第六十五話 王都裁判
領主館襲撃事件。
その報は数日の内に王都全域へ広まっていた。
「聖国のシスターが貴族を襲撃した」
その一文だけで。
王都は大混乱へ陥る。
市場では商人たちが噂話を交わし。
酒場では冒険者たちが議論を繰り返す。
貴族たちは口々に聖国を非難した。
まさか。
他国の神官が王国貴族を襲撃するなど。
国家問題そのものだった。
当然。
国王も黙ってはいられない。
王城では緊急会議が開かれ。
聖国へ正式な抗議文が送られた。
しかし。
聖国の対応は驚くほど早かった。
翌日。
王都全域へ正式な声明が発表される。
『今回の領主館襲撃事件について』
『首謀者は聖国所属ではなく、元勇者パーティー所属、神官リリア・エル・セラフィナの独断行動である。現在、リリア・エル・セラフィナは聖国の管理下には無く、行方不明者として捜索中である』
さらに。
続く一文が。
王都中を震撼させた。
『襲撃理由は、領主夫人が一般人へ暗殺者を送り込んだことへの報復である』
その瞬間。
王都中の空気が変わった。
「暗殺者?」
「貴族が?」
「一般人相手に?」
「しかも報復?」
誰もが耳を疑う。
最初は。
聖国が責任逃れをしているだけだと思われた。
だが。
王国側もすぐに調査へ乗り出す。
そして。
暗殺ギルド関係者が消息不明となっていること。
領主夫人が事件直前に何者かと接触していたこと。
それらが次々と判明していく。
もはや。
黙殺できる問題ではなかった。
国王は即座に命令を下す。
「領主夫人の裁判を開く」
その決定により。
王都最高裁判所。
特別法廷。
王国と聖国による合同審理が開かれることとなった。
◇
開廷当日。
法廷には異様な緊張感が漂っていた。
中央には。
国王。
その隣には。
聖国を代表し、聖女セレスティア・ルミナスが着席する。
周囲には王国貴族。
神官。
騎士。
冒険者ギルド関係者。
多くの証人が集められていた。
そして。
被告席。
そこには。
顔色の悪い領主夫人が座っていた。
両掌には。
未だ癒えきらぬ傷跡。
リリアによって壁へ縫い付けられた時の傷である。
以前のような威圧感は。
もう無かった。
静まり返る法廷。
やがて。
国王が静かに口を開く。
「これより、領主夫人に対する特別裁判を開廷する」
その一言で。
王国を揺るがす裁判が始まった。
夫人は苛立ったように鼻を鳴らした。
「たかが平民一人です。それで終わる話でしょう」
その言葉を聞いたセレスティアは、小さく目を閉じる。
そして。
静かに口を開いた。
「ですが、その受付嬢には同居人がおりました」
夫人は怪訝そうな表情を浮かべる。
「……同居人?」
「はい。その同居人は、我が聖国に所属するシスターでした」
その一言で。
夫人の表情が僅かに曇る。
セレスティアは静かに続けた。
「そして、そのシスターこそが、今回の領主館襲撃事件の首謀者――リリア・エル・セラフィナです。彼女は、同居人へ暗殺者が差し向けられたことを知りました。その結果、暗殺者を返り討ちにし、暗殺ギルドを壊滅させ、最後には貴女の命を奪うため領主館を襲撃しました」
夫人は唇を噛み締める。
「……だから何だと言うのです。私はその女など知りません。シスターが勝手に暴れただけでしょう」
セレスティアは静かに夫人を見つめた。
「そうでしょうか」
「ええ」
「では、一つだけお聞かせください」
法廷中の視線が集まる。
セレスティアは夫人の両手へ視線を向けた。
そこには。
今もなお包帯の巻かれた両掌。
退魔の銃剣によって壁へ縫い付けられた傷が残っていた。
「さて。貴女の、その両手の傷は、一体誰が付けたのでしょうか?」
夫人は反射的に答えようとする。
「それは、あのシス――」
そこまで言って。
言葉が止まる。
顔色が変わった。
法廷が静まり返る。
夫人も。
ようやく気付いた。
あのシスターは。
自分を襲った理由を。
何度も。
何度も。
口にしていた。
『同居人に手を出しました』
『害虫を駆除します』
あの時は。
狂人の戯言だと思っていた。
だが。
違う。
あのシスターは。
最初から最後まで。
目的を一切変えていなかった。
狙いは。
暗殺を依頼した自分だけ。
夫人の額から。
一筋の汗が流れ落ちた。
セレスティアは静かに言葉を続ける。
「貴女は、一人の受付嬢を暗殺しようとしました。ですが、その受付嬢には、聖国最強の神官が友人以上の関係を持った人物です。その結果が、今回の事件です」
法廷は水を打ったように静まり返る。
誰も。
一言も発しなかった。
法廷を包む静寂は重かった。
誰も口を開かない。
誰もが。
今回の事件が、決して国家間の陰謀などではなく、一人の貴族が蒔いた種によって起きた惨劇であることを理解し始めていた。
やがて。
国王が静かに口を開く。
「領主夫人。貴女は一人の平民を暗殺しようとした。その結果、一つの暗殺組織が滅び、多くの騎士が傷付き、領主館は半壊し、王国と聖国の関係にまで影響を及ぼした。ここまで事態を大きくした原因が何であるか、理解しているか」
夫人は何も答えられない。
先程までの尊大な態度は影を潜めていた。
それでも。
最後の意地なのか。
小さく呟く。
「……私は、悪くありません」
その一言に。
法廷が再びざわめく。
夫人は俯いたまま続けた。
「私は……貴族です! 貴族が平民を処分することの、何が悪いと言うのです! まさか、あんな化け物が後ろにいるなど、誰が分かると言うのですか」
国王は静かに首を横へ振った。
「違う」
その一言だけで。
法廷は再び静まり返る。
「問題は、その受付嬢の後ろに誰がいたかではない。貴女が、自らの私怨だけで暗殺者を差し向けたことだ。相手が誰であろうと、それは許されることではない」
夫人は何も言えない。
セレスティアも静かに口を開く。
「もし、その受付嬢が普通の平民だったなら。もし、同居人がリリアではなかったなら。貴女は今頃、一人の罪なき女性を殺していたでしょう」
その言葉は。
法廷全体へ重く響いた。
夫人は俯いたまま拳を震わせる。
反論は。
もう出てこない。
セレスティアは静かに目を閉じた。
「リリアは間違えました。法を無視し、多くの命を奪ったことは決して許されることではありません。ですが、その切っ掛けを作ったのは、間違いなく貴女です」
法廷にいた誰もが否定できなかった。
暗殺者を送り込まなければ。
暗殺ギルドは滅ばなかった。
領主館が血に染まることもなかった。
王国と聖国がここまで揺れることもなかった。
全ては。
一人の貴族の身勝手な私怨から始まったのである。
国王はゆっくりと立ち上がった。
「これより判決に移る」
法廷は静まり返る。
国王は被告席へ視線を向けた。
「貴女が暗殺者を差し向けた事実は認められた。さらに、その行為が一連の事件の発端となったことも明らかである。その結果、暗殺ギルドは壊滅。領主館は襲撃され、多くの騎士が負傷。王国と聖国の外交問題へまで発展した。本来ならば、極刑も十分にあり得る案件だ」
その一言で。
法廷がどよめく。
夫人の顔色が変わる。
「ですが」
国王は淡々と続ける。
「今回の襲撃により、貴女自身も重傷を負い、領地経営能力も著しく失われた。また、領主本人並びに御息女からも、領主夫人としての資質を欠くとの上申書が提出されている」
夫人は勢いよく顔を上げた。
「なっ……!」
国王は表情を変えない。
「よって、本日をもって、貴女の貴族籍を剥奪する。領主夫人としての地位、爵位、財産管理権、王国貴族としての全ての権利を失う」
静寂。
誰一人。
口を開かなかった。
夫人は震える声を漏らす。
「……そんな、そんな馬鹿な」
国王は最後の判決を読み上げる。
「また、暗殺依頼及び違法組織との関与について有罪と認める。王国法に基づき、終身禁固刑を言い渡す」
その瞬間。
夫人の膝から力が抜けた。
椅子へ崩れ落ちる。
終わった。
全てが。
貴族として生きてきた人生。
権力も。
名誉も。
屋敷も。
財産も。
何もかも失った。
その原因が。
自分が見下していた。
たった一人の受付嬢だった。
「……そんな」
夫人は呆然と呟く。
「私は……私は……貴族だったのに……」
その言葉に。
誰も答えなかった。
やがて。
騎士たちが静かに夫人の両脇へ立つ。
抵抗する気力すら残っていない。
そのまま。
夫人は法廷から連れ出されていった。
静まり返る法廷。
国王はゆっくりと席へ座る。
「これにて閉廷とする」
木槌が鳴り響く。
こうして。
一人の貴族が、自らの傲慢によって全てを失った裁判は幕を閉じた。
しかし。
国王にも。
セレスティアにも。
一つだけ。
拭い切れない疑問が残っていた。
その受付嬢は。
一体何者だったのか。
そして。
聖国最強の神官が。
何故そこまで命を懸けて守ろうとしたのか。
その答えを知る者は。
今もなお。
誰一人としていなかった。
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