第七十五話 決闘(中編)
決闘当日。
ヴァルディア王立魔法学園第一演習場。
普段は実技訓練に使用される広大な闘技場は、開始時刻より遥か前から大勢の生徒で埋め尽くされていた。
「本当に決闘があるらしいぞ」
「しかもアイゼンベルク家のライナー様と、あのエリナさんだって」
「犯罪者の娘って噂の?」
「違うって話も聞いたけど……」
観客席では様々な憶測が飛び交う。
裁判を知る者。
知らない者。
噂だけを信じている者。
それぞれが思い思いの話をしながら、開始を待っていた。
教師たちも普段以上に集まっている。
正式な決闘である以上、立ち会いは必須。
その中でも今日の審判を務める教師は、一人の壮年の男性だった。
魔法戦闘学担当教師。
バルト・グレイス。
厳格な性格で知られている一方、貴族社会への忠誠心も強く、貴族出身の生徒へ肩入れすることも少なくなかった。
そして。
彼はエリナのことを快く思っていない教師の一人でもある。
「両者、前へ」
低く響く声。
先に姿を現したのはライナーだった。
堂々と胸を張り、まるで勝利を確信しているかのような笑みを浮かべながら中央へ歩いていく。
その後ろには四人の男子生徒。
全員がライナーの取り巻きであり、普段から行動を共にしている者たちだった。
観客席から歓声が上がる。
「ライナー様ー!」
「頑張ってください!」
「負けるなー!」
一方。
反対側の入場口から静かに姿を現したのはエリナだった。
歓声は無い。
あるのは好奇と不安が入り混じった視線だけ。
それでもエリナは一歩一歩落ち着いた足取りで中央へ向かう。
半年間。
ミサとフィリアの下で鍛えられた精神は、この程度の視線で揺らぐことはなかった。
中央へ到着すると、ライナーは鼻で笑う。
「逃げずに来たか」
「決闘を申し込んだのは私ですから」
「そうだったな」
ライナーは余裕の笑みを崩さない。
「せいぜい後悔するんだな」
エリナは答えない。
ただ静かにライナーの後方へ視線を向けた。
四人。
昨日まで見なかった顔ぶれ。
決闘なのだから応援に来たのだろう。
最初はそう思っていた。
だが。
四人全員が演習場の中へ入り、ライナーの左右へ並んだ瞬間。
エリナの胸に小さな違和感が生まれる。
(……何故、演習場の中へ?)
普通なら観客席へ向かうはず。
それなのに誰一人として外へ出ようとしない。
嫌な予感が胸をよぎった。
その時だった。
バルト教師が一歩前へ出る。
「それでは、これより正式な決闘を開始する」
演習場が静まり返る。
全員が審判へ注目した。
「ライナー・フォン・アイゼンベルク組五名」
「対」
「エリナ・フォン・ローゼンベルク一名」
「以上六名による決闘を執り行う」
その宣言に。
エリナの表情が初めて変わった。
「……お待ちください」
静かな声が演習場へ響く。
バルト教師が眉をひそめた。
「何だ」
「確認ですが」
エリナはライナーを見る。
「私はライナー様へ決闘を申し込みました」
「はい」
「一対一の決闘ではなかったのですか?」
その問いに。
ライナーは口元を吊り上げた。
そして、審判であるバルト教師が、あたかも当然であるかのように口を開く。
「申請書には、最初から五対一と記載されている」
その瞬間。
エリナは全てを理解した。
ライナーの笑み。
教師の態度。
四人の取り巻き。
――最初から。
嵌めるつもりだったのだ、と。
エリナは静かにライナーとバルト教師の顔を見比べる。
ライナーは勝ち誇ったように笑っている。
バルト教師もまた、その決定に何の疑問も抱いていない様子だった。
周囲の観客席もざわつき始める。
「え?」
「五対一?」
「そんな決闘ありなのか?」
「聞いてないぞ」
中には首を傾げる教師もいた。
だが、誰一人として口を挟もうとはしない。
正式な決闘は、申請内容が全てである。
審判が受理した以上、覆ることは滅多に無い。
エリナは小さく息を吐いた。
「申請書を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「構わん」
バルト教師は一枚の書類を取り出し、そのままエリナへ差し出す。
エリナは静かに目を通した。
決闘申請書。
申請者。
ライナー・フォン・アイゼンベルク。
対戦相手。
エリナ・フォン・ローゼンベルク。
そして、その下。
『補助戦力四名を同行させる』
確かにそう書かれていた。
エリナはゆっくり書類を閉じる。
「なるほど」
短くそう呟いた。
ライナーが肩を震わせながら笑う。
「どうした?」
「今さら気付いたのか?」
「決闘を申し込まれた時から、俺はこうするつもりだったんだよ」
取り巻きたちも笑い始める。
「一対一なんて言ってないよな?」
「勝手に勘違いしただけだ」
「これも立派な作戦だ」
観客席からは戸惑いの声が上がる。
「いや……それは卑怯じゃ」
「でも規則違反ではないのか?」
「申請書に書いてあるなら……」
意見は真っ二つだった。
そんな中。
バルト教師だけは無表情のまま告げる。
「申請内容に不備は無い」
「決闘は成立している」
「異議は認めない」
その言葉を聞き。
エリナはようやく全てを理解した。
(そういうことですか)
(最初から私を勝たせる気など無かったのですね)
教師とライナー。
この二人は最初から繋がっていた。
一対一だと思い込ませ。
当日になって五対一を宣言する。
拒否すれば、決闘から逃げた臆病者。
受ければ、圧倒的な人数差。
どちらへ転んでも、自分の名誉は傷付く。
実に貴族らしいやり方だった。
ライナーはエリナへ歩み寄る。
「どうする?」
「今なら棄権しても構わないぞ」
「もっとも」
その口元が歪む。
「犯罪者の娘が逃げたって、一生笑い話にしてやるけどな」
取り巻きたちも声を上げて笑う。
観客席からも失笑が漏れ始めた。
誰もが、この決闘は勝負にならないと思っていた。
一人。
対。
五人。
しかも全員が貴族。
魔法教育も幼い頃から受けてきた者たちである。
普通なら。
勝敗など始まる前から決まっていた。
エリナは静かに目を閉じる。
怒っている訳ではない。
悔しがっている訳でもない。
ただ一度、大きく息を吸った。
半年間。
ミサから何度も言われた言葉が脳裏をよぎる。
『想定外は言い訳になりません』
フィリアの厳しい声も思い出す。
『実戦では敵は正々堂々などしてくれません』
そして。
ガルドの豪快な笑い声。
『五人だろうが十人だろうが、立ってる奴をぶっ飛ばしゃ終わりだ』
思わず口元が緩む。
(そうでしたね)
(私は、あの人たちに鍛えられたんでした)
ゆっくりと目を開く。
その瞳には、先ほどまでの穏やかさは無い。
静かな闘志だけが宿っていた。
「分かりました」
エリナは一歩前へ出る。
「この条件で、お受けします」
その一言に。
ライナーは勝利を確信した笑みを浮かべた。
一方で。
観客席の空気は、一層ざわめきを増していく。
「受けるのか……」
「正気じゃない」
「五対一だぞ」
「勝てる訳がない」
誰もがそう思っていた。
ただ一人。
エリナ本人だけを除いて。
バルト教師は静かに右手を上げる。
「それでは」
「これより決闘を開始する」
ゆっくりと右手が振り下ろされようとしていた。
バルト教師の右手が勢いよく振り下ろされた。
「──始め!」
その合図と同時に。
ライナーは待っていたかのように右手を突き出した。
「ファイアーボール!」
魔法陣が展開される。
次の瞬間。
拳大の火球が一直線にエリナへ襲い掛かった。
観客席から悲鳴が上がる。
「速い!」
「いきなり本気か!」
「避けろ!」
しかし。
エリナは動かなかった。
回避もしない。
防御魔法を展開する様子も無い。
その場に静かに立ったまま、迫り来る火球を見つめている。
「何をしている!」
「防御しろ!」
教師たちからも思わず声が飛ぶ。
ライナーは勝利を確信していた。
(終わったな)
魔法使い同士の戦いにおいて、防御も回避も行わないなど自殺行為でしかない。
火球は一瞬でエリナの眼前まで迫る。
そして。
エリナはゆっくりと右手を持ち上げた。
ただ、それだけだった。
パンッ。
乾いた音が演習場へ響く。
まるで鬱陶しい虫でも払うように。
エリナは手の甲で火球を軽く払い除けた。
「…………え?」
誰かが小さく声を漏らす。
払い飛ばされたファイアーボールは軌道を大きく変え、そのまま観客席へ向かって飛んでいく。
「危ない!」
観客席の教師が慌てて防御魔法を展開する。
ドォンッ!!
爆発音が響き、防御結界の向こう側で火球が弾け散った。
静寂。
演習場から音が消えた。
ライナーは右手を突き出した姿勢のまま固まっている。
取り巻きたちも口を半開きにしたまま動けない。
観客席では誰もが目の前で起きた出来事を理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……は?」
「今……」
「手で……払った?」
「そんな馬鹿な……」
魔法を。
素手で。
払い飛ばした。
そんな話は誰一人として聞いたことがない。
魔法は魔法で防ぐ。
それが常識だった。
バルト教師も目を見開き、言葉を失っていた。
(何だ……今のは)
魔力の干渉か。
身体強化か。
いや。
どちらにも見えなかった。
エリナは何事も無かったかのように制服の袖を軽く払う。
「この程度ですか?」
その一言で、ライナーは歯を食いしばる。
「ふざけるな!」
「偶然だ!」
「偶然に決まっている!」
エリナは静かにため息を吐いた。
「……そうですか」
次の瞬間だった。
エリナの姿が消えた。
「……え?」
ライナーの思考が止まる。
視界から。
完全に。
消えた。
観客席から悲鳴が上がる。
「消えた!?」
「どこへ行った!」
「速すぎる!」
ライナーは慌てて周囲を見回す。
右。
左。
後ろ。
どこにもいない。
その時だった。
「──遅いわ」
耳元から静かな声が聞こえた。
「っ!?」
ライナーが振り向こうとした瞬間には、既にエリナはその懐へ潜り込んでいた。
一切の無駄がない。
最短距離。
最小動作。
半年間、ミサとフィリアに徹底的に叩き込まれた体術だった。
ライナーが目を見開く。
「い――」
最後まで言葉になることはなかった。
ドゴォッ!!
鈍く重い衝撃音が演習場へ響き渡る。
エリナの拳が、ライナーの鳩尾へ深々とめり込んだ。
「がはっ……!!」
ライナーの身体が「く」の字に折れ曲がる。
息が止まり、目を大きく見開いたまま、その場へ膝をつく。
あまりにも一瞬だった。
誰一人として、エリナの動きを目で追うことができなかった。
エリナはゆっくりと拳を下ろし、苦しそうに蹲るライナーを静かに見下ろす。
そして、凛とした声で言い放つ。
「立ちなさい、ド三流! 格の違いってものを見せてあげるわ!!」
その一言が、静まり返った演習場へ力強く響き渡った。
誰一人として声を上げる者はいない。
教師も。
生徒も。
ライナーの取り巻きたちでさえ。
今、自分たちの目の前で何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
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