第七十三話 貴族社会の洗礼
長期休暇が終わり。
ヴァルディア王立魔法学園では、新学期が始まっていた。
王都中から集められた貴族や有力商人の子女たちは、それぞれ休暇中の出来事を語り合いながら校舎へ入っていく。
そんな中。
一台の馬車がゆっくりと学園正門へ到着した。
扉が開き、一人の少女が姿を現す。
エリナ・フォン・ローゼンベルク。
かつて領主令嬢と呼ばれた少女だった。
「……」
学園へ一歩足を踏み入れた瞬間。
周囲の空気が微かに変わる。
ひそひそ。
ひそひそ。
小さな話し声が、あちらこちらから聞こえてきた。
「あの子……」
「例の事件の……」
「領主夫人の娘よ」
「犯罪者の……」
誰も大きな声では言わない。
しかし。
確実に聞こえる距離で囁いている。
王都で開かれた裁判。
あの事件は新聞にも載り、王都中の話題となった。
領主夫人による暗殺未遂。
その後に起きた領主館襲撃事件。
そして有罪判決。
貴族社会では知らぬ者はいないほど有名な事件だった。
当然。
その娘であるエリナの名前も広く知られてしまっていた。
「お気の毒に……」
そんな声も聞こえる。
だが。
それ以上に多かったのは。
「犯罪者の娘ですって」
「同じ教室なの?」
「近寄らない方がいいんじゃない?」
そんな無責任な噂だった。
情報とは恐ろしい。
事実を知る者は少ない。
人は面白おかしく尾ひれを付ける。
その結果。
『犯罪者の娘』
それだけが一人歩きしていた。
エリナは立ち止まることなく歩き続ける。
その横顔には何の表情も浮かんでいない。
いや。
表情を作らないようにしていた。
(気にしない)
そう自分へ言い聞かせる。
ミサならきっと笑って流す。
フィリアなら「事実だけを見なさい」と言う。
だから。
下を向く訳にはいかなかった。
教室へ入る。
一瞬だけ会話が止まる。
全員の視線がエリナへ集まった。
だが。
それも数秒。
すぐに各々の会話へ戻っていく。
もっとも。
その内容はエリナの耳にも届いていた。
「本当に来たのね」
「退学したと思ってた」
「よく来られるわよね」
エリナは何も言わない。
自分の席へ座り、静かに教科書を取り出した。
その時だった。
「エリナさん」
隣の席から声が掛かる。
振り向くと、一人の女子生徒が穏やかに微笑んでいた。
「お久しぶりです」
「……久しぶり」
彼女は事件の詳細を知る数少ない生徒だった。
王都へ戻った父親から事情を聞いていたのである。
「大変でしたね」
「ありがとう」
それだけで十分だった。
誰か一人でも理解してくれる人がいる。
その事実だけで救われる。
やがて始業の鐘が鳴る。
教室へ教師が入ってきた。
「それではホームルームを始めます」
教師は教室を一通り見渡す。
その視線が一瞬だけエリナで止まる。
しかし。
何も言わない。
「長期休暇も終わりました。今年度後半も気を引き締めて勉学に励むように」
淡々とホームルームは進んでいく。
教師の多くは事情を知っていた。
王都の裁判。
エリナ自身は被害者であること。
父親もまた被害者だったこと。
だからこそ。
教師たちは普段通り接することを選んだのである。
もっとも。
全員がそうではなかった。
教壇の後方。
一人の男性教師だけが、エリナを値踏みするような視線で見つめていた。
その目には。
明らかな偏見が宿っていた。
エリナはその視線に気付いていた。
だが。
何も言わない。
半年間。
ミサとフィリアの下で学んだものは魔法だけではない。
人の悪意。
偏見。
理不尽。
それらに真正面から向き合う強さもまた、この半年で身に付けていた。
(負けません)
心の中だけで呟く。
ここで逃げれば。
ミサに顔向けできない。
フィリアにも恩返しはできない。
だからこそ。
エリナは静かに前を向いた。
新学期初日。
それは、魔法を学ぶ前に、貴族社会という厳しい現実を学ぶ一日となったのである。
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