縮。
さらに圧縮。
限界まで。
筋肉が悲鳴を上げる。
骨が軋む。
少しでも制御を誤れば、自らの脚を破壊しかねない。
それでも。
エリナは止めなかった。
一方。
後方ではライナーの上位魔法が完成を迎えていた。
巨大な魔法陣が眩い光を放つ。
渦巻く魔力は演習場全体を震わせ、誰もがその圧倒的な威圧感に息を呑む。
ライナーは勝利を確信して笑った。
「終わりだ、エリナ!これで、お前の負けだ!『インフェルノ・ブレス』!!」
その笑みに迷いはない。
上位魔法が完成した以上。
勝負は決した。
そう信じて疑わなかった。
エリナはゆっくりと目を開く。
「……瞬歩」
小さな呟き。
次の瞬間だった。
ドンッ!!
爆発音にも似た轟音が響く。
演習場の石畳が砕け散る。
エリナの姿が消えた。
「なっ!?」
ライナーの笑みが凍り付く。
速い。
ではない。
見えない。
残像すら残さず。
エリナは一歩だけで四人との間合いを消し飛ばしていた。
瞬歩。
脚部へ魔力を極限まで集中させ、一歩だけを爆発的に加速させる高等技術。
理屈だけなら単純。
魔力を脚へ集中させ、一歩踏み出すだけ。
だが、その魔力量の調整を一つでも誤れば、自らの脚を破壊する危険な技術だった。
それを。
エリナは迷うことなく使った。
人間砲弾となったエリナは、その勢いを一切殺すことなく取り巻き四人へ真正面から突っ込む。
「止めろぉぉぉっ!」
誰かが叫ぶ。
しかし。
もう遅い。
ドゴォォォォン!!
轟音。
四人の身体がまとめて宙を舞った。
勢いは止まらない。
エリナは四人を吹き飛ばしたまま、その先で勝利を確信していたライナーへ一直線に突っ込む。
「しまっ――」
ライナーが反応した時には、既に目の前までエリナが迫っていた。
回避も。
迎撃も。
間に合わない。
ドガァァァァン!!
凄まじい衝撃音が演習場へ響き渡る。
ライナーを含めた五人の身体が折り重なるように吹き飛び、そのまま壁際まで転がっていく。
ライナーの意識が途切れた。
その瞬間。
完成していた上位魔法が音もなく崩壊する。
術者を失った魔法陣は光の粒子となって空へ溶け、跡形もなく消え去った。
静寂。
演習場に立っている者は、ただ一人。
土煙の中からゆっくりと姿を現したエリナだけだった。
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